映画でお喋り♪猫とひなたぼっこ

もと映画少女の”猫”のお喋りです♪

この頃思うこと

2006年11月06日 | 昼休み日記

さっき いきなり滝のような雨が降ったけれど
今は 曇り空。
久しぶりの 昼休み日記です。


今朝の新聞は
「自殺」のニュースが載っていなかった。(とりあえず一面と三面記事には)
このところ 連鎖反応のように 自殺(或いは自殺未遂)が報道され
毎朝 新聞を開けるのが 憂鬱だった。
(私はTVをみないので そういったニュースソースは新聞のみ)

学校に行っている子供が自殺すると
なんだか みんな学校のせいにするような 記事ばかり載る。
読者欄でも
親が子供を守りましょう。 とか 自殺は罪です。とか・・
という意見は 少数で
みな 「いじめ隠し」に対する批判ばかり。

これは 学校教育の問題じゃなくって
家庭教育の問題ではないか????

「人の嫌がることをしない」
「自分がされて嫌なことは 他人にはしない」
「でも 人はみな違うんだから もしかして 自分が平気なことでも他の人は 嫌かもしれない」

「世の中には いろんな人がいる。 イイ人ばかりではない」
「先生だって人間だから 間違う事だってある」
「人の口に蓋は出来ない」
そして
「いじめられる事は 決して恥ずかしいことではない。」
「いいがかりを つけてくる奴のほうが 恥ずかしい人間なんだ」
・・・と
生き抜く力を与えてあげることだって 大切なんじゃないだろうか?

多分 学校の先生に言われなくたって
子供達は
「いじめが いけないこと」くらい 知っている。
それでも やりたがるのは なぜなのか?

大人の世界にだって いじめ(差別)は存在することを
みな 
認めて 
そこから 議論をスタートしなければ いけないんじゃないか・・?


子供を持つ親として
子供時代に 「ハバ」にされていた一人として
・・思う。




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6 コメント

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いじめの原因 (夏みかん)
2006-11-06 20:19:06
いじめは学校から始まったものでなく、社会の産物である。子供が成績や受験競争などの不安に耐えられない抑圧体制から始まったものだ。抑圧され続けて欲求不満の固まりになった子供たちが歪んだ形で不満を噴出させたのが、いじめである。いじめは学校だけの責任でなく、そんな学校を温存させている社会の責任。学校のいじめは、社会の中にいじめが存在することを反証している。人間は低級で卑劣な社会的動物である。人間は皆、社会の中で自分より劣る者の存在を期待する。政治家・教育者はたえず問題提議し確認し社会不平や矛盾と戦わねばならなない。
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この文の出典どこは?どこかな? ()
2006-11-07 09:42:11
>夏みかんさん
コメント書き込みありがとうございました。
どこかの本からの引用ということですが
できれば出典を教えて下さい。

>人間は皆、社会の中で自分より劣るものの存在を期待する
という部分がひっかかります。
確かに
「他人の不幸は密の味」といいますが
皆が皆じゃないと思うのです。

子供の場合は 書かれたような事も要因になるかもしれませんが
「自分」が「ある」人
(いい意味で自分に満足している人=自己実現している人?)は
他人の不幸を願ったり
他人をねたんだり(うらやましがるのではなく)することは ないと 私は思っています。
ちょっと イジメから論点からずれましたが・・・
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出典はディアピョンヤンで (夏みかん)
2006-11-07 20:27:41
紹介した「 セーヌは左右を分かち、漢江は南北を隔てる」です。作者は韓国人です。子供の欲求不満解消の形としてのいじめは彼等が見て感じた社会現象を、子供たちが意識的・無意識的にまねることから始まる。例えば日本の学校のいじめは、在日韓国人・朝鮮人と被差別民を差別する、当然と見なしている日本社会と深い関係がある。日本社会の多数の世論がこれを黙認しており、在日韓国人・朝鮮人と民はこうした現実にあきらめている・・・そうです。
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苦手 (冴子)
2006-11-10 09:16:32
私は小学校を5回も替わっており、田舎から都会へ、都会から田舎へ、と色んな経験をしています。
今ならさしずめイジメの対象になりそうな話ですが、私達のころにはそんなものはなくて、普通に暮らしていけましたからね。

私自身の経験としてなないのです。

でも次男が小学校の頃、サッカーをやりたくて、サッカー少年団に入っていたのですが、あまりうまくなく、体形もそろそろぶくぶくと太り始めていたので、格好のイジメの対象になっていたのです。

ちょうど主人がいつも練習や試合についていってたので、現場を見てしまい「が~ん!」と、そいつらに言ったので、それ以降なくなったようです。

まあそういう個人の経験談はさておき、私も感じるのは、最近の子は親との家庭での会話に不足している、或いはあまり構ってやってない、などの欲求不満がたまっていて、それがイジメと言う形ではけ口を求めているのではないか、と感じています。

なので昔のように、親にも時間的に余裕があり、家庭内で十分な対話のあった時代にはなかったのではないか、と思うのですが…

何かあるとすぐ自分の家庭を顧みることなく、学校のせいにする、友達のせいにする…という親の態度を改めない限り、なくならないんじゃないかな~と思うのですが。
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カメレス失礼します。 ()
2006-11-10 12:30:24
今週は 公私共に忙しく 久しぶりにネットができました。
故に カメレスになりました。

>夏みかんさん
韓国の方が 自分の差別体験から感じて書かれているので
在日問題とか  問題から
はじまった・・と感じるのは ごもっともなのかもしれません。
今の「いじめ」の根底には
「差別」意識がある・・というのは そのとおりだと思います。ただ
子供達には そこまでの意識はないように思います。
ただちょっとした イライラ・・もって行きようのない思いを ある「モノ」にぶつけている。そして
そうすることで 自分がスッとしている(ように思っている)ような気がします。
そういう思いを
昔は ノラネコに石をぶつけたり
他の形ででていたものが
同級生(或いは 下級生)に対して ぶつけてる。
そんな気がします。
「想像力」の欠如も大きな問題だと思います。
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家庭での会話 ()
2006-11-10 12:38:15
>冴子さん
自分を反省すると
上の子たちのときは 下にかまけて
ゆっくり話しを聞いてあげれなかった思いがあります。
聞かなかった=ゆえに 話さない
子供に育った 気がします。
下の子たちが よく話しをしてくれるのに
どうして上の子達は 何も(学校のこととか)話してくれないのか?
考えた挙句 私なりに導いた結論でした。
ゆえに 
今 子育てしてみえるお母さん達には
(お父さんでもおじいちゃんおばぁちゃんでも構いません)
小さいときに 子供の話しを聞いてあげてくださいね。
ということ。
親が聞けば 子供は話します。

え~~汗・・
なんか 「いじめ」の話しから飛んでしまいましたが。

どちらにせよ
簡単になくならないものならば
せめて それに対処する方法を考えるべきですね。
とりあえず
「死ぬな」と 声を大にしていいたいです。
これは 便乗?して 死ぬ大人たちにも 言いたい。
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