飛来飛去 ~風の吹くまま~

中国・遼寧省瀋陽在住歴十数年。
最近ネタぎれ気味ですが、何気ない、でも誰かに話したい日々の発見を綴ります。

明日は...

2011年09月30日 | 中国・瀋陽 暮らしの中から

いよいよ国慶節の連休スタート!

学校は7連休である。

来週の土日は出勤になり、つらい週になるのだが、まあそれは考えないことにしよう。

私は特に遠出の予定があるわけでもなく、いつもと大して変わらない毎日になりそう。

少し気が早いが、この期間に期末試験や先の授業の準備でもするかな?未来の私のために。

でも、結局、テレビの誘惑に負けて、ダラダラ過ごすというのがオチだと思うが...

 

学生たちも今朝から大きな荷物を抱えて大移動。

っていうか、今日まで授業あるんですけど...

今日は4年生の授業ということもあって、予想通り、欠席者が多かった。

しかし、午前だったので、3分の2ぐらいの学生はそろっていて、淡々と普通どおり授業をこなした。

 

午後、中途半端に長く伸びた前髪を切るべく美容院へ。

歩いても行けなくはない距離だが、とりあえず、学校の前のバス停でバスを待った。

どうも昨日から“バス運”が悪い。

バスって、なぜどうでもいい時は何台も来て、乗りたい時はなかなか来ないのか?

時刻表もなく、いつ来るか分からないので、ただ待つしかない。

 

美容院へ着くと、いつものイケメン美容師はお休みだった。

予約しなかった私が悪いのだが、どうも予約の電話をかけるのが苦手で、「なんか近くまで来たので、急に髪を切りたくなって寄りました」的な、相手にはどうでもいい雰囲気を出しながら、いつも店に入る。

本当に今日は前髪を揃えるだけだったので、誰でも良かったのだけど、いつもの美容師と同じ値段を取られたのにはちょっと納得いかなかった。

(こちらの美容院は美容師のランクで値段が違うことがある)

 

美容院の帰り、またもやバス停に着くギリギリのところで、バスを見送った

しょうがないので、もう一つ先のバス停まで歩いた。(そちらの方がバスの本数が多い)

その付近は中距離バスの発着所が多いのだが、どこも長蛇の列。

みんな大きなスーツケースを持って、寒い中、いつ来るか分からないバスを待っている。

明日から連休ということで、みんな故郷に向かっているのだろう。

国慶節はお正月に次ぐ長い休みなので、日本で言えば、お盆休みといった感じだ。

 

うちの相方も2日間お休み。

次は元旦まで休みがないので、一緒に過ごせる貴重な時間だ。

 

特に、我が家では、明日は何をおいても大切な一日になる。

そう、本日(9月30日付)で、ソフトバンクホークス、マジック1

福岡の街も優勝セールにソワソワしていると思うが、うちも祝勝会の準備を始めなきゃ!

明日の午後は予定があるので、ほんとは2日に決まって欲しいんだけど...う~ん、やっぱり明日かな?

 

瀋陽は今週の初めまで、お昼の気温が28度ぐらいあったのだが、一昨日の雨で急に冷え込んだ。

今日は最高気温13度で、早速、コートを引っ張り出した。

でも、何故か私の部屋は暖かい。まだ暖房も入っていないのだが、部屋は24度ぐらいで快適。

因みに、夏も25度ぐらいで、外よりも涼しい。(時々はエアコン付けたけど)

確かに南向きではあるのだけど、この部屋の構造、一体、どうなってるのかしら?

 

それでは、明日からのんびりさせてもらいます。

普段、ままならないブログも更新予定でございます。お楽しみに。

 


新人類

2011年09月20日 | 日本語教師のつぶやき

教師をしていて一番つらいこと。

それは、学ぶ気の無い人達に教えなければならないこと。

その気にさせるのも教師の仕事だと思い努力はするが、ハナからやる気の無い人達が学生として教室に座っているのだから、困ったもんだ。

しかも、反抗的なわけでも無く、罪悪感も無く、なんとなくそこに漂っている感じのタイプの学生は、ほんとに対処に困る。

 

「今年の1年生は今までと違う」

去年1年生を担当した先生方からさんざん聞いてきた。

完全に「90后」(90年代生まれ)に突入した学生たち。

レッテルを貼るのは好きではないが、やっぱり何かしら変化があるのか?

