カウライ男の随想 三十八
学校の放課後は正面横の職員室と囲炉裏部屋をのぞいて閑散としている。村道を挟んで運動場、そのむこうが小曽木の清流である。 一日に二度ほど通る荷馬車、村人も精々数人がたまに背負い籠に野菜を山盛りして通り、どこかの雑木林でうつ斧音がカーンと響く。 今日も校長がO市へ戻った後、職員室で私とU先生、K先生の三人で生徒の話題をして過ごした。
U先生は近くのM寺の三女、K先生は中根の農家の長女である。
U先生の受け持ちに精神薄弱児のY子がいて、U先生によくなついてどこにでもついて行く。
眼のぱっちりした綺麗な子だった。その姉は五年生の級長をしている私の受け持ちである。
Y子はいつもおかっぱ頭を綺麗に手入れしている。
西峰もそうだったが山村の女の子には頭にたかる虱が多かった。 西峰の時はその検査を女先生が時々していた。
この学校でも衛生日にUかK先生が交互に女生徒の虱検査をしていたが、めったに卵を髪にもつ子はいない。貧しい山村だが燃料が豊富なので風呂だけは毎日入る風習で衛生的には問題がなかった。 Y子は虫が大の苦手で可愛い蝶々も近くを飛んでるのをみただけでわっと泣き出すのだ。
K盆地での自炊生活に、U先生が時々援助の副食を作ってくれるのでS大儘の家と比較はできないがそれでも戦時中としてはいいほうだった。
その頃は太平洋戦争の推移の厳しいニユースばかり耳にした。ガダルカナル撤退、女子挺身隊の発足、山本五十六連合艦隊司令長官のソロモン海域での戦死、学校にも『撃ちてし止まん』のポスターが配布された。
学校の放課後は正面横の職員室と囲炉裏部屋をのぞいて閑散としている。村道を挟んで運動場、そのむこうが小曽木の清流である。 一日に二度ほど通る荷馬車、村人も精々数人がたまに背負い籠に野菜を山盛りして通り、どこかの雑木林でうつ斧音がカーンと響く。 今日も校長がO市へ戻った後、職員室で私とU先生、K先生の三人で生徒の話題をして過ごした。
U先生は近くのM寺の三女、K先生は中根の農家の長女である。
U先生の受け持ちに精神薄弱児のY子がいて、U先生によくなついてどこにでもついて行く。
眼のぱっちりした綺麗な子だった。その姉は五年生の級長をしている私の受け持ちである。
Y子はいつもおかっぱ頭を綺麗に手入れしている。
西峰もそうだったが山村の女の子には頭にたかる虱が多かった。 西峰の時はその検査を女先生が時々していた。
この学校でも衛生日にUかK先生が交互に女生徒の虱検査をしていたが、めったに卵を髪にもつ子はいない。貧しい山村だが燃料が豊富なので風呂だけは毎日入る風習で衛生的には問題がなかった。 Y子は虫が大の苦手で可愛い蝶々も近くを飛んでるのをみただけでわっと泣き出すのだ。
K盆地での自炊生活に、U先生が時々援助の副食を作ってくれるのでS大儘の家と比較はできないがそれでも戦時中としてはいいほうだった。
その頃は太平洋戦争の推移の厳しいニユースばかり耳にした。ガダルカナル撤退、女子挺身隊の発足、山本五十六連合艦隊司令長官のソロモン海域での戦死、学校にも『撃ちてし止まん』のポスターが配布された。