二人のピアニストに思う

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旧制中学入試問題集

2007-12-27 21:27:38 | 独り言
「旧制中学入試問題集」武藤康史著、ちくま文庫、という、
思い掛けない本を貰って読み、感動した。

私等老人が現在の日本社会のモラル崩壊を論じると、
   内容の当否でなく、“『昔は良かった』的な響き”
   の故に非難する人種が居る。
海外での見聞を披露して、日本でもその様な社会を
       作ろうと提案すると、
       『出羽の守』という称号を付けられて、
   最初からこちらの主張に耳を塞ぐ人種が居る。


現在の国立大学理工学部の大学院修了者に、
   分数の計算が出来ない者が居るのは厳然たる事実であり、
   半世紀前の小学校卒業生の平均学力よりも劣る者が居るのは、
   火を見るよりも明らかであるのに、それを言うと、
何時の時代でも老人はその様なことを言うもので、
   『エジプトで発掘された古文書』に、
      「近頃の若者は・・」、と書いてあった、
   と言って、真面目に取り合わない者が居る。



この類の人種、{『“昔は”調』、『出羽の守』、『エジプト古文書』人種}
   とは会話は成立しないので、その種族が増えている現状に腹を立て、
   「俺は長生きをし過ぎた」、と不愉快な日々を過ごしているところに、
   この「旧制中学入試問題集」を貰ったのである。

明治35年から昭和14年までの、旧制中学入試問題
   を見ると、上記のような人種のいい加減さが
   直ちに納得出来るであろう。
 戦前の小学校卒業者は、それだけの学力があり、
   これだけの入試問題によって中学への入学の
   選別を行なわれていた、という事実が、
   明白に証明されるからである。


此処は本書の紹介が目的ではないので、その内容に立ち入る事は止すが、多少とも興味のある方は
  ▲まえがきーーー昔の小学生はいろんなことを知っていた
  ▲あとがきーーー義務養育のエッセンスが詰め込まれた宝石箱
を見るだけならば、本屋の店頭で一分間以下で済むだろうから、覗いて見ることをお勧めする。

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「旧制中学入試問題集」の巻末に近いところに
   中村稔氏の受けた入試問題の項がある。
昭和2年の1月生まれの中村氏は、昭和14年に府立五中
   を受け、昭和18年(四修),19(中卒)年に
   (旧制)第一高等学校を受けている。

昭和3年の2月生まれの私は、昭和15年に郷里の
   県立中学校を受け、昭和19年に(旧制)高等学校を
   (四修)で受けたのだから、年次的に非常に近い
   ところに居る訳である。


当時の中学校の入試会場では、試験場で問題が配布されると、父兄の居る待合室にも壁に問題用紙が張り出されて、付き添いの父兄達はその問題を見て気を揉んだりしたものであった。
私も実際に受験する前の年、(小学校5年生から6年生になる春)、昭和14年の入試会場に行って問題を見て、この程度の問題が出るのだな、と覗いてきた。

ところが、実際に私が入試を受けた昭和15年には、
  文部省の方針で日本中の中学校で学力検査が無く、
  体力検査(懸垂など)だけになり、前年に問題を
  見に行った事は無意味になった。
学力評価は筆記試験でなく、小学校からの内申
  によるように変更されたのであった。


確かに、その変更は、それはそれなりに一理あることではあるが、マイナス面もあって、
私の居た小学校では内申書を書く教師のエコヒイキと無定見で、トンでもない事が、行なわれた。

こういうことの起こる可能性は、上記のような
  入試改革の議論をする時に役人の頭の中には
  描かれないのであろう。
そして数多くの、当初予想外の事例が発生してきてから、
   役人は、自分の判断の抜かりに、気付くのである。


中村稔「私の昭和史」を見ると, 中村氏も小学校時代の先生に依怙ひいきがあったのではないか、と疑っている。

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最近の「ゆとり教育論議」ではないが、
  役人の考える事、やることのパターンは、
  何時の時代も、同じである。


さて、私が高等学校に入学したときに隣席になったY君は
  東京府立一中卒の秀才で、田舎中学から来た私は
  席を並べて余りの学力の差に絶望感を味わされた男
  であるが、昭和18年の試験に第一高等学校を落ちている。
その同じ時の試験を中村稔氏も受けて、
  Y君と一緒に落ちていた訳である。

その翌年、浪人を1年したY君がひよって、地方の高校に
  逃げてきた昭和19年に、中村稔氏は頑張って、
  一高に合格した、のであった。

Y君程の秀才でも、昭和18年の試験に第一高等学校
  を落ちているのだから、一発勝負の試験とは怖いものである。
その逆に、私のようなボンクラが旧制高校に
  (四修)で合格したのも、一発勝負の試験の怖さである。

しかし、間違いであっても、旧制高校に(四修)で合格
  できた私が、小学校の先生の依怙ひいきのために
  内申書が悪く、
中学校の入試の合格が極めて危うかったのだから、
   酷いものである。

小学校5年を終えた段階で中学入試を覗きに行ったときに、
   私はこれならば合格できる、と思った。
しかし、翌年、内申制になったので、合格が極めて
  危ういものになったのを、本当に許し難く思っている。

尤も、私は旧制高校の入試(競争倍率20倍)を受け
  終えて帰宅した時に、良く出来たから合格する、
  と母に報告して大目玉を貰った。
常に少し自信過剰なのかも知れない。
が、それにしても、、中学受験についての私の経験は、
  常識的には考えられない経過である。


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