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チェ 28歳の革命 見てきました

2009年01月12日 08時37分18秒 | move
革命戦争回顧録 (中公文庫)
チェ・ゲバラ
中央公論新社

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●総評
まずエルネスト・ゲバラをどのくらい知っているかによって見た時の感想がガラリと変わると思います。
何故かというと作風がドキュメンタリー形式でカストロ議長を含め作中には一切の説明がありません。

ラウルって誰よ?とかシエラ・マエストラって何処?ではお話にならないレベルです。
そのため映画を見る前にゲバラが書いたこの「革命戦争回顧録」は必読です。
ゲバラは「ゲリラ戦争」の方が有名なのですが、キューバで何をやったのかでは回顧録の方が詳しく書いています。
付け加えていうと「革命戦争回顧録」が原作と言っても過言ではありません。
映画はこれに書いてある文字、資料写真をベースにドキュメンタリー形式になってます。

映画の展開はメキシコからでカストロとの出会いから始まる革命戦争とキューバ革命以後のゲバラの国連演説の2つのシーンを絡ませ合いながら進みます。

ゲリラ戦闘の過酷なシーンもそうですが国連演説シーンも白黒画像でわざとざらつきを出し険悪で切迫した雰囲気を出しています。


●ゲバラについて
一般的にゲバラと言えば革命、共産主義、左翼、浦和レッズなどのイメージを持ち、公式な場所では軍服だったため腕力で登ってきたような感じがますが彼はアルゼンチンのインテリ層の医者でした。

このイメージは政治的な戦略の高かったカストロと比較されてついたのかもしれません。
実際には狡猾なカストロに対しピュアなゲバラな感じだったように思えます。

メキシコでフィデル・カストロに出会い、キューバ革命に従軍医師として随行、後にゲリラ兵士となり頭角を表します。
頭角を表した理由の一つに彼が珍しい最前線に立つインテリ層の活動家だったことが挙げられます。
行軍中も圧政により文字も読めない人々の中でかなり希少な存在だったと思われます。

革命後は組織ナンバー2でありながら絶大な人気もあり次第に他者との軋轢が出てきます。本人もキューバ人ではない事は引け目としてあったようです。

そしてキューバと同盟関係にあるソ連を痛烈に批判したことからカストロとゲバラを退陣させなければ同盟を解除するとソ連からつきつけられ、結果キューバから出ることになります。
これ以降は革命家として各国を回りますが、コンゴでは兵士の士気の低さのため失敗し、ボリビアでは農家の理解が得られぬまま逆に通報されるなど補給戦、情報戦につまづき、結果ボリビア政府に捕縛、処刑されてしまいます。


●20世紀の最大のカリスマ
彼を表現する言葉で20世紀最大のカリスマがあります。

一言で言えば「ぶれない生き方」、この一言につきます。

作中に出てくる国連演説は言わば敵中演説であり、アメリカになびく国々の中での建国の意思を表したものです。
そして論だけではなく行動を示した人でもあります。
ゲリラ戦争では最前線に立ち、工業相になった時は午前中は農作業、工場で働き、午後政務をとったという話もあるくらいです。
またゲリラ行動中もザックに常に詩本を持ち歩き(ザックに20kgの本が入っていた時もあるようです)、暇があれば読んでいた事やゲリラ兵に文字を教えていた言う話もあります。

ぶれない生き方、実直な人、そんなところがカリスマたる所以なのでしょう。


●ゲバラの思想
一言で共産主義と括られる事が多いですが共産主義の代名詞のソ連は痛烈に批判しています。
彼の求める共産主義は村社会がベースでそれがともに国を形成されている国家です。つまりが地位的弱者の生産者が国を作っているといった考え方です。

そのため同じ共産主義でも中央集権、帝国主義にはアメリカと同等に批判をしています。

しかし資本主義国家では共産主義、国家転覆、ゲリラ戦士から無頼漢、粗暴といったダーティーなイメージを植えつけられ、それはソ連崩壊までついて回りました。
また後の学生運動、やテロリスト、過激派左翼に崇拝されたため、さらにダーティーなイメージを助長したことはいうまでもありません。

そのため9.11以降の資本主義国家の迷走までゲバラの正当な評価がでてくることはほとんどありませんでした。


●個人的感想・・・全てを理解できないが共感はできる・・・
個人的には共産主義はあくまで理想であると思います。

共産主義は分配する共有の世界です。
その一方、共産国では人は次第にやる気を失っていき、やがて社会全体にほころびが出てきます。

また資本主義はいわば資本を基にした支配の世界です。
やる気は出ますが、独立や自由として戦って勝ち得たのに王制との違いは殆どありません。
どちらの方がいいと言った主義の優劣の言及は避けたいところですが、ゲバラは共産(共有)に対し理想を見たものと思われます。

彼のやってきた革命はどんなに言葉を重ねても戦争であり、略奪であり、人殺しです。
気に食わないなら殺すでは支配者(彼と戦ったバティスタや資本主義)と同じです。
そのため彼ほどの才気があるのならもしかしたら武器を取らずに何かなし得たのではないかと思ってしまうのです。
また、今戦わなければ大事なもの(社会的弱者)を守れなかったというのも事実です。
そのせめぎあいの中で武器を取り、最前線で戦った彼を単に人殺しという言葉だけではすまされないものと考えます。彼はいわば社会的弱者の代弁者だったと思うのです。


キューバの社会的弱者→何とかししたい→キューバ革命成功
ボリビアの社会的弱者→面倒だしどーでもいいんじゃないの→ゲバラ処刑、革命失敗

こうしてみるとゲバラ本人の素質以外にもキューバでは皆が求めたからシンボル(カリスマ)になれたとも思えるのです。

●日本とゲバラ
最後にコネタ。ゲバラは革命後、訪日しています。
アメリカから敵視され、ろくな国交が開けないキューバのためにアジアに売り込みにきました。
訪日中はトヨタ、ソニーなどを視察し、広島の平和公園で戦没者に献花するなどしましたが、アメリカとの同盟関係にある日本では通商条約までこぎつけませんでした。
実際日本とキューバの通商は来日後1年もかかりました。

当時の日本政府としては来るというだけで頭痛の種だったのかもしれません。

もっともゲバラは外交もそうですが大戦中、唯一の被爆国の日本に強く興味を持っていたのは確かなようで広島行きは彼自身が希望したといわれます。