飛来飛去 ~風の吹くまま~

中国・遼寧省瀋陽在住歴十数年。
最近ネタぎれ気味ですが、何気ない、でも誰かに話したい日々の発見を綴ります。

再会

2008年04月30日 | 中国・瀋陽 暮らしの中から
久しぶりに大学時代の友人に会った。
前に会ったのは、私が瀋陽に来たばかりの頃だったから、3年ぶりかな~。

彼女は瀋陽出身で、福岡に留学していた。
今も日本に住んでいる彼女にとっては、久々の里帰りというわけだ。

仕事帰りに彼女の家を訪れ、お父さん、お母さんとも久しぶりにお会いした。
すっかりご無沙汰していたが、二人とも相変わらずお元気そうで、安心した。

この家は、初めて私が瀋陽にやってきた(旅行で)十数年前にホームステイさせてもらった所で、なんとなく我が家に戻ってきたような感じがする。

本当だったら、もうちょっとお客さんらしく気を遣うべきなんだろうけど、すっかりリラックスしてしまい、お言葉に甘えて、夕飯までごちそうになった。

彼女は学生時代から頑張り屋さんだったが、二児の母になった今でも、仕事、子育て、家事と、忙しくも充実した毎日を過ごしているようだ。

それでいて、「今度、コーラスでもやろうかなって思ってるの」なんて、軽く言っちゃうものだから、毎日だらだらと過ごしている私のような人間は、ものすごく刺激を受ける。

もう日本語もペラペラで、日本の生活にすっかり馴染んでいるとはいえ、やはり外国で仕事をし、生活をすることは大変なことだと思う。

でも、一生懸命やっていることを決して驕らず、愚痴るわけでもなく、物静かに語る彼女が私は大好きだ。

彼女と出会ってもう十数年の時が流れた。
全てがまるで昨日のことのようなのに、そう考えるとぞっとする。

でも、昔話に花を咲かすだけでなく、お互いに“進行形”の今を語り合える友達って、大切だなぁと、つくづく感じる。

彼女と出逢ったことも、ここ瀋陽にいる今の私につながっている。

人との出会いって、やっぱり不思議...

初☆遇到コブクロ!

2008年04月15日 | 大好き!コブクロ&エンタメ
今日、仕事帰りに電話局へ行った。

相変わらず、風が強く砂ぼこりはひどいが、ぽかぽか陽気に誘われて、太原街(駅近くの繁華街)をうろつくことにした。

電話局から駅までまっすぐ続く中山路。
バスに乗れば、さほど遠くないが、中途半端な距離なので、てくてく歩いて行った。

太原街の歩行者天国の道までもうちょっとという所で、私はふと足を止めた。
というか、体がかたまって、動けなくなった。

聞き覚えのある曲...
「コブクロの“蕾”だ~!」
しかも、日本語のままのオリジナル!