 

その1年生が2年生になり、私が授業を担当して数週間。

だんだん今までの大学生との違いを感じるようになった。

まず、授業に遅れてくる学生が多い。

私の授業は午後一で、お昼休みの直後ではあるのだが、授業の5分前に教室に行っても、誰もいない。

うちの大学は先生達も教室に入るのがとても早く、10分前には揃っているのが普通だ。

そして、教室に入ると、復習をしたり、自主的に教科書を声に出して読んだりしている学生が結構いたものだ。

しかし、今の学生は平気でだらだらと遅れてくる。(授業に出てくるだけましだけど)

授業を始めている私の横を「先生、こんにちは~」って......まず、「すみません」だろ!

 

授業中、勉強するかしないかは勝手だけど、やっぱり携帯電話をいじる子も増えた。

しかも、今はスマートフォンだから、携帯1つで何でもできる。

確証はないのだが、珍しい外人教師(私)について、授業中ツイッターで何やら実況中継されている気配さえある。

注意しても、気が付くとまた片手には携帯電話。完全に依存症である。

ペンも教科書も持ってこず、携帯だけ持ってくるやつもいる。

 

そして、授業が終わって、私が教材を片付けたり、黒板を消したりしていると、何も言わずにさっさと帰って行く。

こんな学生は、以前はほんとにいなかった。

中国の学生といえば、先生に対して礼儀正しく、どんなに成績の悪い学生でも、私が重い荷物を持っていたら、「先生持ちましょうか」とか、「私がやります」と言って手伝ってくれる。

別にこちらも手伝って欲しいわけではないが、そういう思いやりのある態度に心打たれることも多かった。

しかし、そういう学生が年々減っていき、今年はとうとう皆無になった。

やっぱりこれが1人っ子世代の“新人類”なのか?

 

中には1人、絶対間違って大学に入ったんじゃないかというのがいて、日本語科にいるくせに、全くもって単語の1つも覚えようとしないやつがいる。

私の会話の授業は、ほんとに初級の初級からの復習なので、もう一度がんばればチャンスもあるし、内容も全然易しいのだが、「私はできない、できない」と言って、やろうともしない。

当てられた時だけは、あやつり人形のように他の人の言うのを真似して、その場をやり過ごす。

(性格や能力上の問題は特に見られず、休み時間は元気に過ごしている。)

私の授業だけでなく、こんな調子じゃ、毎日机についてるのも逆につらかろうと思うのだが...

 

「最近の若者は...」という言葉は、現代に限ったことでは無く、いつの時代も先輩は後輩をこういう目で見るものだ。

やる気の無い、勉強しない学生も日本の日本語学校でイヤというほど見てきたし、いまさら驚くことでもない。

日本人だって、すでに私が大学生の頃は、サークルだのバイトだので、勉強しない人の方が多数だったし。

 

でも、今私が教えている学生たちは、朝から晩まで休みも無く、明らかに昔より多くの時間を勉強に費やし、厳しい受験戦争をくぐりぬけ大学生になったはずだ。

あの小中高時代は何だったのか?

 

社会が豊かになれば、若者が勉強しなくなるのは世の常。

昔は勉強して成績が良ければ、明るい将来が保証され、それなりの見返りがあった。

何かと言えば、「国の発展のために」と、学生達もみんな熱く燃えていた。

しかし、そんな事は既に過去だと、今の若者たちは肌で感じているのだろう。

生死がかかっていれば、もっと一生懸命になるはずだし。

 

勉強してもしなくても、親が偉ければ、それなりの就職口が見つかるし、仕事も結婚もこれからの人生も親任せってことなのか?

可も無く不可も無く、これといった取り柄もない、彼らのような普通の大学生は、これからも大量に増え続け、世の中で余っていくのだろう。

何のために勉強するのか?何のために大学に行くのか?

