ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

06.ちび猫が描く『面白くない話し』

2010-04-12 | 精神病理
第0006号



*****(制作終了)*****



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(『大人の場面緘黙症(ジストニアやイップスなど)』でお悩みの方は第0010号第0011号第0012号第0047号もお読み下さい。)







・『ブログ』を始めるにあたって⑥


皆様こんにちは、今日も楽しくお過ごしですか。私の方は仕事と人付き合いで忙しくて、ゆっくりパソコンに向かっている時間が作れませんでしたが、何とか飽きずに(少しずつでも)ブログを書いております。この第0006号以降は、内容の充実・簡易表現を目差すのはもとより、それ以上におバカな視点と自己表現での面白い読み物・楽しく考えるコトの提供をして行こうと思っております。





・本文(6)


「緘黙症(ジストニア)」はそれ自体の種類ではなくて、その対策を如何しているのかによって、大胆に三つに大別しています。

それは、射幸心のように、気力・気運を高めている『従来型の「ワクワク狙い」活動』と。
「代替え言葉(行為)」の使用と「笑顔」の、周囲への「認知」を進めている『新型の「リハビリ」活動』と。
治療方法や保険制度の不備を訴え。社会や他の「緘黙症(ジストニア)対策」をしている人達からの(より広くて・多数の)関心を集め。(大きな)社会に対して、「緘黙症(ジストニア)」の人達が合意し・「共存」し・「総意として」行動を起こして。「緘黙症(ジストニア)対策」の社会的有用性と協調性の向上とその「社会的に正当な承認」を目差している『社会型の「処置・治療」活動』です。


しかし・これでは、面白くもないし・楽しく考えるコトも出来ません!。
次回に期待しましょうね。







《『射幸心』や『信仰の放棄』などでもお悩みの方は第0001号・第0002号・第0003号・第0004号の概要もお読み下さい。》

~~~概要0004~~~

足が悪いまま改善しないと診断された時こそ自分が試されている時であるが、頑張ってリハビリに取り組み歩いてみせるんだと一途に努力し励むなら、“誠実な気力”がいつまでも湧き起こり真っ直ぐな“正しい気持ち”は永遠に、決して穢(ケガ)れる事がない。『大人の場面緘黙症』のための『場面緘黙症対策』も同じで、なかなか症状が改善しない時こそ自分の気持ちが試されている時であるが、どんなにうまく行かない事でも投げずに頑張り続けるなら、“誠実な気力”がドンドン湧いてきて「何があっても変節など決してしない」“正しい気持ち”を永遠に見失わない。
しかしこれでは、ただ“歩けない”だけだし、いつまでも『大人の場面緘黙症』なだけなのである。そして、ギャンブル依存症の人や、宗教の原理主義やカルトにはまり込んだ人も、同じような【袋小路(フクロコウジ)のロジック】に迷い込んでいるようなのである。みんな一度、「価値観や神秘観を機能停止」させてから、《自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する》という機能を自分の中に構築する必要があるだろう。


~~~概要0003~~~

足が悪いまま改善しないと診断された人が、普通に歩行しようとして訓練に明け暮れて、その一生を歩行訓練をする事のみに費やしてしまったとしたら、なんと不幸な事なのでしょうか。それと同じ過ち事を『大人の場面緘黙症』の人は『場面緘黙症対策』として犯しているのです。
車椅子に乗って遠くへ旅行したり、車椅子でするテニスやスキーを楽しんだり、車椅子で出来る仕事に励んだりする事を、誰が“悪知恵”だとか“変節”だとか“意気地無し”だとか言うでしょうか。『大人の場面緘黙症』の人も早く『場面緘黙症対策』を断念し、『代替え言葉』をどんどん使って、会話を楽しんだらいいと思うのです。


~~~概要0002~~~

「足が悪いまま改善しないと診断された場合でも、普通に歩行するためのリハビリを想定してその訓練に励む“努力”をする事は決して“無駄ではない”はずで、そういった“努力”が無ければ起こるかもしれない“奇跡”も決して起こらないし、たとえ歩行が出来なかったとしてもその“努力”は別の形で必ず“ご褒美”をもたらしてくれるモノだからだ」というような認識を持つことは、うまく行かない事の多い人生において“成功”を修める上で欠かすことが出来ないモノである、という考え方は『大人の場面緘黙症』には効果が無く、『場面緘黙症対策』としても通用しないのだが、それはその考え方が「自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する」という事を拒否するモノだからである。