私は思わず信号を渡って、音の鳴る方へ向かった。

コブクロの歌は、新華書店のスピーカーから流れていた。

何度も聞いたこの曲。CDだって持っている。
今さら目新しい(耳新しい?)曲でもないのに、私はその場を動けなかった。

瀋陽の街で日本の歌(カバーも含め)を耳にすることはよくある。
でも、コブクロの曲を聴いたのは、今日が初めて。

街中に響き渡るコブクロの声...この気持ちはとても言葉では言い表せない。


「蕾」が終わり、次は何だろう?と思って、耳を傾けていると、

「Hu~ Wu~ Wu~...」と、またまた聞き覚えのあるイントロ。

「“桜”だ~!」

「名も無い花には名前をつけましょう...」黒ちゃんの優しく力強い声。

私は本屋の入り口、スピーカーの真下で一緒に口ずさんでいた。

いつもと同じ雑踏...行きかう人々の波、クラクションの音...
だれもコブクロの歌なんて知らないし、歌詞の意味だって分からない。

私はそんな流れる街並みを見ながら、コブクロの二人が路上で見ていた景色を思い描いていた。

そして、熱くこみ上げてくる想いは、ちょっとへこんでいた私を勇気付けてくれた。

いつか、いつの日か、本当に二人の声がこの瀋陽で聴けたなら...そんなことも考えてみたりして

結局、コブクロの曲はその2曲で、次は中国のポップスがかかっていた。
ずっと流されたら、私はそこからずっと動けなかっただろうから、ちょうどよかったんだけど

引越し

2008年04月15日 | 中国・瀋陽 暮らしの中から
瀋陽日本語資料室がまた引越ししなければならなくなった。

2006年3月に小北関街のカレー屋さんの2階から出て行くことになり、あちらこちらと移ったが、結局、今のビルもオーナーの都合で、1年4ヶ月で閉鎖となってしまった。

オリンピック前の不動産高騰のこのご時勢に、資金力も支援もなく、ボランティアで資料室を開くのは、なかなか大変なことだが、今まで資料室を作り、育て、守ってこられた方々のことを思い、みんなで力を合わせてがんばっている。

それはともかく、私は瀋陽へ来て、公私合わせて、いったい何度引越ししただろう。

私の実家は転勤族でもなかったので、それほど引越しをしたことがない。
瀋陽へ来る時の荷物の片付けがとても大変で、「もう二度と引越しはしないぞ~!」と言っていたはずなのだが...。

最近も職場の事務所の引越しをやっていて、ようやく落ち着いたところに、また資料室の移転。

夏には、職場の引越しにともなって、自分の家も引っ越すかもしれない。

なんだか日本語を教えている時間より、荷造りして掃除している時間の方が多いような気がする。

日本でも面倒な引越しだが、それを言葉の通じない外国であれこれやるのだから、ほんとに大変だ。

はぁ~

ところで、中国では何かをやる時は、親戚、友人、知り合いの力で何とかする。
引越しもそうだし、例えば、結婚式の準備とか。

でも、最近は人間関係が希薄になったのか、みんな忙しくなったのか、それとも、裕福になったのか、こういう事を全て請け負うサービス産業が盛んになった。

今では「搬家公司(引越し会社)」に頼むのも当たり前。


私は最近、引越しを通して、2つの新しい経験をした。

一つはトラックの荷台に乗ったこと。
真っ暗な荷台は何にも見えないし、瀋陽の道は舗装が悪い所があって、突然、ガタンと揺れ、怖がりの私はもうフラフラ。
でも、労働者のおっちゃん達の苦労が分かる良い体験だった。
(もう二度と乗りたくないけど)

もう一つは、リヤカーに乗って移動。
こちらは意外と快適だった。
瀋陽の街では、自転車の前にリヤカーを付けた人力車で、荷物を運ぶ光景をよく目にする。
資料室から私の職場まで運ぶ荷物があって、そんなに遠くないけど、タクシーに入るかどうかという大きさの物だったので、これを利用した。
だから、物がなくならないように+道案内で、荷物と一緒にリヤカーに乗ったというわけ。

これでまた私の“武勇伝”が増えた。

大変なこともあるけど、これもいつか笑って語れる日がくると信じて

2008年04月15日 | 中国・瀋陽 暮らしの中から
待ちに待っていた桃の花も、いたずらな春風にあおられて、あっという間に散ってしまった。

その桃の花が満開だった先週末の3連休、私は扁“桃”腺の腫れ全開でダウンしていた。

まあ、いつものことなので、ご心配なく。

熱があったので、バファリンを飲んでみたが、一時しのぎでなかなか治らなかった。

バファリンの半分は“やさしさ”でできているそうだが、異国の病原菌には、そのやさしさは通用しなかったようだ。

おかげさまで、4、5日経ったら、自然とよくなった。


昨日から、瀋陽の最高気温は一気に25度に上がった。

やはり瀋陽には、春がない気がする...。

墓参り

2008年04月03日 | 中国・瀋陽 暮らしの中から
もう4月ですね。
瀋陽はまだまだ朝晩冷え込みますが、桃の花の蕾もかわいいピンク色をのぞかせています。いよいよ開花です。

ところで、4月4日は清明節。今年から休みになりました。(代わりに5月のGWが無くなりましたけど)

どうして休みになったかというと、みんなが墓参りに行くからです。
日本だとお彼岸みたいなものでしょうか。

そして、なんと、先日、私も墓参りに行ってきました!

