飛来飛去 ~風の吹くまま~

中国・遼寧省瀋陽在住歴十数年。
最近ネタぎれ気味ですが、何気ない、でも誰かに話したい日々の発見を綴ります。

カードを作ろう!

2011年04月12日 | キャンパスライフ

以前にも紹介したが、うちの大学の食堂は、なかなか充実している。

だから、春節をはさんだ冬休みの間は、ずっと食堂が閉まっていて寂しかった。

朝の豆乳ひとつ取っても、外まで買いに行くのは不便だし、値段も高い。

 

3月、新学期が始まり、「やっと食堂のご飯が食べられる」と思って食堂に行ってみると...

「現金支払い禁止!」の赤い横断幕が!

「えっ!どういうこと?」と思い、お知らせの貼り紙をよく見ると、今後は学校の食堂カードだけの支払いで、現金で買うことはできないらしい。

実は、学生や先生、職員達はみんなチャージ式のカードを持っていて、食堂でそれを「ピッ」とスキャンさせてご飯を食べる。

しかし、その場で現金での支払いも可能なので、私はあえてカードを持つことも無く、普通の飲食店のようにお金を払っていた。

でも、今後カードだけになったら、私はどうなるの?

しかも、現金での支払いに応じた店は罰金もあるらしい。

 

「私もカードが欲しいな」と思い、とりあえず、外国人教師担当の事務所に尋ねてみた。

副所長がいなかったので、事務のお姉さんに伝言。...しかし、一向に返事が来ない。

こんなことはよくあるので、またもう一度、お願いに向かう。

「今、外国人教師のカードをどうするか検討中だから」

そう言われると、しつこく催促するのもあんまりなので、しばらく待つことにした。

事務所の人には「お金で払っても大丈夫だよ」と言われたが、「もし私のせいで、お店の人が罰金を取られたらどうしよう」と思うと、食堂に行きづらい。

いちいち「現金でもいいですか?」と聞くのも、なんか嫌だし...

 

それから、しばらく経ったが、やはり事務所からは何の連絡も無かった。

お昼に食堂へ行かない私を見て、同僚の先生達が気遣ってくれ、私の知らないところで、だいぶ動いてもくれたようだ。

しかし、いつになったらカードができるのか?誰も分からない。

 

そして、1ヶ月以上も経った先週のこと。

一人の学生が私のところへ来て、「先生、食堂のカードを作りたいですか?」と聞いてきた。

「ええ、もちろん!」

その学生は私に申し込みの場所や方法を教えてくれた。

でも、どうして学生がそんなこと知ってるの?どうして学生経由で教えてもらわなきゃいけないの?

どうやら同僚の先生がいろいろ調べてくれて、学生に伝言を頼んだようだったのだが、それよりも当の事務所が動くことじゃないの?(忙しいのは分かるけど)

 

学生にお礼を言って、次の日、私は自分でカードの申し込み事務所に行った。

窓口の人はすぐに申込書をくれた。しかし、そこには管轄部署の印鑑が必要だ。

申込書の書き方も分からないので、私は外事所に行くことにした。

申込書の記入はすぐできたが、担当の人がいないので、また、午後出直すことに...

夕方、担当者と連絡がつき、印鑑は無事にもらうことができたが、カードの申し込み窓口はもう閉まっている...

 カードの申し込みひとつで一体何日がかりなのか?

翌日、また窓口に行くと、担当者の人は、さっさっさっと手続きをしてくれ、預かり金の領収書と一枚のカードをポンとくれた。

以前の話では、カードに写真を付けたり、手続きが面倒くさいと聞いていたのだが、私のカードは「臨時カード」と言う物だったので、写真はもちろん、特別の審査も無く、すぐに手続きできた。

「申込書書くだけで、こんなに簡単なら、もっと早くできるでしょ~?!」

1ヶ月も引っ張る事でも無さそうだし...所長が忙しくても、事務員でも誰でもできるでしょ!

事務所の人に聞くと、他の外国人教師は誰もカードの申し込みをしていないのだとか。

アメリカ人が要求したら、すぐ動いてくれるのかな?気弱な日本人ひとりの力では足りないの?

