日本語教師を生業として、けっこうな年月が経った。
毎年同じことを繰り返しているようで、学生の顔ぶれが変われば、やっぱり授業も教室の雰囲気も変わる。
「以前準備した教材があるから、同じ物でいいや」と思って油断すると、上手くいかないこともある。
その中の一つが、例文に出てくる単語。特に、電化製品に関する言葉。
「その(カセット)テープ、もう聞きましたか」という文章があったとして、今の子は「テープ」が分からない。
テープを使わないから、「テープレコーダー」も「ラジカセ」もピンと来ない。
同じく、ビデオテープも見たことがないし、なんなら、もうCDもDVDも買うことがないだろう。
FAXも使ったことがないだろうし、手紙を書いて、切手を貼って、郵便局から送る経験もないかもしれない。
ブラウン管のテレビのイラストを見ても、「電子レンジ?」と思うし、ラジオのアンテナを伸ばして電波を拾うことも「?」なこと。
一世を風靡した「ウォークマン」でさえ、詳しく解説しないと、どんな機械なのか理解してもらえない。
近いうちには、パソコンも分からなくなるかもしれない。
現に、キーボードも打てず、マウスも操作できない大学生が増えているという。
品物だけではない。例えば、電話の会話。
「もしもし、○○さんのお宅でしょうか。私、○○と申しますが、△△さんはいらっしゃいますか?」
自宅に固定電話が無くなり、直接本人の携帯に電話をかける今、もうこの会話を覚えるのは無意味かもしれない。
「あのね、私が学生の頃はね、携帯電話なんて無いから、好きな人の家に電話をかけるのはドキドキしたんだよ。もし相手のお母さんが出ようものなら...」
こんな話を聞かせると、学生は興味津々。もう完全に「昔話」だ。
会社で知らない人からかかってくる電話を取るのが怖いという若者もいるそうだが、その気持ちも分からなくもない。
スマホ決済が主流になりつつある中国では、「財布」「現金」といった単語の意味が分からないという人が出てくるのも時間の問題だと思う。
紙の新聞、雑誌、ノートなんかも“死語”候補。
日々、言葉に関わっているからこそ、ものすごいスピードで世の中が移り変わっていくのを感じる。
先日、「私の趣味」という簡単なスピーチを学生にしてもらった。
男の子なら、バスケやサッカー、“オタク系”なら、ゲームや日本のアニメが好きという基本路線は変わらないが、近年は「中国も変わったな~」と思うことが多々ある。
例えば、「ゲームが好きなので、VR(バーチャル・リアリティ)のゴーグルが欲しい」とか、「映画が好きだから、家にホームシアターを作りたい」とか。
今までは学生の口から出てこなかったであろう言葉に驚かされる。
『みんなの日本語』という教科書の付属DVDは昨年リニューアルされ、例えば、写真を見せる時もタブレッドを使ったり、ずいぶん実際の生活に近いものになったが、これも10年持つかどうか....
十数年前、私達はスマートフォンを見たこともなかった。
10年後、たった10年後、私達がどんな環境に身を置いているか、想像もできない。
「何?あの画面にタッチして、指を滑らせて、写真を見る変な道具。今は、手に埋め込んだチップで何でもできるんですけど」
「『かぎ』って、何? 『リモコン』って、何?」
こんな会話が聞かれるのは、もうすぐかもしれない。
あ~、また、教材作り直さなきゃ....