 

今日も授業中に、「あなた達がやっていること(授業中ボーっとしていること)は、学費を捨てているのと一緒だよ」と説教してみたが、親のすねをかじっている彼らにどれぐらい響いたのかギモン...

日本と一緒で、熱血やスパルタはもう通用しない。

打っても響かない人達に、じんわりと染み込んで行き、中から火を起こさせるにはどうしたらいいか?

日々「あきらめ」と「あきらめたくない」の葛藤は続く。

 


瀋陽が壊れる

2011年09月20日 | 中国・瀋陽 暮らしの中から

日本はまだまだ残暑厳しい地域も多いようだが、こちらは中秋を過ぎたら、めっきり冷え込んできた。

昨日の朝は、最低気温3度。吐く息も白い。

しかし、昼間は20度を超え、秋晴れの気持ちの良い日が続いている。

 

さて、私が瀋陽へ来て6年半。

瀋陽の街は目まぐるしく移り変わり、日々高層ビルが増え続けているが、最近、特にその加速ぶりがすごい。

私がよく通る所で言うと、青年大街のテレビ塔以北、大西路までの一帯や、北駅近くの北京街の西側一帯は、町ごと全部なくなるんじゃないというぐらい、全ての古いアパートが取り壊し。

6、7階建ての公団のような一般的な住居はほとんどが廃墟となっている。

しかも、昨日まで1階ではお店が営業していたと思っていたら、次の日にはビルごと跡形も無くなっているというように、とにかく動きが早いのだ。(もちろん、取り壊しは以前から決まっていたと思うが)

取り壊された跡地には、赤レンガが散乱する正に瓦礫の山。

地震か爆弾で破壊されたんじゃないかというような光景が広がっている。

以前は、取り壊しが決定したビルには、「拆」の文字が大きくペンキで書かれていたが、最近は「征収区域」とご丁寧に書かれている。

取り壊しが多いのは、瀋陽市内の街の中心地。

このような良い場所に、低層の古いビルを残しておくのはもったいないという発想だろう。

跡地にはきっと大型のショッピングセンターや高層マンションが出来るはずだ。

しかし、それにしても、日本だったら、数件の家に立ち退いてもらうだけでも大変なのに、何丁目か分の住人を移動させ、丸ごと開発するのだから、規模が違いすぎる。

 

また、来年、瀋陽で国民体育大会が開かれることもあり、道路の補修やら新しい施設の建設やら、瀋陽全部が常にガッチャンガッチャンやっている。

まあ今に始まったことではないが...

おかげで、今、まともなルートで走れているバスはほとんど無い。

道路工事を避けて、いつも路線が変わるので、時々、とんでもない所に連れて行かれることもある。

渋滞もひどい。

工事現場付近は、「ここは何砂漠か?!」と思うぐらい砂埃で前が見えないこともある。

 

近代化され、立派な建物が増えると、街も綺麗になるし、それはそれで嬉しい。

でも、夜市や広場のあの庶民的で雑多な風景も、風に吹かれて消えていくかもしれない。

きっと来年の今頃は、以前そこに何があったか、もう思い出せない街になっているだろう。

 


9.16

2011年09月17日 | 大好き!コブクロ&エンタメ

ついにSMAPの5人が中国にやってきた。

9月16日、北京工人体育場。

あー、私もその場に駆けつけたかった...同じ中国にいるというのに...

先月発売された「SMAP AID」を聴きつつ、ネットで日本と中国の両方のニュースを検索しては、北京にいる5人に想いを馳せる。

それにしても、こうやって日本のアーティストが中国で歓迎され、大きなスタジアムを借り切ってライブが出来るというのは、本当に平和なことだ。

今では何でも当たり前のようだけど、決して当たり前ではないことを忘れてはいけない。

たかだか20年前でさえ、ロックバンドが客を煽り、スタンディングで盛り上がろうものなら、即座に電気を消されたという。

日中国交が回復したのも40年前。

そして、80年前の9月18日には満州事変が勃発。日本は中国の地を侵し、戦争状態だったのだ。

 