 

中国では、何でも自分で積極的に行動しなければ、何も変わらない。

そのことはよく分かってるんだけど、やっぱり小心者のわたし...なかなか何度もは言えないし、ましてはキレることもできないし。

こんなとこで、ひっそりつぶやくだけ。

 

やっと食堂のカードを手にすることができた。

しかし、まだ今日はこのカードを使うことはできない。お金が入っていないからだ。

チャージの時間は午前中だけ!もう~!!!(時間外はATMでもできるが)

 


待って!

2011年04月10日 | 中国・瀋陽 暮らしの中から

瀋陽の桃の花も咲き始めた。

薄いピンク、濃いピンク、白い花もあって、ようやく春らしくなってきた。

通りや街角のちょっとした公園などにも、桃の木は結構植えられていて、どこを歩いても春を感じることができる。

しかし、何と言うか、美しくないのだ。

花はもちろん美しいんだけど、花の周りの芝生は荒れているし、ごみが捨てられているところもあるし、砂埃で空気もかすんでいるし...

「桃の花の下でお花見しよう」と、優雅な気持ちにはなれない。

せいぜい、くすんだ世界の彩でしかないような気がする。

以前は、桃の花が咲いただけでウキウキしたもんだが、瀋陽暮らしに慣れたせいか、もう一歩上を望んでしまう私がいる。

 

さて、先日、太原街の方へ行くことがあったので、帰りに伊勢丹に肉を買いに行った。

伊勢丹の新しい肉コーナーは、なかなか良い。

こちらのスーパーでももちろん肉は売っているが、ブロックか、或いは、しゃぶしゃぶ用の超薄切りの冷凍肉しかなく、しょうが焼き等にちょうどいい薄さの肉が無いのだ。

「自分で切ればいいじゃないか」という人もいるが、適度な薄さに切るのは難しく、面倒くさい。

なので、最近は、お肉は伊勢丹さんで買うことにしている。

高級な物だけでなく、手ごろな値段のもあるので、庶民にはありがたい。

 

伊勢丹での買い物を終え、いつものようにバスに乗って帰ろうと、中山路のバス停に向かった。

実は、今、この辺りの道路は封鎖されて、大々的に道路工事が行われている。

伊勢丹がある歩行者天国の所も工事中で、両側が行き来できない状態になっていた。

でも、その時はあまり深く考えておらず、何となく、人の流れに従って、いつもの感じで歩いていた。

道が封鎖されているので、北の方へ行くには歩道橋を渡るしかない。

そして、この歩道橋に上がってびっくり!

瀋陽駅から毛沢東の銅像がある中山広場まで完全封鎖。

ショベルカーとかがガッチャンガッチャン作業している。

 

「バスはどこへ行った?」

いつも車がひっきりなしに通っているにぎやかな道には、もちろん人も車も何にも無い。

ただの工事なので、地震の跡と比べては申し訳ないが、一瞬、街が無くなっちゃったような変な感じがした。

「私がいつも乗るバスはどこを走っているのか?」

とりあえず、逆戻りして、一本裏の細い道で様子を見ることに。

今まで中山路を走っていた番号のバスを見かけたので、ここを通るかもしれないと思い、しばらく待ってみたのだが、来る気配が無い。

「やっぱり大通りまで出てみよう」と、バスを待ちながらも、歩くことにした。

医科大学のある通りに出ると、偶然にも、私が乗るバスを発見!

よかった~。ここを走ってたのね!

しかも、運よく、バスは信号待ちで止まっている。

次のバス停まではちょっと距離があるが、走れば間に合うかも?

私は買い物袋をしっかり持って、急いでバス停に向かった。

大通りの交差点なので、信号の時間が長い。なんとか間に合いそう。

息を切らしてバス停にたどり着くと...

なんと、そのバスは通過!

もともとそこはそのバスの停留所ではないので正解なんだけど、でも、いつものバス停が使えないから、臨時で止まってくれてもいいじゃん!

