吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

カウライ男の随想 三十一

2005年11月03日 15時51分22秒 | カウライ男の随想
カウライ男の随想 三十一 
 
 S家母屋と離れの隠居屋敷はともに萱葺でしかも贅沢な檜皮を入れた造りだった。山門を入ると左手に築山があり、大きな池に錦鯉がゆうゆうと泳いでいる。
 正面玄関だけで数坪もあり土間になって隅に青苔がはっている。 そこは六畳間で背後の松の大木の這う日本画の衝立の後ろは重厚に黒光りする木戸、そこから裏木戸に抜けるようになっていて、十六畳ほどの広さの厨房があり高い天井は直接囲炉裏の煙で藁葺き屋根裏が鈍い飴茶色に光っている。
 私は玄関間のすぐ隣の十二畳間にS家の次男、次郎と一緒に寝起きをして徹底的に勉強と躾を教えた。
 その部屋は厨房と広い土間横の茶の間と幅広い檜板をはった廊下をはさんであり、その隣は大きい客間、続いてS家夫婦の寝所、廊下をはさんで次女で府立九女にかよう智子の部屋に続く。
 私にとってこんな大家の屋根のしたに暮らすのははじめてだった。 この家の主婦のA婦人は隣村埼玉の東京帝大出身の村長の次女でT女子大出の教養ある女性である。主人は金持ちを鼻にかけるどこにも有り勝ちな私にとって嫌なタイプ四十代の痩せ男だった。
 食事は広い厨房で女中も一緒だった。
 私は最初から次郎の金持ち息子の我が儘ぶりににどうにもならぬ抵抗感を持ってしまった。
 学校から帰ると山門のそばに自転車を倒したまま、玄関を開けると、イシ!これ洗っといて!と弁当箱をほうり出す。
 私が机にすわって受験勉強といっても志望の上級学校をきめたわけではなく、ただ漠然とどこかの大学専門部でもと呑気に構えていた。それまでの習慣で英語、数学、国史、国語などの勉強をしたのだったが、次郎は学校から戻ると鼻声で…先生!これ教えてくれろ!と宿題の数学や国語問題を私の鼻先につきだすのだ。
 それでも最初は家庭教師の立場を忘れずそのまま教えていた。