「出会いに思う」記事を二度書いてそのままになっていたが、Alps氏のブログ(パピルス )を見て、思い出した「出会い」が有った。
佐久間先輩もこの種の話題で昨年6月頃に何度か書いていたが、人間、この年齢になると矢張り昔のことを思い出して反芻するのが自然なのだろう。
然し今回は直接に生死ということを考えさせられた点で、今迄の「想い出に耽った」のとは些か違う出会いの話である。 Alpsさんの記事「パピルスの話」は、何も深刻な話題ではない。 然し、私にはこの話題が、厳しい想い出に繋がるのである。
初めて私がパピルスを見たのは、40年ほど前に大英博物館で、であった。
その時の感動は、中学生時代に授業で聞いたパピルスの現物を見た、ということよりも、 BC3000の昔に書かれたmathematic papyrus で、 その様な古い時代に数学を作り上げた人の人生は、どの様なものであったか、ということであった。
これを残した人物が,
例外的な抜群の才能の持ち主であろう事は間違いないが、現在の文明社会と違って、当時は自分と同程度の優れた才能の持ち主と出会う確率は、非常に少なかったであろう。
猿の集団の中に人間並みの知能を持つ者が一匹だけ生まれた場合、彼は何を考えるであろうか。
切磋琢磨ということが無ければ独力で数学の体系を作るのだが、それは恐ろしく難しいであったろうし、技術的な問題の前に、その種の能力(抽象的思考)に対する社会的評価とか、経済的にというか、職業としてその様な事が可能な環境は、整っていたのだろうか。
現在ならば、この様なことに向かう動機として、その事自体が面白いという事の他に、名誉とか地位とか色々な動機付けがある。
というよりも、多くの学者が、寧ろそちらが先で仕事をしているのは、先日の韓国のノーベル賞候補騒動の話題でも見て取れる。
それでも現在でも尚、田舎や、子供の世界では喧嘩が強いとか、口がうまいとかの方が仲間の内で持てる条件であり、生きていくのに都合の良いことである。
歴史に名前が残らなかったことは、現在の人間の感覚では残念に思う所だが、当時はその様な気持ちは無かったのだろうか、などとも思った。
パピルスを書いた数学者に向かって、数千年の時間を挟んで、私はご苦労様でした、と呟いた。 あれも、一つの出会い体験だと思っている。
大英博物館の次に、私がパピルスと向き合ったのは、3年前にスエズ運河を地中海に向かって通過したクルーズの時である。
偶々同船した中年のご婦人Aさんと知り合った。 経験者は良くご存知だが、あの辺のクルーズ船には地元の政府の役人らが乗船してきて、地元産品を物売りする。
その中にパピルスもあった。 この乗船してきた物売りの連中の話でも、Aさんに聞いた話でも、この種の品物には偽物が非常に多いのだそうだ。
私は、ギザで現実にパピルスを製造している工場で買ったから、本物であるが、其処の工場でエジプト人に聞かされた話でも、市販品には偽物が多いそうである。
ところでAさんは宝石が大好きで、殆どあらゆる種類の宝石は所持しているが、アレキサンドライトだけは持っていない。 その理由は、この石には偽物が多くて、普通の宝石屋で買うと真贋の区別が付かなくて偽物を摑まされるからだという。
それでこのクルーズでアレクサンドリアに入港する時に、信頼できる店に行って本物を買うのだ、と言っていた。 予定通り船が入港した日に彼女は希望通りの宝石を買った。 そして、その夜。 彼女は急死した。
彼女の予定では、その2、3日後に南仏のエキサンプロバンスに居る娘さんに逢う心算だった。 その寸前に、念願のアレクサンドライトを入手した日の夜、全く突然に、亡くなったのである。
別の私の友人の説では、彼女の買った宝石が、果たして本物かどうかは分からない、と言っているが、少なくとも本人は本物と信じていた。
こうして、パピルスには偽物が多いよ、と教えてくれたA婦人は、自分が本物と信じる宝石を手に入れて、亡くなった。
老人をターゲットにする世界一周の長旅のクルーズでは一航海で数人が亡くなるのが相場だそうである。 でも船内ではその様なことは秘匿されるから、乗船客には分からない。
乗船客同士で、船の運航の様子がおかしいから、誰か亡くなったらしい。 アイツではないか、などと話していると、その目の前にアイツが歩いていったりする。
但し、Aさんの場合は、全く偶然に深夜、船からAさんの遺体を担ぎ出す作業を、私が見てしまったので分かった事である。
Mathematic papyrus を書いた人物がどのような人生を過ごしたかは知らない。 Aさんが最後の瞬間に何を考えたかは分からない。
どうだったのだろうなあ。 これがAlpsさんの「パピルス」を読んだ時の感想である。
間違いなく言えることは、急死する数時間前にAさんは幸福感で一杯だったことと、パピルスを書いた人物は、数千年の後に、私という人間がこれを見るだろうとは、思って居なかったことである。
佐久間先輩もこの種の話題で昨年6月頃に何度か書いていたが、人間、この年齢になると矢張り昔のことを思い出して反芻するのが自然なのだろう。
