吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

コウライ男の随想 三

2005年10月25日 14時08分59秒 | Weblog
カウライ男の随想 三

 校長の名は西峰ならぬ西森と言う師範出らしからぬ快男児である。 受持ちは戦争にかりだされて空席だった高等科一年生で私と三才年下だから弟を教える感覚だ。
 その放課後から村内学務委員宅への新任挨拶が始まった。学区は徳島県境に近い京柱峠の沖から蔭、大畑井、河野、土居、野々屋、漉丁、柚ノ木の八字もあった。
 校長は村の名士のトップだから沖で畑仕事で山の斜面やコウゾ、ミツマタの皮剥ぎに小川で精出していた農夫逹は慌てて自宅に戻って囲炉裏に火をくべてとっておきのご馳走を用意した。
 土佐の習慣でお茶かわりの酒が用意される。
 煙でくすんだ黒光りする戸棚をあけて一升瓶に入った白いもの…それは牛乳に違いない…と思ってさすが山村は違うと喜んだ。   校長は囲炉裏端に胡座して世間話を初め、私を若いけんど新任じゃがと紹介した。…なにもないけんどどうぞ!と村人は大きな茶碗に牛乳をたっぷりそそいで勧めた。
 では…と校長は片手で茶碗を持って一気に飲み干し、なかなかええ育ちじゃのう!と感心したので牛乳にやはり育ちも必要なんだ…と勧められるまま、喉へ流し込むように飲んだ。あれっ!これは酒だと気ずいた時は校長と同じく茶碗は空になった。
…若いきにしょう飲みっぷりもええけん…さあもうひとつどうぞ!と勧められ、校長の遠慮せいでもええき!の声でまたあおった。
 結局、その日は校長の千鳥足を介抱しながら学校住宅にもどったのは午後六時をまわっていた。校長は酒好きの割合に五合くらいで酔ってしまい私は校長より二杯も遠慮せずにご馳走になったので七合ほど飲んだことになる。翌日は陰である。その日も委員の大きな破風のある家でドブロクをご馳走になったが沖とはすこしアルコールが濃いかんじで美味しかった。校長は猪鍋をつついてすっかり上機嫌になった。

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