臺灣と瀬田で數理生態學と妄想

翹首望東天, 神馳奈良邊. 三笠山頂上, 想又皎月圓(阿倍仲麻呂). 明日できることは今日しない

グローバリゼーション

2007-07-15 10:53:42 | 研究
進化生物学や群集生態学の理論では、それぞれの環境間で生物の移動が中程度のときに、それぞれの環境に適合した生物集団ができると言われています。それぞれの環境に適合した集団ができるため、それぞれの集団間の違いが大きくなり、ローカルにみても、グローバルにみても多様性が最大になります。そして、このような生物の移動によって支えられている多様性の高い集団は、環境変動に対して柔軟に対応することができます。しかも、この柔軟なレスポンスは個体間のローカルな相互作用の結果として自動的に生じるもので、"global contoller"は必要ありません。

Levin, S.A. (1998) Ecosystems and the biosphere as complex adaptive systems. Ecosystems, 1: 431-336.

Leibold, M.A., and Norberg, J. (2004) Biodiversity in metacommunities: plankton as complex adaptive systems? Limnology and Oceanography, 49: 1278-1289.

この議論は人間社会にも当てはまる可能性があります。しかし、中程度ってどの程度でしょうか?
日本で言うと、遣唐使のころでしょうか? 江戸時代の鎖国はだめですか? 明治初期の状況はどうなんでしょう? 現在のグローバリゼーションは行き過ぎで、多様性を低下させるのでしょうか?

そもそも人間社会の場合、環境変化に対応するという目的のために、移動を促進させたり、逆に変わらないために移動を妨げたりしますね。つまり環境変化が先にあってそれに対するレスポンスとして移動速度を変化させるわけですね。これが、単純なメタ群集の話と違うところでしょうか。

何事も中庸がいい、と言ってしまえばそれまでですが(生態学にはそういうパターンが多いですね)、個体の移動と多様性と環境適応能力の関係は、国の政策決定にかかかるひととかは知っているのでしょうか。知ったとして何か彼らの世界観に影響しますか? なるほど、となりますか、それとも当たり前すぎますか。

日本が今後どうなるのかも気になります。

メキシコ産の冷凍野菜を食べながら、こんなことを思いました。

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