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至仁至愛(みろく)の大神

神は大難を小難にまつりかへてゐるのに分らんか「一二三神示」

2015-05-21 | 一二三神示(ひふみ)
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2015年5月21日



☆「一二三神示」(ひふみ)

「神の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ、
神は大難を小難にまつりかへてゐるのに分らんか、
えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分らんか、

ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪(じゃ)のみたまぞ、
そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。
臣民は、神に、わるい事は小さくして呉れと毎日お願ひする
のが務めぞ、臣民 近慾(ちかよく)なから分らんのぞ、、、」

『天つ巻』24

神が大難を小難に留めてあることが分からんか?
非常にむごいことを小難に留めてあることに気付かんか?

ひどいことが出てくることを待つは邪、悪魔の御魂だぞ!

人は神に、悪いことは小さくして下さいと、
毎日、お願いすることが務めぞ!

近視眼的なものの見方では何事も分からんぞ!

「一二三神示」には恐ろしい表現の部分もあるが、
それは、最悪の事態の警告を発している。

意識改革で
大難を小難に、小難を無難に!

人間の改心、輝きが救いになるのだ!




「神が臣民の心の中に宝いけておいたのに、
悪にまけて汚して仕まうて、
それで不足申してゐることに気づかんか。

一にも金、二にも金と申して、
人が難儀しようがわれさへよけらよいと申してゐるでないか。」

『地つ巻』16

神が人の心の中に宝を秘めておいたのに、
悪に負けて汚してしまっている。
それで不足を申していることに気付かんか?

一にも金、二にも金と言って、
人が難儀しようが、
自分さえよければよい、と言っているではないか?
“他人の不幸は蜜の味”の心では気の毒になるぞ!
試しているのぞ!

こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ!




「まことの善は悪に似てゐるぞ、
まことの悪は善に似てゐるぞ、
よく見分けなならんぞ、
悪の大将は光り輝いてゐるのざぞ、
悪人はおとなしく見えるものぞ。」

『地つ巻』17

日本人なら真の悪を見極める目を持たなければならない!

「悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ。」
『天つ巻』05

執着にハマってサトれない輩は放っておけ!



☆ブッダの台座の花は蓮の花である。

蓮の花は仏教では仏の智慧や慈悲の象徴とされる。


「蓮は泥より出でて泥に染まらず」
蓮は泥の中から生じても、清浄な美しい花を咲かせる。

ドロドロした悪の世に生まれても、
決して悪に染まることなく、善の花を咲かせよう!

般若心経、一二三、神道、陰陽道等は
悪魔崇拝だ、裏社会に支配されている、
という意見もありますが、
悪の世ですから、本物は何でも悪に利用され支配されている。
悪平等、悪公平なのは当然です。

本物の善なら、泥の中から「真実」を見出し、
善の花を咲かせ、光り輝きましょう。
本物の善の輝きには、悪もまぶしくて敵わないはずです。
それが「善」の役割りだと考えます。


善も悪も創造主が作ったものです。
神にとっては善も悪もありません。
善も悪もないのなら、
悪の世で、善の役割は損だとかいう
損得勘定の次元ではありません。

天の帳簿には悪業、善業が
しっかりとカウントされている。
最後の審判で裁決を下されるのだ!

悪が極まった世だからこそ、
善の力、善の光が必要なのです。

善と悪は陰陽表裏一体です。
善には善の役割、悪には悪の役割があります。

悪は自分たちの利益のためにやっていると思って
いても、全て仕組みの上でやらされているだけです。

「悪いこと通して善くなる仕組、よく心得よ。」(一二三)

悪いことを通して、善くなる神仕組みがあるのです。
厳しい、苦しい道のりですが、
大峠を越えれば、
新しい世、弥勒の世へ

PS.
「水清ければ魚棲まず」
清廉にすぎると、かえって親しまれない。とも、、、

仏教の「中道」を歩みますか、、、
ただし、いつも真ん中にいればいいという訳ではない。
両方とも大切にせよ、ということです。

私の感性で「一二三神示」は本物だと思います。
偉そうなことを書いていると思われるかもしれませんが、
それだけ、恐ろしい地獄を体験してきているのです。
それが、私の血、肉、骨となり、活力となっているのです。
だから、人の痛みがよく分かるのです。




ありがとうございました!
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