~~~概要0001~~~

ギャンブル依存症や、宗教の原理主義やカルトと同じような、自分の行いを「とにもかくにも」“正しい”と判定できる事への『ワクワク!の心理構造』が『緘黙症対策』にも働いて、“かりそめの正しさ”に目を奪われてしまい。自らの理性で『緘黙症対策』を考える事を「“悪知恵”の穢(ケガ)れであり“リスクの積み上げ”としかならない」祓(ハラ)うべき“悪魔的衝動”と認識して拒絶してしまい、実質的な効果の薄い『緘黙症対策』ではあっても“変節”せずに続けていればたとえ少しも効果が上がっていないように見えても“時は満ちつつある”のだと認識して止められない。
これこそが『緘黙症』の本当の怖さなのである。





・参照


【『場面緘黙症』とは、“ある特定の場面でだけ全く話せなくなってしまう現象”であり、子供の時期ほど顕著に現れやすい症状ではあるのだけれども。
単なる人見知りや恥ずかしがり屋とは大きな違いがあって、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があり、“子供の時期の適切な手当て”が遅れてしまうと、成人になってからではなかなか改善しにくい傾向にあるみたいで。
そういった、少数ではあるが大人になってもしつこく残ってしまう症状の事を、特に『大人の場面緘黙症』と呼ぶみたいです。】

【『イップス』 とは、精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる“運動障害や随意運動の低下”のことであり、それに類似した症状などにも広く使われる呼び名でありますし。
『ジストニア』とは、中枢神経系の障害による“不随意(ふずいい:意のままにならないコト)”で持続的な筋収縮(きんしゅうしゅく:筋肉の一定的な収縮運動)にともなって引き起こされる姿勢(シセイ)異常に対しての呼び名であると共に、全身あるいは身体の一部が“不随意”に捻(ネジ)れたり・硬直(コウチョク)したり・痙攣(ケイレン)したりするなどの症状と、それにともなう“運動障害や随意運動の低下”の総称として用いられる場合もあるのですが。
『ジストニア』以外の“不随意”な症状で、自分の意思とは無関係に生じる不合理な動作・運動としては、手足や全身の『振戦(ふるえ)』や、上下肢(シ:手足)全体の振回し運動の『バリスムス』や、手足や頭などがくねるような緩慢な旋回運動の『アテトーシス』や、痙攣的運動の『ミオクローヌス』や、口周辺部や舌の異常運動の『口ジスキネジー』などがあり、発症部位や運動の規則性や・強さや・睡眠時の運動有無などによって分類されるモノです。
身体機能的にそれらを説明すると、身体バランスの調整・運動の円滑化に重要な機能を持つ大脳基底核(だいのうきていかく:大脳皮質(だいのうひしつ)と視床(ししょう)・脳幹(のうかん)を結びつけている神経核の集まりであり、哺乳類の大脳基底核は運動調節、認知機能、感情、動機づけや学習など様々な機能を担っている)を中心とした錐体外路(すいたいがいろ:運動神経線維(ウンドウシンケイセンイ:ニューロン)の遠心性経路(エンシンセイケイロ)で錐体路(スイタイロ)以外の経路(ケイロ))が阻害された場合に、異常な筋収縮が発生して、“不随意運動”が引き起こされる現象だという事になります。】

【『射幸心』とは、本来《射倖心》と書いて(しゃこうしん)と読み、ある程度の確率を伴う事柄において、良い結果が得られた時の高揚感を表す言葉であり、その“倖”の意味は「努力を必要としないで、予期せずに」訪れた幸せという意味である。
そのためか、幸運を得たいという心理による「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい、何時かは勝者になりたい」と思い期待してしまう心理状態を表す言葉として“広義”に使われる場合も少なくはないが、たいていは根拠の無い自信で自分だけが幸運を得られると思い込んでしまって、投機や投資や賭博や期待値の低い事業に夢中になって浪費してしまう傾向の心理状態を表す言葉として“狭義”に使われるモノである。】





・追伸:「緘黙症(ジストニア)」の三つの対策


1.従来型の「ワクワク狙い」活動(:射幸心の神秘的競争心(『{当たりルールの}黒ひげ危機一発ゲーム』方式の超常的世界観に由来していて、癒し系の効果が期待される{ハズレを考えない・奇跡を起こせる}開拓者精神)を利用して、「手間」や「思い」の純粋さ(一途さ)や・期待が膨らんでいく徳(実感出来る善行)を高め・積み上げながら、みんなを出し抜く快感を求める過程で強い「気力」を引き出し。「超常的世界観」なのを逆手にとって、「体のケイレン」による「無口な無愛想」を繰り返すのを「神聖な犠牲」だとうたって困窮する場面でも頑張りながら、みんなを出し抜くための「運気」を強引に高めようとする「神秘的頑張り屋さん」と言えるモノです)は。
度が過ぎて「はた迷惑」を(意図したかの様に)止めなかったり、ちょっとこけて「引きこもり」に陥ってしまったりするので、それなりの自己注意と・それ以上の周囲の見守りが欠かせません。