然し今回は直接に生死ということを考えさせられた点で、今迄の「想い出に耽った」のとは些か違う出会いの話である。 Alpsさんの記事「パピルスの話」は、何も深刻な話題ではない。 然し、私にはこの話題が、厳しい想い出に繋がるのである。
初めて私がパピルスを見たのは、40年ほど前に大英博物館で、であった。
その時の感動は、中学生時代に授業で聞いたパピルスの現物を見た、ということよりも、 BC3000の昔に書かれたmathematic papyrus で、 その様な古い時代に数学を作り上げた人の人生は、どの様なものであったか、ということであった。
これを残した人物が,
例外的な抜群の才能の持ち主であろう事は間違いないが、現在の文明社会と違って、当時は自分と同程度の優れた才能の持ち主と出会う確率は、非常に少なかったであろう。
猿の集団の中に人間並みの知能を持つ者が一匹だけ生まれた場合、彼は何を考えるであろうか。
切磋琢磨ということが無ければ独力で数学の体系を作るのだが、それは恐ろしく難しいであったろうし、技術的な問題の前に、その種の能力(抽象的思考)に対する社会的評価とか、経済的にというか、職業としてその様な事が可能な環境は、整っていたのだろうか。
現在ならば、この様なことに向かう動機として、その事自体が面白いという事の他に、名誉とか地位とか色々な動機付けがある。
というよりも、多くの学者が、寧ろそちらが先で仕事をしているのは、先日の韓国のノーベル賞候補騒動の話題でも見て取れる。
それでも現在でも尚、田舎や、子供の世界では喧嘩が強いとか、口がうまいとかの方が仲間の内で持てる条件であり、生きていくのに都合の良いことである。
歴史に名前が残らなかったことは、現在の人間の感覚では残念に思う所だが、当時はその様な気持ちは無かったのだろうか、などとも思った。
パピルスを書いた数学者に向かって、数千年の時間を挟んで、私はご苦労様でした、と呟いた。 あれも、一つの出会い体験だと思っている。
大英博物館の次に、私がパピルスと向き合ったのは、3年前にスエズ運河を地中海に向かって通過したクルーズの時である。
偶々同船した中年のご婦人Aさんと知り合った。 経験者は良くご存知だが、あの辺のクルーズ船には地元の政府の役人らが乗船してきて、地元産品を物売りする。
その中にパピルスもあった。 この乗船してきた物売りの連中の話でも、Aさんに聞いた話でも、この種の品物には偽物が非常に多いのだそうだ。
私は、ギザで現実にパピルスを製造している工場で買ったから、本物であるが、其処の工場でエジプト人に聞かされた話でも、市販品には偽物が多いそうである。
ところでAさんは宝石が大好きで、殆どあらゆる種類の宝石は所持しているが、アレキサンドライトだけは持っていない。 その理由は、この石には偽物が多くて、普通の宝石屋で買うと真贋の区別が付かなくて偽物を摑まされるからだという。
それでこのクルーズでアレクサンドリアに入港する時に、信頼できる店に行って本物を買うのだ、と言っていた。 予定通り船が入港した日に彼女は希望通りの宝石を買った。 そして、その夜。 彼女は急死した。
彼女の予定では、その2、3日後に南仏のエキサンプロバンスに居る娘さんに逢う心算だった。 その寸前に、念願のアレクサンドライトを入手した日の夜、全く突然に、亡くなったのである。
別の私の友人の説では、彼女の買った宝石が、果たして本物かどうかは分からない、と言っているが、少なくとも本人は本物と信じていた。
こうして、パピルスには偽物が多いよ、と教えてくれたA婦人は、自分が本物と信じる宝石を手に入れて、亡くなった。
老人をターゲットにする世界一周の長旅のクルーズでは一航海で数人が亡くなるのが相場だそうである。 でも船内ではその様なことは秘匿されるから、乗船客には分からない。
乗船客同士で、船の運航の様子がおかしいから、誰か亡くなったらしい。 アイツではないか、などと話していると、その目の前にアイツが歩いていったりする。
但し、Aさんの場合は、全く偶然に深夜、船からAさんの遺体を担ぎ出す作業を、私が見てしまったので分かった事である。
Mathematic papyrus を書いた人物がどのような人生を過ごしたかは知らない。 Aさんが最後の瞬間に何を考えたかは分からない。
どうだったのだろうなあ。 これがAlpsさんの「パピルス」を読んだ時の感想である。
間違いなく言えることは、急死する数時間前にAさんは幸福感で一杯だったことと、パピルスを書いた人物は、数千年の後に、私という人間がこれを見るだろうとは、思って居なかったことである。
只、確かな事が二つある。それはパピルスを頂いた事と共に友情を頂いた事である。
人には夫々他人には関係がなくとも、その人にとっては、重要な思い出や人生の哀歓を綴ってきた宝物がある。ピアニストさんの記事を読んでつくずくとそれを感じる。深い深い想いの籠もるもののある事を。