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利子について

2008年11月24日 06時32分40秒 | Finance
利子について


資本主義の中核を任う利子、イスラムの世界では御法度とされています。

イスラム金融にもちょっと書きましたが利子がいけないとはどうなんでしょう?


利子とは何なのか?

●一般的な利子の考え方
これを説明できる事は簡単ですが本質的に理解している人は非常に少ないのも現実です。

一般的にお金を貸す人が借りる人に対して資金提供の見返りとしてマージンを受け取る事と認識されている方は多いのではないでしょうか?

これは一般的な経済学や金融学の教科書で書かれている内容で合ってますが、本当にそれだけでしょうか?

●貸主と借主
「借りる人は貸す人へ自ら奴隷になる」
たまにこんな表現をするする人がいますが概ねこの表現はあっていると思います。

借りた人は借りを作る事で心理的に立場が弱くなるを理由にする人がいますが本質的にはそれだけではありません。

ほとんど場合、利子や利率は貸す側が決めています。そしてそのベースになるリスクに応じて利子は高くなります。
しかしこのリスク構造、何かおかしいと思いませんか?

簡単に書いてしまうとこのとりっぱぐれないためのリスク、そのまま借主に転移していることが分かります。
つまり貸主はお金から債権に変えるだけで評価金額が上がります。それも元本+本当にあるかないか分からないリスク代です。

ここで最初の言葉を出しましょう。
「借りる人は貸す人へ自ら奴隷になる」
利子が一割なら借りる人は自ら進んで貸主に一割の無償労働をしている訳です。

元々労働とは何かしらの活動により雇い主から対価としてお金などをもらうことです。
お金を借りるとは構造的にはこの労働を真逆を行っています。
言うなればタダ働きを進んでやることに相違ありません。
それも社会的信用といった先ほどのリスクよりはるかに高いリスクをかけて。
借りるという行為は本来こう言った意味があります。
そう思うと簡単には借りられませんね。

●マクロの中での利子
利子の問題点は貸し借りだけの問題に留まりません。
実経済と金融経済に乖離が生じます。

仮にある人が事業を行うため貸主から100万円を借り、一割の利子を払うとします。
この人の売上が
120万なら110万円は貸主、10万円は自分に残ります。
110万円なら110万円は貸主、自分は0(タダ働き)です。
では売上が100万円ならどうでしょう?
貸主は100万円回収、自分は10万円の借金を作る事になります。
まぁこのお金の仕組みは特段変哲もなく普通の考え方のように思えますね。

しかし最後のケース、これは大きな問題をはらんでいます。
それは先ほども話した「実経済と金融経済の乖離」です。

実経済が売上、金融経済が元本+利子だとした場合、最後のケースは利子分は実経済には存在しません。
しかし帳簿上では載ってきます。つまりこの世界のどこにも存在しないお金が載ってきている訳です。

世界はこの「世界中どこにも存在しないお金」に振り回されているという次第です。


●資本主義という絶対君主制
この存在しないお金の差分をうめるため企業は日々過酷なノルマを負い、それが部門のノルマになり、従業員個人のノルマと降りていきます。
ヒエラルギーが存在しますが明確に違うものは貸主と借主の関係ですね。
資本主義とはそういう世界です。貸す借りるそこには明確に違う世界があり、貸す側も沢山資金提供すればするほどリスクも減っていき社会の圧力も減っていきます。逆に借りる側でも底辺に近づけば近づくほどリスクも増えていき、社会の圧力も高まってきます。


●実経済と金融経済の乖離、お金がだぶつくわけ
話がずれました。
この実経済と金融経済の乖離をもうちょっと見てみましょう。
計算を楽にするため実経済を100、金融経済を110とします。
これをマクロに見ていった場合、どこにも存在しないお金の差がそのままお金の価値を下げていきます。
おまけに利子分が全体から債権者の持っている比率を上げます。

この例で言えば価値の下落は110/100なので0.909の価値まで落ちています。

一般的にお金は過去の方が価値があり将来の価値の方が低いのといわれるのはこのためです。

たまに酷い経済学の話だと経済活動が活発になりインフレ気味になりお金の価値を下げると説明しています。
この要素は否定できませんが利子の要因が遥かに大きいのは確かです。偽札じゃないけど民間でお金を刷っていると同じ意味ですから。

経済学ではお金の価値を上下する要因にはお金の流通量としていますがこれには限界があります。
利子が10%だからお金の流通量も10%減らすとは行きません。そんな椅子とりゲームのようなことしたら遠からず破たんすることはだれの目からも明らかですから。

戦後の一カ月の給与が2千円、現在では2~30万円とお金が釣り合わないのもこのためです。1/10以上価値が下がっています。
利子はお金の価値を下げ、利子を受け取る人の金額を全体的な比率を押し上げます。

いわゆる金貸しがイスラムを含めたほとんどの宗教や(昔の日本など)社会で蔑まれたのはこう言った事情があるからだと思います。


●金貸しは悪いことなのか?
この問題は非常に難しい問題ですがそれによって助かった人もいるのは確かです。
また金貸しの代表的な存在の銀行は実経済に大きな影響を持っています。借主は出資者を探しに西奔東走せず本業に打ち込めるといった利点や預金者に自分が持つより安全な金庫を提供し、なおかつ人にお金を貸すことができない人たちに(雀の涙ですが)利子を享受できる場を提供しています。
この面をみれば銀行=社会の悪とも言いきれません。
つまりこのシステムを使うのも自由、使わないのも自由なのです。また運用者もどう運用するのも自由。それが自由経済なのですから。


●膨らんだお金はどこへ行く?
いよいよ本題です。
実経済から乖離した金融経済はどうなるのか?
簡単に言えば実経済に戻ります。

株の指標の中で統計を使ったσがあります。
いわゆる標準偏差を求め、どのくらい離れているのかを見ます。上下に大きく触れている場合、中央に戻る圧力が強まります。

これと同じように実経済(標準偏差)から離れた金融(株価)は実経済に戻る動きをするでしょう。

今世界はお金が余っていると言います。その浮いたお金をどう引き込むのかが地域経済発展に大きく影響します。
しかしこのお金の実態は利子から発生したお金とも言えます。

世界金融危機と言われている現在の実態は実経済に戻るためのプロセスとも言えます。
それはバブルとも言われているように世界に存在しないものが消えていくプロセスでもあるのです。
この縮小傾向にある流れの立ち回り如何によっては更なる増大(金額を維持できればパイの縮小と合わせ自分の比率は上がるので)の可能性を秘めているとも言えます。

しかしこういった金融危機は回避できません。
それは利子をはじめとした金融システムの不備、つまりは人の業とも言えるものにブレーキをかけられないからです。

金融システムは穴だらけでその上にいくら計算や論理を重ねても結局は答えは大きく変わってしまうのです。
何か安全なように言われているものがあれば眉つばもので見ていく慎重さが生き抜くうえで必要と思われます。