臺灣と瀬田で數理生態學と妄想

翹首望東天, 神馳奈良邊. 三笠山頂上, 想又皎月圓(阿倍仲麻呂). 明日できることは今日しない

数理生態学は永遠に不滅です、って感じで。

2018-06-21 19:52:16 | 研究

もちろんポジショントークです。数理モデルもeDNAもやりたいです。

最近、数理モデル(Theoretical Dynamical Model:TDM 用語の解説はここ[冗談の分かる人だけ開いてね])のすの字も出てこない申請書や論文ばかり書いているので欲求不満でちょっとその反動で思うところをちょっと書きます。相反しますが私をただの数理屋だと思うなよ、ってのもあります。ちなみに最近、台湾の竹林でとった細菌と真菌のメタバーコーディングのデータ処理もめどがついてきました。何が言いたいかっていうと、時代遅れの数理生態学者の僻みだと思わんでくれ、ということです、ハイ。焦りはありますが。

前にも書いたんですが(ここ)、環境微生物DNAって、生態学の革命にはなりませんでしたよね。

環境微生物学でのデータ爆発が生態学者にはしっくり来ない理由は、めざすところの違いなのかもしれません。
環境微生物学は仮説駆動型の学問ではないかもしれない(発見駆動型かも?)ので、データが増えたからって、新種や新規遺伝子が見つからない限り革命にならない(実際、2000年以降、新種や新規遺伝子の発見によって革命が起きたので、環境微生物学的には大成功でしょう)。そして、検証すべき仮説のストックがたくさんあるわけではない。だから上の意味での新規性がないデータに関しては、綺麗なフルカラーの図とか描いたりして満足するしかない(結局のところ記載的で少なくとも群集生態学者にとっては面白くない)。しかもデータ量というよりも、極限環境に行って新種を単離してくる、とかのほうが劇的に生命進化の研究とか進みますよね。
 
一方、生態学では、特に群集生態学ではNature Eco Evoで論争を呼んだmust read 100 papersのリストを見ても分かるように、1960年代―70年代に仮説がビックバンでしたね。そのせいで検証されていない仮説が山積みなので、別に光合成できる昆虫とかネッシーとか発見されなくてもデータ爆発は仮説の検証の段階で革命となりますよね。そして定量化・予報のような応用方面でも革命を目指すということですね。これは夢の世界なんで、早く来てほしいです。

しかーし、山積みの仮説の在庫処分が終わったらどうすんの?ってことです。

もう3年前に書いたこと(ここ)の繰り返しになるけど・・・

何らかの目的があって(=つまり何らかの仮説・理論の影響下で)取ったデータから、新しい仮説なんで出てこないわけですよ。だいたい20世紀の革命的仮説で十分なデータ量に基づくのってどれですか? Lindemanのtrophic levelもmicrobial loopもGaiaもPlant-Soil-Feedbackも(データはあってもデータ量とは関係ない)妄想でしょ。だって写真にも写らないし手で触れることもできないし。

21世紀になったって仮説は妄想から。妄想を形にするのはなんてったって直接観察とTDM(EDMでも妄想ができるようになるといいんですけどね・・・)! というわけで蛍光顕微鏡ほしいです。またまた一貫性ないこと言いますが、あと自分もデータ爆発に参加したいんでspectrofluorometer(こんなんとか)買って、こんなんしたいです。

というわけでデータ爆発のスピードに追い越されないように、TDMで妄想力を鍛えて仮説爆発よもう一度! ただし、個体群・群集生態学以外でね(もしくは狭義の群集生態学でもまだ何か埋もれてますかね・・・)。

というわけで数理生態学(妄想系)は永遠に不滅(であってほしい)。みんな辞めないでね。


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