吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

カウライ男の随想 四十三

2005年12月06日 13時33分24秒 | Weblog
カウライ男の随想 四十三

 私は進学を前提にしたら浪人の身であるがしかし、今の戦争状況からみたら進学しても所詮は軍隊に行く年齢だ。
 来年には繰り上げ徴兵も行われる情勢だった。
 O君もいずれ陸軍か海軍へ学徒動員がかかってくるだろう。
 村にも、のぼりを翻す兵士を送る行列が峠に向かって行く。
 非常時の国民学校の銃後にしなければならぬ研修会も度々行われたが、私の学校は職員が男性は校長と私、ほかの三名は皆、女教師であり、私はいつも教頭代理で研修会に参加させられた。それも壮年の教師は皆、軍隊にとられ、のこった教頭は年配か病弱の教師ばかりで研修もどことなく迫力にかけていた。
 そんななかで、鹿児島造士館高等学校二年を中退して私と同じ助教師になった男がいて、学生として中途半端な生き様をしたくないと上京し、食べてゆけないので教師をしている…いまは自分の内在的超越のせかいに甘んじて教師をしているが、学校は奥多摩のH町にあるといった。H町は奥多摩でも人口の多い町で御岳町から十数キロあり、山を越えたすぐ隣は山梨になる。
 彼から、H町へ遊びに来ないかとさそわれたが断った。
 私は自分のある意味での哲学は、自分自身で体系化すべきとその頃は思っていたのでかれの魅力は心にあったがそうしたのだ。
 村道から三キロほどきつい坂道をのぼると視界は開けて栗平盆地になる。
 借りた馬方の隠居屋は格子窓から夜はきらめく星が手の届くくらい近くに澄みきった夜空に輝いて見える。
 ふとO君が最近読みだしたカントの純粋理性批判にある…夜に輝く星とうちなる道徳律…を思い出した。
 彼は商大教授が『学徒に賜りたる勅語』を倫理時間に話すのでジレンマを感ずると手紙に書いていた。

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