SMAPの一ファンである私も今回の中国公演をとても嬉しく思っているし、過去に何度も中止されたこともあって、本当に心待ちにしていた。

ただ、一つだけ、どうしても気になることがある。

それは今回のライブのテーマでもあり、彼らの記者会見でもよく聞かれたこの言葉。

「アジアは一つ」

もちろん、彼らの言わんとしていること、心から願っていることは十分理解している。

だけど、どうしてもこの言葉には反応してしまうのだ。

その昔、日本は「アジアの解放」を謳い、「アジアの共存共栄」を掲げて、そして、結局、アジアの各地域を侵略していった。

本当にこのスローガンを信じていた人もいただろうが、多くの人達を悲しませる結果となったことも事実だ。

やった方は覚えていなくても、やられた側の痛みは消えない。

だから、やっぱり「アジアは一つ」は簡単に言って欲しくは無い。...まあ、私が考えすぎかもしれないけど。

アジアの文化は多様で、複雑で、だから面白い。

一つではなく、その多様な価値観をお互いに認め合った上での心のつながりが持てればいいなと願っている。

 

今回のSMAPの訪中は、ただ日本の人気グループのショービジネスとしてだけでなく、日中友好の切り札として扱われている面もある。

歴史を振り返ってみると、2つの国を股にかけたスターが、時代の波に翻弄されて、苦渋を味わうこともある。

ある時は、友好のシンボル。しかし、時代が変われば、売国奴...

2011年9月16日が、どうかどうかいつまでも日本と中国の友好が深まった日だと語り継がれますように。

 

今の日本はどこの国とでも仲良くしていないと、生きていけない。

特に、私の場合は、もし中国との仲が悪くなると、大切なものを全て失うことになる。

こうやって毎日平和に暮らしていける奇跡の時代が当たり前のこととなり、ずっとずっと続いていくといいなあ。

大好きな「オリジナルスマイル」の歌詞のように、「世界中がしあわせになれ!」

 


リサイクル?

2011年09月16日 | キャンパスライフ

毎日出入りする学校の正門前のこのオブジェ。

もうすっかり見慣れた光景だ。

と思ったら......ん? 何かいつもと違う。

 

以前にも紹介したこのオブジェ → こちらを見てね。

 

さて、何が変わったのか?

 

このオブジェが出現したのは、7月1日の共産党誕生90周年の記念日の前。

そして、相変わらず、その記念日が終わってもずーーーーーっとそのまま放置され...

気が付けば、共産党のシンボルであるハンマーが「五星」に。下の文字もさらっと変わっている。

 

そう、10月1日は「国慶節」、つまり建国記念日。

 

さて、この国旗はいつまで飾られ続けるのでしょうか?やっぱりお正月までかな?

 


1年生がやってきた。

2011年09月16日 | キャンパスライフ

新学期が始まって1週間後。

いよいよ1年生がやってくる。

9月が一年の始まりである中国。とはいえ、正式な“入学式”のようなものはない。

ほとんどが寮生活をおくる学生たちは、大きなスーツケースを手にキャンパスにやってきて、それぞれ登録手続きを済ませ、ボランティアの先輩たちの案内で、新しい住処へと向かう。

中学・高校から寮生活をしている人も珍しくはないが、初めて親元を離れるという学生も結構いる。

その期待と不安でいっぱいの気持ちは分からなくもないが......

大学入学も保護者同伴!やっぱり中国では親子べったりという光景をよく目にする。

それにしても、もう一人前に大きくなった子供が、開放感たっぷりにおしゃれして軽やかにキャンパスを歩いている横で、年取った親が大きな荷物を抱えている姿は何なのだろう。

自分の荷物ぐらい自分で持てよ!

やはり小学校の送り迎えから、学校のかばんは親が持ってくれるものという関係がずっと続いているのだろうか?

