竹村英明の「あきらめない!」

人生たくさんの失敗をしてきた私ですが、そこから得た教訓は「あせらず、あわてず、あきらめず」でした。

2011年を振り返る

2011年12月29日 | 自然エネルギー
「福島原発事故収束?」を書いてから早くも10日以上経ちました。今年は時間の経過が本当に早い。例年に比べ背負っている仕事量が格段に増えたせいだろうと思います。いろんな仕事を引き受けながら、その実アップアップになって、果たせていないことも多いです。ご期待の皆さん、本当に申しわけありません。

しかし、大変な1年でした。
今年はじめ、私の焦点は「上関原発」。
1月には祝島を自然エネルギー100%の島にするというプロジェクトを開始し、2月には中国電力による夜襲での埋立て工事強行。
これに対し、国会での緊急院内集会やらロビー活動やらで、本来の仕事が手につかない・・という状態に。
おりしも前年に開かれた生物多様性条約による海洋保護区に、田ノ浦(原発予定地)を含む長島の海をしていさせるにはどうしたら良いか・・などの、これまでの活動の幅を超えた取り組みにも着手しました。
緊急院内集会には400人会場に倍の800人が集まるなど、大きな盛り上がりを見せていたところに、3月11日、突如発生したのが東日本大震災。

それから以後は、「上関原発」阻止の活動も、福島原発事故による放射能汚染との闘い、日本のエネルギー政策を根本から変えるための活動という大きな津波に吞み込まれてしまいました。新規立地の白紙撤回は、日本のエネルギー政策を変えるということの中に十二分に含まれるからです。
大量に、かつ広範囲に広がった放射能汚染は、原発周辺自治体をして、自分たちの選択がどれほどリスクの大きなものだったかを否応無しに実感させました。
「激しい汚染に苦しむ」というレベルではなく、事実上は「自治体が消滅」することを意味したからです。

その衝撃を何故か緩和しようと必死に努めているのが政府です。
「除染」という無駄な努力が「国の責務」かのように言って、住めなくなった土地(強制避難地域)に、まだ人間を戻そうとしています。
本当は住めない土地(年間被爆線量が1ミリシーベルトを超える地域)からの避難を認めず、小さな子どもまで「強制居住」をさせ被曝を強要しています。
「被害を小さく見せよう」という悪しき体質が、この甚大な事故の後も抜けないようで、ますます被曝による被害を甚大なものにしています。
食べ物についても同じで、明らかに耕作してはいけない地域でも汚染レベルが低いかのように装って耕作させ、最後に出荷中止にして、人々の苦労を台無しにするという愚をおかしています。魚介類や蓄肉でも同じことが言えます。
放射能に汚染されたがれきまで他地域にもちこみ、除染した砂を受け入れろといい、放射性廃棄物となったゴミ焼却や下水処理場の灰は多少の放射能があっても埋めて良いなどと・・、もはやめちゃくちゃです。
そんなことをしていると、日本中が放射能だらけになり、ルールなき汚染国として、海外からの観光も、輸出産業も大打撃をうけるだろうにと思うのですが。

4月には被災地に自然エネルギーの電気と熱を届ける「つながり・ぬくもりプロジェクト」がスタート。私が事務局長となりました。
http://tsunagari-nukumori.jp/
寄付は今もまだ募集中です。

同じく4月には「eシフト:脱原発新しいエネルギー政策を実現する会」というネットワークが発足しました。
http://e-shift.org/

4月の広範には陸前高田や南三陸町に私自身が入り、津波被害の猛烈さを、この眼で実感しました。
6月には大きなeシフトのシンポジウム、政府のエネルギー政策に対する提言を準備する「eシフト市民委員会」というのも立ちあがりました。
http://e-shift.org/?p=1452#more-1452

8月には菅前総理の辞任とひきかえにした「再生可能エネルギー促進法(FIT)」をめぐる格闘があり、9月には孫正義氏による自然エネルギー財団が発足、それ自身は良いことなのですが、私の所属する環境エネルギー政策研究所(ISEP)とエナジーグリーン株式会社(EG)もこの大きな波にもまれることになります。
ISEPの代表である飯田哲也が、非営利の活動に撤することになり、ISEPとの両輪としてやってきたEGの代表取締役を辞任しました。
EGは10月から新体制に代わり、私は副社長となりましたが、普段と違う時期の株主総会や株主とのやりとりなどが発生しました。
9月にはeシフトの今年2回目のシンポ、11月にはEG社の新商品「個人向けグリーン電力証書」(「えねぱそ」)の構想も誕生します。
この12月は、「えねぱそ」の具体化実現のために奔走しておりました。
http://www.ene-paso.net/
(まだ工事中ですが、購入フォームからの申込みはできます。)

振り返ってみると本当に4つか5つの性格の異なる活動を同時並行で進めてきた1年だったなあと思います。
その間を縫って、今年は月に3回から5回の講演会もありました。
作成するパワポ資料のの中身が、3月から今日まで、講演のたびに激しく変わるという、文字通り刻々と事態の変化する1年でもありました。

しかし気がついてみると、政治はますます悪くなり、市民の力はまだまだ弱く、仕事の行方はますます不透明。
結局、破局的原発事故を受けても「変えられていない!」日本の現実があります。
正直なところ、大変な疲労感があるのですが・・、あらためて、このブログのタイトル「あわてず、あせらず、あきらめず!」の精神に立ち戻り2012年を迎えたいと思います。



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