本日は日本海海戦の100周年の日であるが、 私の眼に触れる限り新聞でもテレビでもこの話題を取上げたものは無かった。 僅かに、夕方6時のNHKテレビニュースで一分間弱の関連話題があったが、それはウラジヲストックでロシア海軍が慰霊祭を催したというだけのものであって、 日本側の何処かの行事の話ではなかった。
私は現役時代からこの日の前後には若い人達に向かって、日本海海戦の話をする癖があった。 私は右翼系の人々からは左翼的だと言って非難され、左翼系の人々からは右翼だと言って中傷されることが多かったが、自分では中庸の心算でいる。
そこで日本海海戦の話を若い人達にした時も、日本勝った万歳、とかロシアをやっつけて良かった、といった話し方はしていない。
私が話したのは、 一つは開国僅か30年であの戦勝を実現した明治の人々の志の高さであり、 もう一つは技術者としての専門分野の先達としての松代松之助の業績が, あのワンサイドゲームの結果を齎したことを語ったのであった。
今や隠居の身となって若い人達にこれ等の話をする機会はない。
また、日清戦争当時の中国艦隊司令長官であった丁汝昌と日本艦隊司令長官伊東祐亨の話。 日本海海戦でのロシア艦隊の戦艦アリヨールの艦長ユング大佐と日本の戦艦朝日の艦長・野元大佐の話なども、近頃の人達は知らないようである。
冒頭で陳べたとおり,現在のメデイアはこれ等の話を伝えてくれない。
僅かに私の出来る事として、このブログ記事を見て下さる方々が、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んで下さる様にお願いするだけである。
私は現役時代からこの日の前後には若い人達に向かって、日本海海戦の話をする癖があった。 私は右翼系の人々からは左翼的だと言って非難され、左翼系の人々からは右翼だと言って中傷されることが多かったが、自分では中庸の心算でいる。
そこで日本海海戦の話を若い人達にした時も、日本勝った万歳、とかロシアをやっつけて良かった、といった話し方はしていない。
私が話したのは、 一つは開国僅か30年であの戦勝を実現した明治の人々の志の高さであり、 もう一つは技術者としての専門分野の先達としての松代松之助の業績が, あのワンサイドゲームの結果を齎したことを語ったのであった。
今や隠居の身となって若い人達にこれ等の話をする機会はない。
また、日清戦争当時の中国艦隊司令長官であった丁汝昌と日本艦隊司令長官伊東祐亨の話。 日本海海戦でのロシア艦隊の戦艦アリヨールの艦長ユング大佐と日本の戦艦朝日の艦長・野元大佐の話なども、近頃の人達は知らないようである。
冒頭で陳べたとおり,現在のメデイアはこれ等の話を伝えてくれない。
僅かに私の出来る事として、このブログ記事を見て下さる方々が、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んで下さる様にお願いするだけである。
昨日の産経新聞の社説や今日の読売の社説・編集手帳欄などで取り上げられています。また、数ヶ月前のNHK(「歴史は動いた」だったか、そんなようなタイトル)の番組でも取り上げられました(秋山の丁字戦法が特に)。また、司馬遼太郎のその本は多くのメディアが取り上げて引用していますね。
また読売で2ヶ月くらいまえに、日露戦争の特集記事があり、惨敗の陸戦(乃木司令の話とか、その後の戦術に与えた影響とか・・・単に「精神力」で突撃させ、いたずらに戦死者を増やしたとか・・・)なども書かれていました。
日露戦争後、日本国民の多くは急にそれ程の狂気には向かわなかったと思いますが、帝国主義への階段を登り始めることになっていったのだと思います。それでも昭和初期の歯車が戦争へと回っていくまでには、時間がありました。明治人の外交への卓見がしだいに失われていったのでしょう(幕末から明治時代には、外交センスをひたすら磨き、欧米人たちから吸収しようという意欲に溢れていたのだろうと思います)。
長々と失礼致しました。
「戦争には義戦も聖戦もない」と言うのが私の考えです。第二次世界大戦は軍部が独走したのではなく、日露戦争に勝って提灯行列に浮かれた多くの日本人(の子孫)が賛同したのだと思います。戦争の責任はA級戦犯だけにあるのではなく、多くの国民が責任を負わなければならないと感じています。(A級戦犯が無罪だと言うつもりはありません)
「教え子を再び戦場へ送るな!」と叫んでいた先生方も現役を去られただけでなく、この世からも去られた方が多くなりました。現在の日本では「教え子を戦場へ送る教育」が進んでいるように思えてなりません。
フィリピン・ミンダナオ島に2名の旧日本軍の生き残りの兵と思われる人が居るという報道はショックだった。戦後既に60年を経ても、この人達にとってはまだ戦後ではない。戦争と言うものの悲惨さをつくづくと感じさせるニュースで、本当にそうであったなら、何とか救出してやるのが国家の義務ではないかと思う。
「まさくにさん」が言われるように、5月27日の事は、読売新聞の社説と編集手帳に報ぜられている。戦争の悲惨さを繰り替えさない為にも、風化させたくない事実を、TPOを捉えて語り継いで行くのが、其の事実を知っている者(年代的に段々少なくなり又そのような場が少なくなってゆくのは止むを得ない事)や、マスコミが伝えて行くのが大切な事と思う。
ただ、事実はどうだったかという事の難しさを、「坂の上の雲」の乃木将軍像と、NHKの「其の時歴史が動いた」で報じられた乃木将軍像の報道に一例を見る思いがある。
すでに皆様が議論されているように、マスコミの論調や歴史の見方には様々な見解があります。どれが正しいかは一概には言えないと思います。私が「戦争には義戦も聖戦もない」と言った意味は言い換えれば「全ての戦争は義戦であり聖戦だ」と言うことでもあるのです。自分は正しい、悪いのは相手だと考えるから戦争になるのであって、相手が正しいと感じて戦う人は(戦うことを強制されている場合は別ですが)いないと思います。
旧日本兵を救出することは、災害で生き埋めになった人を救助するのとはかなり意味が違うと思います。彼らは彼らなりの信念に基づいて戦後を生きてきたのだと思います。彼らがどう考えているのか、彼らの信念は間違った信念なのか、などはわかりませんが、大勢のマスコミが押し寄せて騒ぎ立てて、彼らが人生の大半を大切に持ち続けた信念をぶち壊すことは人道的ではないと思います。
60年間も放置したことは残酷なことでしょうが、無理やり日本へ連れ戻すことも同様に残酷なことなのではないでしょうか。
立場や環境が違えば人間の考え方は様々であることを是非理解していただきたいと思います。