結局、私はそれからさらに歩き、次のバス停へ向かった。

いつもなら、バス停1個分であっと言う間に着く距離なんだけど、どんだけ遠回りしたことか。

しかも、私、カンで歩いてるからね。知らない土地の人なら、絶対たどりつけないよ。

 

バスの中には「工事のため、〇〇停留所は止まりません。代わりに、△△停留所に止まります」と貼り紙がしてあるんだけど、それって、バスに乗らないと見られないし...

瀋陽の道路はここ数年、ずっとどこかしらでこのような工事をやっている。

私のように、どこへでもバスで行く人間は、その度に路線変更も頭に入れておかなければならない。

今年12月の開通を目指し、地下鉄2号線の工事も続いている。

一体何年かかるのかというほど大きなビルやホテルの建設も後を絶たない。

道路も相変わらずこんな調子だし、瀋陽の“完成形”は、いつになったら見られるのか?

 


若者言葉?

2011年04月07日 | 日本語教師のつぶやき

日本語を学ぶある女子学生が私に話しかけてきた。

「先生、日本語って、勉強すればするほど難しいですね。」

日本語に限らず、勉強とはそういうものかもしれない。

 

「私、日本のドラマをよく見るんですけど、若者の言葉とかたくさんあって、意味が分からないんです。」

最近は、OAの次の日には動画サイトに番組がアップされるので、学生たちもリアルタイムで日本のドラマ等を見ている。

 

「『ホタルノヒカリ』というドラマを見たんですけど、先生、知ってます?」

私はたまたまこの作品を見ていなかったが、出演者や大体のストーリーは把握している。

「それで、このドラマの中で、こんな言葉が出てくるんです。」

そう言って彼女は紙にセリフを書いてくれた。

 

「お見通しのこんこんちき」

 

「“こんこんちき”って、どういう意味ですか?」

真面目に、真剣なまなざしで聞いてくる彼女とのギャップがまたおかしくて、笑っては失礼だけど、笑わずにはいられなかった。

“こんこんちき”って、たぶん一生のうち、そうお目にかかる単語でもないし。

しかも、「若者言葉」じゃなくて、かなりさかのぼってる感じだし。

さすがの私も今まで一度も質問されたことの無いフレーズだわ。

 

“コンコンチキ”って、何だろう?

念のため、辞書を引いてみると...あった!!

①狐のこと ②ばか囃子などの拍子の音 ③人や物事の状態などを強調したり、冷やかしたりする語。

なんか、キツネがコンコン、人を馬鹿にしてる感じ?...なのかなあ?

中国語字幕は、どう訳したんだろうか?

 

久々、わき腹にパンチを食らったような質問だった。

 


厄除け

2011年04月05日 | 中国・瀋陽 暮らしの中から

清明節の3連休!

「やったー、のんびりできるぞ!」と思ったのも束の間。

土曜日は月曜日の振り替え授業だし、日曜日はいつも土曜日にやっている授業の振り替えで、結局、いつもの休みがずれただけ?

おまけに、前期に追試でも合格できなかった“1名”のための再々試験問題も6日までに出せとか言うし...

暖かくなってきたので、冬物の衣類や靴の洗濯&片付けもやらなくちゃ!

...と、ちっとものんびりできなかった。

 

清明節の本来の目的である「墓参り」は例年通り、混雑を避けて1週間前に済ませてある。

その帰り道、中国のママからビニール袋を1つ渡された。

「この中には、赤い布があるからね、1つは布団の下に敷くんだよ。もう1つはドアの所に付けてね」

中国生活も長くなり、年中行事は一通り経験したが、このようなことは初めて。

さらに、「桃の缶詰(中国ではビン詰め)も入ってるから、旧暦の3月3日に食べるんだよ」

 

なんかよく分からないが、今年の清明節は縁起が悪いらしく、特に、男性は気を付けた方がいいとのこと。

またどこからか情報を仕入れてきたママは「これは母親が息子にあげないとダメなの」とか言って、わざわざ厄除けの赤い布と桃を持って来たのだ。

赤い布は、要するに、しめ縄のような物で、邪気が入って来ないようにってことなのか?

