吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

カウライ男の随想 三十五

2005年11月19日 08時29分05秒 | Weblog
カウライ男の随想 三十五

 六年生は男女あわせて十二名、五年生が十七名の複式学級なので男子生徒のみ十七名で翌日の朝から川に石積みをして高さ、一米ほどの低い堤防を五時間かけて完成した。川幅は十二米ほどあり、静かなせせらぎ音も消え、山村にしては立派なプールができあがった。 女子生徒を石の運搬にモッコ担ぎさせて協力させた。
 中の喜介は大工の倅で石垣積が大人なみに器用で、まるで監督気分で石組みを指図した。
 大きい石の隙間に小石をつめたがハヤの遡上に心配ないように喜介が魚道も造った。
 翌日、小曽木プール開きを上機嫌の校長の挨拶で行った。
…戦地の兵隊さんにまけないようにしっかり身体を鍛えて軍国少年魂を発揮するように…エヘンとは言わなかったが例のカツラを手でなでつけた。
 生徒のなかでやっと犬泳ぎできるものはわずか、五名だけだった。 川沿いの細長いの真ん中を流れる小曽木川は生徒の誰しもなじんでいたが、泳ぐより水中眼がねを使って鉄砲(水中でハヤを仕留める銛のついたゴム鉄砲)でハヤを捕らえる遊に夢中になった。 生徒逹はきらきら光る眼で水面を見つめている。
…先生が模範をしめすから良く見ておけっ!と私は上流の岩からとびこんでそのまま、石堤まで潜ったまま進んだ。ついでにそのままUターンしてクロールで上流の岩まで戻った。
 UとKの二人の女先生、それに子供逹、学校で泳げるのは私だけだった。
 全員、水に慣れるため、石堤の際にたたせたまま頭まですっぽり水中へ沈める訓練を繰り返した。
 今度はどれだけ水中で眼を開けて我慢できるかの訓練に入った。 ほかの子供達が十数秒で大袈裟に飛び上がるのに比べ、喜介は一分以上も水中にもぐったままだ。