番号 | 河川名 | 全長(km) | スタート地 | ゴール地 | 難易度 | |
67 | 九頭竜川 | 116(内約3.5) | 五松橋 | 福井大橋 | 中易 | 鮎シーズンはヤナだらけ、期外は易 |
朝、カヌーを「五松橋」の少し下流へ降ろしておき、ゴール地の決定に下見。ほとんど川面は見られない。「天地河川公園」辺りまで行きたかったのだけれど、8号線の「福井大橋」の下流にヤナが見えたので、結局「福井大橋」までにした。距離は3、5kmと短いけど仕方ない。車を下側へ置いておき、自転車を積んで下ることにした。
スタートして、最初のカーブを曲がると、『おっ~と!』川全体に杭の簗があった、その杭を縄が連なっている。これはヤバイ。当然、ポーテージのつもりで近寄り、縄の高さもそれほど高くないので、直径4cm程の荒縄の上へカヌーを持ち上げて通過した。 杭の幅は1、5m位だった。
暫く行くと、あれ?また、杭のヤナがあるぞ、よく見ると、水面上に縄が見えない、即ち水面下に縄が沈んでいる。なら、大丈夫!と杭と杭の間をするりと通過。
暫く行くと、またヤナ!『今畜生、ヤナの多い所じゃの~!』右側に二人の川漁師がヤナの整備をし、手招きしている。良く見るとその辺りは、縄が上がっていたので、左岸側へ行けと言う。が、時すでに遅く、また、流れが強く、流れにうまくまっすぐにカヌーを出来なくて、2本の杭にひっかりそうになり、それは絶対に駄目なので、かろうじて一本の杭を掴み、流れに横になっていたけど。必死でこらえ、水をすくいそうになるのを、後ろ向きにしてやっとスターンから、ヤナを滑り降りた。やれやれ、自転車を積んでいたので、沈すると非常にやばいことになる、また、漁師の喜びの対象にされる所だった。無事、通過できて、フー!
また、暫く進むと、またもや、ヤナ!『なんちゅうこっちゃ!ここは酷え~所じゃの~。』ここも水面下だったので楽に通過は出来たのだけれど、やはり、川の漁業組合に、役所が負けてしまって居るから、このようになるのではないだろうか?今まで、沢山の川を見てきたけれど、川全体にヤナを仕掛けていた所は、北海道の渚滑川以外どこも無かった、どこも半分程度だ、そうなっていればカヌーも下れるし、魚も自由に通過できる。ここのヤナは、確かに縄を張っているだけで、鮎もその恐ろしさをクリアーすれば、通過は可能だ、だけど、国交省は漁業組合の言いなりになり過ぎているのではないだろうか?せめて、川の3分の2程度までにして欲しいものだ。でないと、カヌーも困るし、ヤナの上流になるほど収量が少なくなるのではないだろうか、不公平感がありはしないだろうか?
ゴール直前に良い瀬、そこへちょうど釣り師、『行きま~す!』と、大きな声で告げるが聞こえない。近づいて、『行くよ~!』とどなる。やっと聞こえて、竿を川下へ外してくれた。『ありがとう、ございます。』と、前を通るときに声を掛けた。そうなんです、カヌーが通るのはほんの一瞬、釣り師も一瞬の間、休めば良いこと、それをがみがみ言う人がいる。そんな人に限って、休憩時間をたっぷり取り、タバコの吸殻を吐き捨てる連中だろう。困った輩だよ!全く!
連続ヤナとの戦いわずか45分間でした。
次の小浜市の「北川」へ向けて8号線を走っていたが、薄暗くなりかけたので、途中の敦賀で寝ることにし、ナビに「敦賀市総合運動公園」とあるので、行ってみると、草地と車が並べられない、また、夜間の閉鎖、朝は8時30分開錠、これでは私の行動に不向き、そこで探していると、その「運動公園」のすぐ近くの道端に少し、広いところがあり、草も生えていない裸地だが、平らなので、ここをねぐらと決め、スーパーへ。
泊地へ帰り着いた時は、もう、完全に陽も落ち暗くなっていたが、テントを張り、ダンボールをテントの下側と上側の両方に敷き、クッションを良くし、寝ることにした。
このダンボールが有ると無いとでは大きな差、雨の時も水を吸収してくれるし、少しソフトなベッドにしてくれるし、乾かせばまた使えるし、最後の最後には、リサイクルにまわせる。スーパーでは、有り余っているので、自由に持ち帰れる。ありがたいことだ。
この日、作ったかぼちゃ煮が、うまい、実にうま~い。一人で『うまいな~、何でこんなにうまいんだろう?実にうまい!最高!』などと、声を出して、自分で感心していた。
今までは、かぼちゃは種や周りのぬるは取り除いていたけれど、種も全部一緒に煮てやろうと、だし汁・砂糖・みりん・酒・醤油でやってみた。これがうまかった。種の中身も食べた。ぬるも食べた。食べなかったものは、わずかな軸とへそ部分、種の殻だけ、いわゆる「ごみ」としたものは、種の殻だけ、軸とへそはもっと細かく刻んで、大地へばら撒いた。大地から得たものは大地へ返すべきなのだが、燃やして空へ送り込むから、温暖化・ダイオキシン発生等などと、地球がおかしくなっている。地球がおかしくなれば人間もおかしくなる。
また、世間では、食べ物を余りにも多くを捨て過ぎている、もっともっと食べられる所は徹底的に食べ、捨てる部分を少なくすれば、ごみが減る。カラス被害も無くなる。だから、カラスが悪いのではない、やはり人間が悪いのだ。と、人間が自省すれば環境も良くなる。
時々こんな人に会う。『賞味期限が過ぎたものは絶対食べない』と、自慢げに言っている。「賞味」期限過ぎても、それほど味が落ちるわけでもないし、ましてや腐敗しているわけではない、私なんぞは賞味期限、全く無視、古くっても、それがおかしいか食べても大丈夫なのかを自分の目で、鼻で、舌で、確認し、食べれるかどうかを判断し、飲み込むか、吐き出すかをきちんと判定している。機械的に書かれた賞味期限なんて、信じる方が間違っている。己の五感を研ぎ澄ませば何ら問題はないのに…。
明日はかぼちゃの残り汁で高野とうふを煮る。だから、これもすご~くうまくなるのだ。 『何と幸せなことだろう。』
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