で、「桃」は何の意味があるの?

「桃=長寿の象徴だから?」と聞いてみると、答えはNO!

「桃」の発音と「逃」の発音が同じだから、悪いものが逃げるようにだって。(ダジャレかいっ!)

 

迷信を信じないうちの相方は「“赤い布”業者と“桃”業者が組んで、儲けようとしてるんじゃないの?」とか言いつつ、「せっかくもらったから」と、せっせと言われたとおりに布団に敷いていた。

 

さすがに玄関の表に赤い布を付けるのは恥ずかしいので、ドア用のは部屋の仕切りの扉に。

(これでも効き目あるのかなー?)

 

ところで、この布、いつまで付けておけばいいの?

 

そして、晩の“デザート”は桃!

 

「あなたも食べていいけど、うちの息子が先ね!」と、ママに言われていたので、夫の帰りを待つことに。

別に、嫁いびりじゃなくって、男性の方に災いがあるらしいので、男が先に食べなければならないのだとか。

 

国が違っても、人の考えることって、変わらないんだな~って思う。

デマを信じたり、見えない不安に怯えるのは良くないけど、まあ、何でも気の持ちようですから。

桃食べて、「厄が飛んでった!」と思えるなら、幸せなことだ。

 


野球のない日々

2011年04月01日 | 中国・瀋陽 暮らしの中から

今日から4月。

昨日は瀋陽でも、日中の気温が20度に達した。

南から吹いてくる暖かい風......って、瀋陽の春は、そんな生ぬるいものではない。

“春の嵐”はホントに凄まじい。

昨日、用事があり、ちょっとバスに乗って出かけた。

珍しく空いていて、車窓から何気に街並みを眺めていると...

「私は酔っ払っているのか?」それとも、「ここでも地震が起きているのか?」と思うほど、木々も電柱も信号もグラグラ揺れている。台風並だ。

こんな電柱なら、震度3ぐらいでも、すぐに倒れそうだ。

道を歩く時も、ビルの壁に掛けてあるでっかい広告がバタバタ鳴っている。

「まさか落ちて来はしないだろう」と思いつつ、いつでも逃げられるように身構えながら歩いていると...

目の前で、ビル3階分ぐらいの高さの大きなアルミ板がバ~~~ンッ!!!

何に使うものなのか分からないが、壁に立て掛けていた金属の板が、おじさん二人では支えきれず、風にあおられて倒れた。

慎重に歩いていて良かった。もうちょっとで完全に下敷きだった。

 

今日は一転、また10度も気温が下がった。

部屋の暖房ももう切れているが、日当たりがいいせいか、例年の4月に感じるヒヤ~っとした感じはまだ無い。

しかし、風の強さ、汚さは相変わらず。

学校の近くには、広大な敷地の建設現場がある。

そこから巻き上げられる砂ぼこりで、先が見えないこともある。

放射能も怖いが、砂だらけのこの環境もなかなか厳しい。

 

さて、例年なら既に開幕しているはずのプロ野球。

とても野球どころではないことは、私も同意見だが、やはり何か物足りなさを感じる。

選手の皆さんも様々な事情を抱えているだろうし、また、開幕に照準を合わせて調整を続けてきただけに複雑な思いもあるだろう。

仙台や千葉の球場も一部壊れてしまったが、現状では、やはり市民の皆さんの生活再建が優先だ。

今まで、ドームで試合をすると、どのぐらい電力がかかるとか、誰が考えながら野球を見ていただろうか?

もちろん、野球の試合が無いことで、経済的に困る人達もたくさんいるし。

たまたまシーズンオフだったけれども、シーズン中だったら、どうなっていただろう?

 

やはり人間は現実を目の前にしなければ、本当に本当のことを気づかないのかもしれない。

でも、どんなに苦しい時でも、文化やスポーツを廃れさせてはいけない。

感動を共有することも、人間のエネルギーだから。

 

4月12日を楽しみに待っている。