瀋陽生活も3年経つと、見るもの聞くもの新鮮さを失っていたんですが、墓参りは初めて!
不謹慎にもウキウキします。

しかし、出発時間を聞いてびっくり!!
朝5時出発!

瀋陽の墓地は全て郊外にあるので、そちらへ行く道は、この時期どこも渋滞。
その渋滞がハンパじゃないので、4月4日を避け、さらに、こんな朝早くに出かけるわけです。

まだ朝暗いうちに、お迎えの車が到着。
朝早く出かけたおかげで、道はすいていて、スムーズに進みました。
にぎやかな街中を出て、林や畑が見える所まで来て、またまたびっくり!!

道沿いには、ズラーーーっと、お供え用の花を売る車が並んでいます。

私の家の近くは、墓地へ向かうバスの出発点なので、近所でも花売りの光景は目にしていましたが、こんなにたくさんの花売りがいるとは...。
(もちろん違法なので、警察が取り締まっているのをニュースで見ました。)

車で4,50分走って、墓地に到着。

どこにお墓があるの?と思ったら、山の斜面にはB4サイズぐらいの四角い石碑がずらりと並んでいました。

テレビでは、日本のお墓のように垂直に石を立てた物や、納骨堂のような物も見たけど、ここの墓碑は寝かせたタイプ。

墓碑は縦横きれいに並べられ、その列の端には番号の札が立っていました。

その石の上部にはその墓の番号が、「○区12排43号」と住所のように書いてあり、そのお墓に眠っている人の名前は大きく縦書きで書かれていました。

お墓をざっと見渡すと、大体1つの墓碑に2人の名前が刻まれています。
夫婦で1つの墓というのが一般的のようです。

まだどちらかが健在の場合は、名前を入れる部分が空けてあり、ご主人が亡くなったのか、奥さんが亡くなったのか、知らない人が見ても、すぐに分かります。

中には、石の真ん中に一人だけの名前のものもありましたが、若くして亡くなったとか、そういう事情かもしれません。

私達はお線香をあげ(日本の物より長い)、花と食べ物を供えました。
これは日本の習慣と大体同じです。

食べ物はみかん、バナナ等のくだもの、カステラ、餃子でした。(別に決まりはないと思いますが)

花は、花びらをバラバラにして墓石にふりかけてと言われたので、そのような習慣かなと思って、真似してやっていたんですが、その理由を聞いて、またまたまたビックリ!!!

そのまま供えると、盗まれるから!だそうです。

盗んで自分の墓に供えてもいいことないだろうと思ったら、なんと、業者?がまたその花を売るのだとか!

日本にもお供え物を盗む人がいないことはないですが、そのたくましさには呆れてしまいました。
したがって、お供えの食べ物も盗んでも仕方が無いほどバラバラに。

それから、亡くなった人が天国で豊かに暮らせるように、お金(もちろん本物じゃなくて、黄色い紙に印刷した物)を燃やしに行きました。

環境を考えてか、お金を燃やす場所は一箇所にまとめられていて、塔のような12角形の煙突がある所で燃やします。
(しっかり入場料?を取られます。)

この塔の中、あるいはその周りの壁にある穴の中にお金を入れて火をつけるのですが、その1つ1つの穴には何やら漢字が、壁には動物の絵が書かれています。

これは、子、丑、寅、卯...の十二支で、つまり、亡くなった人の生まれ年の場所にお金を入れて燃やすというわけ。
なるほど~。

日本の習慣と同じところ、違うところが分かって興味深かったし、やはり、独特の身の引き締まるような感じがあって、早起きした甲斐がありました。

まだ自分の葬式のことを考えるには年齢的に早いけど、漠然と、墓に入るのは嫌だなあー、海にでも撒いて欲しいなあと思っていた私ですが、中国のお墓は夫婦仲良く?って、感じで、それも悪くないかなと思いました。

お墓の中でも喧嘩している夫婦もいるのかなとか、お参りに来た連れ合いに何を話しかけてるのかなとか、他人のお墓なんですが、またいろいろ空想にふけってしまいました。

本当は写真を撮りたかったんですが、なんとなく気がひけて...写真がなくてすみません。