2.新型の「リハビリ」活動(:超常的世界観(『{当たりルールの}黒ひげ危機一発ゲーム』方式に基づく規則性の在る世界・宇宙・理の成り立ち)の曖昧さや不確実さの(単純な・表面的な)自覚を、奇跡への(制御不能による・発生の稀さによる・有用性の低さによる)不信を抱いたコトから(とりあえず)発想して、「体のケイレン」の解消を(未練や不安が有るのを隠して)あきらめてしまって、「無口な無愛想」での困窮を無くせる様な「代替え言葉(行為)」の使用に現実的に取り組んで・「代替え言葉(行為)」の使用をスムーズにする「笑顔!」を実質的に実践して・周囲を明るくする「代替え言葉(行為)」の使用で合理的にそんな自分を周囲に「認知」させるモノです)は。
精神的な反動を一旦引き起こしてしまい、意識の制御が困難になると、自分を取り巻く周囲に違和感を抱き始めて、周囲との元からあった「不公平」に不満がつのり・我慢が効かなくなって、「馬鹿にされたのだと」感じてしまったり、周囲の頑張る姿を見て・疲労が溜まっていただけで、「気力」や「運気」のエネルギーが吸い取られていると感じる『被害妄想』・『疑心暗鬼』に陥って、「食い物にされたのだと」思えてしまったりして、「身勝手な逆ギレ状態」に陥りやすいので、何時も・それなりの自己注意が欠かせません。

3.社会型の「処置・治療」活動(:この「緘黙症(ジストニア)対策」は、注射や薬の飲用に踏み込み・健康保険の適用を訴える事(恥をさらす行為)で、広く社会に「緘黙症(ジストニア)」の事(非社会的孤立性によって困窮している状況)を啓発する事が出来るとわきまえているのですが。それでも従来型の「ワクワク狙い」活動や・新型の「リハビリ」活動をしている人達からは、逃避行為だと非難されてしまうモノです)は。
この三つの「緘黙症(ジストニア)対策」をしている(細かく言えば「緘黙症(ジストニア)」の人の数だけの)者達が、(お互いが尊重し合って・譲り合って・助け合って)共存を果たし、(大きな)社会に対して(功を焦らず・過激にならず・利己的にならず)総意として主張し・社会にとっても有用と成る行動を起こす事を目差すのです。





・追伸:イスラームの取り組み方の問題


この「緘黙症(ジストニア)対策」が抱える、「非社会的孤立性」と同じ様な問題(矛盾)をその内に抱えているのが、((信徒の数が世界で一番多くてその数が今なお増加している世界宗教であり・その信徒同士の助け合いや共感を大事にしており・唯一絶対神(アッラーフ)への「絶対的な帰依・服従」を欠かさない唯一神教(アブラハムの宗教)であるはずの))『イスラーム』【【ムハンマドのクルアーン(後年ザイド・イブン=サービトらによって編集・文書化されたモノ)が絶対と言いながら後世にハディース(伝承:本文(マトン)と経路(イスナード)を伴っている:イスマーイール・アル・ブハーリーの認定し編纂した『ハディース』や・ムスリム・イブヌル・ハッジャージュの『サヒーフ』などの6書)を作り、クルアーンに内在する矛盾【クルアーンでは旧約聖書は「完全無欠」だと評され・新約聖書は「心理を照らす光」であると書かれ・さらには「クルアーンだけで十分と思ってはならない。聖書も読め」と薦め・その上まだ「クルアーンは聖書が正しい事を確証するためにある」とまで断言しているのに、そのクルアーン(預言者を名乗るムハンマドの語る(旧約)聖書の内容)とユダヤ教徒・キリスト教徒の(旧約)聖書の内容に食い違い(3つの時代と場所が混ざり合っている・その時代にない名称が登場する・人物が入れ替わっている・人物の死期が異なっている)があり、それを(ユダヤ人からムハマンドが)嘲笑され・ユダヤ人からイスラームへの改宗を拒まれた】は(旧約と新約の)聖書が(ユダヤ教徒とキリスト教徒の)人の手で歪曲・改竄が繰り返されて来たコトで発生しただけだと【クルアーンは神の言葉で唯一残されて来た最後にして最高の啓典[[他には旧約聖書で「モーセ(ムーサー)」に下された『モーセ五書(タウラート)』と・「ダビデ(ダーウード)」に下された『詩篇(ザブール)』と・新約聖書で「イエス(イーサー)」に下された『福音書(インジール)』も啓典(キターブ)と言われていて・(ムスリムの信仰箇条である6信の中の啓典では)クルアーンに並ぶ四大啓典に位置付けられている・しかしそれでもなお(その旧約と新約の)聖書は(本来の聖書ではないので・今なおいくつかのイスラム諸国で当然のように)禁書とされている]]なのであるから「クルアーンは聖書よりも優れている」・「ユダヤ人から聖書の話を聞いてはならない」といった事がハディースに記述され】主張しておきながら。せっかくの(アラビア語の古くからの文語であるフスハーで書かれたウスマーン版のムスハフで・今に至るまで人の手が加えられたコトがないはずの)クルアーンを『ムハマンド(文盲の預言者・シーア派:ムハマンドとその血縁の後継者のイマーム)の言行(スンナ:口伝として流布していた「預言者が人間として語った言葉」・「実際の行い」:範例・慣行:信仰の書・礼拝の書・断食の書・巡礼の書・聖戦・刑罰・血の代償など)を編纂したハディース』でわざわざ補完しながら矛盾を解消させてきた、悩み多き宗教】】であるのかも知れないのです。