(もちろん全員ではないが、親の方が大きい荷物を持っている場面はよく見る。)

 

キャンパスの中も在校生の新学期とは一転。急に華やかになった。

風船のアーチやら色とりどりの旗やらで、何だかお祭り気分。

因みに、これは携帯電話会社が準備したもの。

新入生といえば、携帯電話の一番のお得意様だ。

 

そして、学内の建物には様々な“標語”が書かれた垂れ幕が。

「わが校は皆さんの家庭」とか「青春の躍動!」とか新入生を歓迎する言葉があちこちに掲げられる。

本当に中国人はこういう言葉や垂れ幕(横断幕)が大好きだ。

 

新入生がやってくると他にもにぎやかになる場所がある。

キャンパス内の路地のあちこちにこのような露店が現れる。

たぶん学生たちが自分で仕入れてきて店を開いていると思うのだが、新生活に欠かせない日用品をこのように並べて売るのだ。

一番人気はお湯を入れる魔法瓶、それから、洗面器、ハンガー、収納ボックス等等

中には、靴や服まで本気で売ってい人もいる。

そして、留学生の寮のそばでは、何故か留学生達がアクセサリーや自国の飾り物等を売っていた。

もはやフリーマーケット状態......

普段もこのように道端に物を置いて売っている人はいるが、それなりに取り締まられている。

しかし、この日は誰も何も言わないので、“恒例”ということになっているのだろう。

2〜3日前から場所取りのため、「動かすな」と書かれたダンボール紙があちこちに置かれていた。

 

新入生はこれからすぐに勉強を始めるわけではない。

3週間ほど、毎日軍事訓練が行われる。

日本でも"オリエンテーション”と称して、団体行動や行進等をさせられるが、こちらは本物の軍人さんが指導する。

まあ“徴兵”の簡略版といったところだが、これは新入生による9月の風物詩となっている。

 

もう完全に90年代生まれの一年生。

私が彼らと接するのは来年以降のこうとだろう。

 


交流

2011年09月01日 | 中国・瀋陽 暮らしの中から

自分のパートナーが自分の家族と仲良くしている姿を見るのは嬉しいものだ。

うちの相方は、特別に社交的というわけではないが、おばちゃん達の井戸端会議にも付き合えるような人なので、世間話をすることは苦ではないと思う。

それでも、一応、“外国語”で、年寄り(うちの親)のくだらない話に耳を傾けるというのは、めんどうくさいと思う人もいるだろう。

我が家の良いことは、全員の共通の趣味があること。

それは、プロ野球!みんなホークスファンだ。

実家の両親は、年間契約して全試合テレビで応援しているし、月に何度かはヤフードームにも足を運ぶ。

そして、我が家では「ただいま」の代わりに「今日の試合、勝った?」が合言葉。

夫は仕事が遅いので、試合を生で楽しむことはできないが、夜のプロ野球ニュースを見て、それから、ネットでその日の成績(打率や防御率)を細かくチェックし、“一人反省会”を毎日行っている。

そんな家族なので、みんなが集まれば、当然、野球の話で盛り上がる。

昔の選手から最近の若手選手まで、たぶんホークスファンでなければ、あまり知られてないようなネタでも話が通じるので、夫もいつも以上にテンション高く、生き生きとしている。

一体、このデータは脳のどこに保存されているのか?と思うぐらい。

いつもは日本と中国で遠く離れていても、毎日いっしょにいるように、こうやって同じ話ができるって、なんかいいよね。

 

うちの両親と夫の家族は、もちろん言葉が通じない。

伝えたい気持ちを直接伝えられないもどかしさはあるけれど、その分、日本人どうしならしないであろう気持ちの伝え方もある。

歓迎の意味を込めて、そして、久しぶりに会えた喜びの気持ちを込めてお互いに抱き合ったり、握手をしたり、腕を組んで歩いたり。

そこには言葉を越えた思いやりと愛情を感じる。

言葉は必要だけど、その人が歩んできた人生というか、その人からにじみ出る温もりは、何も言わなくても、きっと伝わるんじゃないかなぁ。

 

国が違う、言葉が違う、民族が違う...たとえいろいろな違いがあっても、大きな力が両者を遮ろうとも、分かつことのできない絆がここにはある。