臺灣と瀬田で數理生態學と妄想

翹首望東天, 神馳奈良邊. 三笠山頂上, 想又皎月圓(阿倍仲麻呂). 明日できることは今日しない

哲学入門

2014-08-02 17:31:14 | 日常
理学部のクラスメートの哲学者から薦められて読んだ戸田山和久さんの「哲学入門」.

「意味する」とは何か,知識とは何か,自由とは何か,人生の意味とは何かなど,素人にはいかにも「形而上学」的概念を議論・再構成しているにも関わらず,「人生に必要なものはすべてバクテリアの頃からもっていた!」という刺激的なフレーズから始まり,昆虫の行動,自然選択,学習,進化的に安定な戦略, 協力の進化など進化生物学的考察や情報理論の応用など,理論生物学の教科書といってもよいくらい.日高さんが翻訳していた「生物からみた世界」にも関連する話題あり.情報理論について扱った章では,条件付き確率などを用いて定量的な議論を展開していると同時に,草薙素子が言いそうなSF的セリフがちりばめられていて,ニヤニヤしてしまう.
後半になればなるほど,いまだ発達途上の進化理論を持ち出すことになるので議論の余地が残っているように感じられそれだからこそ,人生と生物学を結ぶための研究のアイデアが湧くかもしれない.最後には,読者が「哲学は役に立つのか?」を問うのではなく,筆者の方がが逆に「(すでに成熟した自分の研究分野に安住して業績数とインパクトファクターを稼ぐのではなく)あなたには哲学を役立てるだけの知恵と力と勇気があるのか?」と問いかけてくる.はいはい,少年ジャンプですね,分かります.たしかにそのメッセージは私に届いた.
 
こういう本を読むにつけ,伊藤計の「ハーモニー」のような小説を読むにつけ,進化生物学と私たちの精神世界との親和性は非常に高い.その一方,自分の専門分野である群集生態学や生態系科学の発展が,人生の意味の理解や人生をどう生きるべきかという問題にどのようにつながっていくのか,人間も生態系の一部である以上,生態系というルールの中で「正しく」生きるとはどういうことかという問いに生態学者は答えるべきか.少なくとも哲学者がその問いに答えて材料になる科学的成果を出すべきか.すぐには答えがみつからない.これについてこれから先の研究人生ではもっと真剣に考えていけたらと思う.
 
以下テクニカルな補足だが,この本のでは,人間は細菌よりも繁栄しており,人間が持っている世界認識・思考・概念といった仕組みの方が,バクテリアのそれよりも複雑で高級で生存に有利だから進化したのだ,といったナイーブな議論しているのではない.そもそも人間と細菌は生態ニッチを異にしており,したがって世界の認識の仕方がちがい(環世界が違う),どちらの種の環境との付き合い方が(文脈に依存せず普遍的に)有利・不利かという論ではない.また個体数が多い方が繁栄しているとかそういう議論でもない.そういった選択が時間依存的・局所空間依存的なプロセスであるということは,第4章で丁寧に議論されている.この本でいう進化的に考えるとは,人間だけが持っているとおもわれる特性(未来を計画できることとか自由意志とか道徳とか)を細菌からの進化の歴史の中で生物が外環境とどのように付き合うか,生物個体自身の内部状態をどのように理解するかという特性の連続的な変化(多様化の結果)として出現したと考えようということだ.

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