カウライ男の随想 二
小学校三年生に始まった毎日の酒は長く続かなかった。
一升瓶を口にあててごくんごくんと飲んだ酒の勢い(?)で私の身体はぽかぽかだったが勿論、酔いなんて知らない。
そんなある日、突然食堂のドアが開いて丁度一升瓶をかかえた時に父が姿を見せた。
…犯人はひろむか!どうも酒が減ると思ったがャ…二度と飲んではならんさかい!とそんな小言で終わった。
父の恩情を子供心に肝に命じてその日以来、一滴の酒も飲まなかったのは当たり前で威張る筋合いは毛頭ない。
それから七年がたって私が中学を終えて母の郷里の東豊永の国民学校の教師になったのは啄木にあこがれ、彼の本を片っ端に読んで尊敬し、彼のたどった小学校の教師にまねたのだった。
昭和十七年一月七日は南国土佐でも四国山脈のど真ん中にある西峰では気温もマイナスで村道の日陰の所々に氷がはっていた。
その日の辞令を懐に私は赴任学校目指して駅前で草鞋を求め、三里の道を西峰目指して歩いた。
『雲は天才である』そんな表題を思いながら、漉町の水車小屋で一休みする間、澄みきった冬の青空を仰いだ。
学校の校庭で初等科から高等科の生徒逹、およそ五百数十人がそれぞれかけっこしたりしてあそんでいたが、私の姿を見ると皆、礼儀ただしくお辞儀をしてくれた。
二階廊下の突き当たりに職員室の木札があったので声をかけて入ると、大きな火鉢を抱えてその木枠の隅に股を開いて不格好な中年男と視線があって小使と間違えて…あの…校長先生は?と訊ねた。 するとなんと…わしじゃ…と答えたのに驚いた。
校長はすでに連絡がきていたので…お前が(おまん)吉松先生か!いや遠い道、ご苦労じゃった、まあそこの椅子にかけなさい。
と言い、長い煙管の煙をぷうっとはきだした。
小学校三年生に始まった毎日の酒は長く続かなかった。
一升瓶を口にあててごくんごくんと飲んだ酒の勢い(?)で私の身体はぽかぽかだったが勿論、酔いなんて知らない。
そんなある日、突然食堂のドアが開いて丁度一升瓶をかかえた時に父が姿を見せた。
…犯人はひろむか!どうも酒が減ると思ったがャ…二度と飲んではならんさかい!とそんな小言で終わった。
父の恩情を子供心に肝に命じてその日以来、一滴の酒も飲まなかったのは当たり前で威張る筋合いは毛頭ない。
それから七年がたって私が中学を終えて母の郷里の東豊永の国民学校の教師になったのは啄木にあこがれ、彼の本を片っ端に読んで尊敬し、彼のたどった小学校の教師にまねたのだった。
昭和十七年一月七日は南国土佐でも四国山脈のど真ん中にある西峰では気温もマイナスで村道の日陰の所々に氷がはっていた。
その日の辞令を懐に私は赴任学校目指して駅前で草鞋を求め、三里の道を西峰目指して歩いた。
『雲は天才である』そんな表題を思いながら、漉町の水車小屋で一休みする間、澄みきった冬の青空を仰いだ。
学校の校庭で初等科から高等科の生徒逹、およそ五百数十人がそれぞれかけっこしたりしてあそんでいたが、私の姿を見ると皆、礼儀ただしくお辞儀をしてくれた。
二階廊下の突き当たりに職員室の木札があったので声をかけて入ると、大きな火鉢を抱えてその木枠の隅に股を開いて不格好な中年男と視線があって小使と間違えて…あの…校長先生は?と訊ねた。 するとなんと…わしじゃ…と答えたのに驚いた。
校長はすでに連絡がきていたので…お前が(おまん)吉松先生か!いや遠い道、ご苦労じゃった、まあそこの椅子にかけなさい。
と言い、長い煙管の煙をぷうっとはきだした。