そのため・いまだに、テロ(一部のイスラーム信徒であるイスラム教原理主義者達によるイスラエル・欧米(啓典の民(アフル・アル・キターブ):ユダヤ教徒・キリスト教徒)などへの自爆テロ)は無くならず・イスラームの宗派間(スンナ派やシーア派(それらのウンマ:イスラム共同体・イスラム組織)など)での争い(虐殺行為)が絶えず・文化的な水準の底上げもままならない(繁栄していた頃の(ままの)古い制度の中で、貧困や女性の社会進出の遅れなどによって教育や文化への支援が置き去りにされている)のであるが。
これはイスラームの問題(イスラームが原因)である訳ではなくて、イスラームの解釈の仕方(イスラームとしての(繁栄していた頃の)高貴で有用な世界的存在意義をイスラエル・欧米との民族主義闘争の中で見失ってしまった事)や・その実践手法(柔軟で包容力が高かった(繁栄していた頃の)イスラームが近年の困窮の中で自然に硬直してしまい・グローバル社会の中でわざと目立つ様に(昔以前の繁栄途上の頃のように)排他性の拡大に陥ってしまった事)や・取り組む姿勢(多様性や精神主義な(繁栄していた頃の)良い面が近年の指導者(の狭い宗教観とその意図)によって削ぎ落とされて、個人を縛り付ける道具の様にイスラームが(昔以前の繁栄途上の頃以上に)利用されだした事)が問題を引き起こしている様に見えるのです(「緘黙症(ジストニア)」が問題なのではなくて、「緘黙症(ジストニア)対策」が問題なのに似ている)。

イスラームの信徒同士が、宗派の違いや・部族の違いや・国家の違いなどで、戦争や・抗争や・テロなどを起こしてしまう様な事(昔から在った事)が無いように、(現代だからこそ出来る・見た目の形式的な統一を目差さずに・共存を認め合うように)お互いを尊重し合い・対等な関係を築き・協調が出来てから。その上で、イスラームの総意と言えるモノを持って(はじめて)、イスラエルや・欧米などと(対等以上の立場に立って)対峙出来るのだと思うのです。





~~~第0006号先頭へ~~~







ちび猫のコメント参照
次回につづく。


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1 コメント

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大いびき (ちび猫 【管理者】)
2010-12-22 19:29:11
『K』さんは『ちび猫』が大イビキで、睡眠時無呼吸症候群であるという事を、知ってはいなかったと思うのですが。
最近その症状が少し改善されてきて、夜中に寝るのが嬉しくてしょうがありません。

その方法はすごく簡単で、枕の下に座布団や折り畳んだバスタオルなどを少し差し込み、頭が少し斜めに持ち上がるように枕をセットするだけで良いのです。
誰でも改善させられる方法だとは言い切れないですし、個人差も相当にあるかとは思うのですが、試す価値は在ると思うのです。
『K』さんの周りで、イビキや睡眠時無呼吸症候群で悩んでいる人がいたら、一度進めてみて下さい。
もしかしたら、うまく改善出来るかもしれませんから。
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