吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

カウライ男の随想 三十七

2005年11月23日 12時59分06秒 | Weblog
カウライ男の随想 三十七

 夕方当主のT一郎が戻って門脇の小部屋に息子が正座してるのを不審に思って訊ねた。
 T一郎はすぐ私に文句をつけた。
…あんな仕置はけしからん!…とかんかんだ。
…躾です、自分のことは自分でとの約束を破った罰です…。
…他人にそんな躾頼んだ覚えはない!。
…はい分かりました…。
 私はS家を出る決心をした。
 S枝は申し訳ありません…主人は一本気なのでどうかいてください…と言った。
 私には大金持ちの一員としての暮しが耐えられなかった。
 このに電気で差別されたKがあった。村道から峠に向かって三キロほど急勾配の杉林の坂道を登ると辺りが開けて小さな盆地になっている。
 藁葺き農家が五軒、てんでに散らばって煙を空高くくゆらしているがどの家も電気がきていない。
 H家の馬小屋の隣に隠居屋が空いて居た。
 斜面につきでた土台が傾いてるので炉端もやや傾いている。
 ランプのほやを毎日磨くのが大変だったが誰に邪魔もされずに読書ですごすのが最高の幸せと感じていた。
 六年生の健一郎もこののH氏の次男で、兄は知力にかけて十七才なのに家でぶらぶらして、私の部屋の外にたたずんで…てんてい!泉の水…う、う、うめぇだわ!とどもって話しかける。てんていとは先生の意味なのだ。
 近親結婚なのかもう一人、精神異常の三十過ぎの男が日がな一日、炉端であぐらをかいて外を見ている。
 の姓はすべてH姓を名乗っている。
 夜の星の美しさは平地より高いせいか手がとどきそうに近い。

カウライ男の随想 三十六

2005年11月23日 08時28分11秒 | Weblog
カウライ男の随想 三十六

 毎日記録を発表することにした。
 それも水中呼吸停め秒数。小岩から堰までの泳ぎ分数。
 小岩から堰まで潜水秒数。
 それら三項目の記録を毎日ノートにつけて統計をとり、成績のいい生徒には褒美として鉛筆半ダースを私費で与えた。
 生徒逹の記録は目に見えて躍進した。
 ついで二千米の駆け足訓練を始めた。
 五、六年は二千米。三、四年は千米。と制限して自由に走らせた。 山村地帯の小曽木の生徒逹はなかなかの健脚ぶりを発揮する。喜介などは最初から七分三十秒を切って走った。十五才の体力検定では上級の成績である。
 山村の鄙びた学校だが生徒逹の活気や体力や教科過程の優秀さなどで府の教育庁から複式優良校に指定されて校長は北海道複式学級の視察に出張することになった。なにしろ始めての北海道なので私の中学時代の経験をよく説明した。青函連絡船は米軍の機雷攻撃を受ける恐れがあり、校長は戦地におもむくように恐れていた。
 ある日、学校から早退して家に戻ると門の所で次郎が自転車をなげだして小僧に整備を命じていた。
 いつも門脇にぴかぴかの自転車がきちんと置いてあったのは、小僧がそうしたのだと分かった。
…次郎!お前がいつも自転車の整備と整頓をしたのではなかったな!自分のことは自分で…と約束したではないか!金持ちの息子だからといってこの様はなんだ!小僧の兄の重雄は高等科を出て成績が凄く優秀だったが貧しくて上の学校に行けないので難関をとっぱして国鉄に入ったんだ…金さえあれば中学、高等学校、大学まで行って偉くなれるんだ!それにひきかえお前はなんだ!小僧部屋で座って反省しろ!先生がよし!と言うまでだ…。
 私は次郎にそう命令した。