二人のピアニストに思う

gooニュース、注目のトピックスで「フジ子ヘミングがNHK斬り」を見て自分でもブログを作り、発言したくなった。

給料泥棒の弁

2005-05-11 04:43:51 | 独り言
私が始めて社会人になって、会社に入社した時には、今思うと全くの役立たずであり、企業利益への貢献は勿論ゼロであった。
 だが、会社は給料を呉れた。
今ならば研修費用(授業料)をこちらが払うのが筋だと思う位なのだが、会社は給料を支給してくれた。

会社にとっては一種の投資と言うか投機と言うか、私がある期間の後に役に立つ人間になって会社に利益を齎すことを期待してのことだと、私も同期入社の友人も理解した。


何時まで経っても一応の役に立つ人間にならぬかも知れない。
悪くすれば使い物になる前に病気でもして、結局は無駄な投資に終わるかもしれない。
しかし、終身雇用が当たり前であった時代には、新入社員の給与は、皆がこの様に理解していたのだと思う。

それ故、後になって明確に俺は今日会社にこれだけ儲けさせたと分るようになった時にも、その何%を俺に呉れるべきだ、などとは全く考えなかった。


自治医大や防衛大の卒業生の中には、就職の進路を勝手に決めても、税金で賄われて来た自分等の教育経費に申訳の無さを感じない人物が増えている。
この世相に、『時代』を感じる。

自分が会社に齎した利益のある部分をよこせ、と気楽にいう人も増えた。
この人達は、未だ役に立たぬ段階で貰っていた給料は、どの様に考えているのだろうか。
転職の自由などと気楽に言う現今では、会社は昔の様なことはバカらしくてやっていられない。  即戦力になる状態で入社して来い、と云うだろう。
正社員比率は減るのが当然だ。

しかし昔と現在とどちらの社会が健全であるかは分らない。
新しい事が常に良い訳でないことは常に見ることである。(都合の良い時点で都合の良い主張をする人物は明治大正の文学にも登場する、 が比率が少なかったのではないか)。

私も長い人生の中で、些かは社会に貢献した心算で居る。
不遜と言われるかも知れないが、データを示せば納得して戴けると思う(此処で詳細を述べる訳には行かないが)。
だが、あの様に世話になった最初の会社には利益を齎らさなかったのは、確かである。

結局、あの会社は、自社の直接の利益にはならない出費をして、私を育ててくれた。
そのようにして育てられた私の働きは、社会全体には役立った。
あの会社が私に数年間の無駄飯を食わせて育て上げたことは、社会全体として見るとき無駄でなく、私が仕事をする為に必要な過程であった。

「企業が社会的な存在である」ということのある部分には、こういう事実が有ると私は思っている。

 

会社時代に現場で働いた私等には、自分の仕事で会社が今日どれだけ儲けたかは、分り易かった。
技術部の連中は会社の儲けへの直接の利益計算は出来ないが、彼等が必要な存在である事は明白だった。

しかし研究所に居る同僚の仕事は全く違っていた。
成果が上がれば学位論文にになって、その人物の個人的な名声に繋がるが、企業利益とは概ね別な事である。
極めて希な場合に彼等の成果が重大な企業展開に結び付くこともあるが、殆どの場合彼らの仕事は会社の利益に直結はしない。
見方によれば我々現場マンが彼等を養っているようなものだと感じていた、しかし、その事を怪しからぬとは思わなかった。
腹が立ったのは、彼らが自分らは現場マンより偉いのだという素振を見せる時、であった。

世の中は分業で成り立っていると今でも思うから、現場マンも研究所の博士さんも同様に必要な人だと思う。
田舎で泥にまみれて食料を作る人も、TVで評論を述べる人も、社会には必要な人だと思う。
しかし最近は、絶対に金の卵を産む筈の無いくせに、見当はずれなプライドを持つ文化人が随分と多いように思う。

昔、士農工商という身分制度が有った時に、無くても社会が少しも困らぬものは「士」であった。
現在も、弁護士、医師、代議士、など「し」の付く人達は大体社会的貢献度は怪しげである。
終戦直後の雑誌『思想』に田中美智太郎氏が書いていた「最も必要な物だけの国家」という文章が有ったと記憶するが、そろそろ人類も次のノアの洪水の時に備えなければばならない時期になった。
何を箱舟に積み込むべきか、考えようではないか。

事実を捻じ曲げてでも、嘘を言ってでも、無罪を勝ち取れば良いと考えている弁護士という職業は、箱舟には要らないのではないか。
議員年金制度や、医師優遇税制や、裁判官身分保障や、保険料も納めないヤクザさんの社会保険は、そろそろ廃止したらどうだろう。
 
これ等に比べて余り評判は良くないが、子育てだけに専念する専業主婦は最も必要なものではないだろうか。


私が赤ん坊で何の役にも立たなかった時から始まって一人前の社会人になるまでの間、両親は全ての面倒を見て育て上げてくれた。
自分の老後をこの子が面倒を見てくれるとの計算に基いたものではなかった。
唯ひたすら我が子の人生の幸福を願っての事であった。
時代は変わった。 最近の親は計算する。

私が最初に勤めた会社も、私の親も、無駄飯を食わせて育て上げて呉れた(会社は私に期待し、親は何も見返りを期待しなかった所は違う)が、私は会社にも親にも報いる所がなかった。

「坂の上の雲」で秋山好古は「男にとって必要なのは、若い頃には何をしようかという事であり、老いては何をしたかということ」と言い切っているが、私のしたことは給料泥棒であった。


あの頃に戴いた給料を、仮令利息を付けなくてもお返ししたいが、最早それは叶わない。
会社も両親も、最早この世に現存しないのだから。 無念である

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1 コメント

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Unknown (Alps)
2005-05-14 14:14:31
 本文の最後の言葉に共感し、切なさを感じる一人である。世の中は分業で成り立っているのもお説の通りだが、与える者と与えられる者とが互いに補完し合っているのも事実で、与えられた者が何時かは与える側にもまわる(中には必ずしもそうでないのも居るが)。

 私もY社に入社し、そこで物作りの現場や技術部門を幾つか経験させられて居る内に、何時しか物作りの理論と実際を経験させて頂き、其れが私の宝にもなっている。これは偏にY社から頂いた恩であると共に、実務を通して聊かなりとY社の恩顧に報いたと言う自負心も持っている。

 本来ならば引退する年齢に達してから、請われたとは言いながら、倒産寸前のT社の経営を引き受けて、苦闘の末に再興する事の出来たのは、Y社で受けた恩の一端をT社という場を通して、T社に還元すると共に、社会にも報いた事と思っている。

 T社再興の話は何れ別項で語りたいと思うが、引き受けた時の会社は、資本金11,000万円で、毎月1億数千万円(毎年10数億円)の赤字を出していた会社と言えば、凡その見当が付けられると思う。今、T社は優良会社として立派に社会に貢献している。Y社で勉強させて頂いた結果の一端がこのような形で還元されるのも社会の補完機構の一つであろうと思う。

 それが社会の構造と思えば、実務を通してそれなりの結果を残している限り、給料泥棒などとは言うまい。

 ただ、信州の母に、陽気が良くなったら温泉に連れて行く約束をしながら、陽気が良くなる前に逝ってしまった母を思うと、T社再興の話など交えながら、ゆっくり話し合えなかった事が今も悔やまれる。
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