意識の進化、次元上昇をアシストする“イエス-道(Jesus,the Way)”

“イエス-道”という視点から、人生を生きる秘訣・コツを考える“斬新的な聖書リサーチ”

ブログ(92)『ゆずれない願い』(by 田村直美)の歌詞に観る “イエス - 道(Jesus,the Way)”

2015年02月16日 22時27分03秒 | 歌の歌詞に観る“イエス-道”

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ブログ(92)ゆずれない願い(by 田村直美)の歌詞に観る “イエス - 道(Jesus, the Way)



1994年11月9日に発売され、テレビアニメ『魔法騎士レイアース』のオープニングテーマとなり、120万枚を超える売り上げを記録したという、田村直美の代表的ナンバー、『ゆずれない願い』の歌詞について、今回は、イエス - 道(Jesus,the Way)”という独自の視点から観ていきたいと想います。


時折、YOUTUBEで、『ゆずれない願い PV』、あるいは、『ゆずれない願い 2013』を聴いたりしながら、しばらくまたお付き合い下さい。


ゆずれない願い』は、「止まらない未来を目指して ゆずれない願いを抱きしめて・・・」という歌い出しの田村直美の有名なナンバーです。ご存知の方も多いかと想います。


今回のブログでは、幾つかの重要なフレーズを引用しながら、重要なメッセージを、“人として人生を生きるコツや秘訣”を汲み取って参りたいと想っています。お楽しみに・・・。 

(2月12日 木曜日 0:57 更新) 


ところで、私が注目している『ゆずれない願い』の中のフレーズというのは、


止まらない未来を目指して ゆずれない願いを抱きしめて


・・・・・・・

いつも飛べないハードルを負けない気持ちでクリアしてきたけど

出し切れない実力は誰のせい?


止まらない未来を目指して ゆずれない願いを抱きしめて

色褪せない心の地図 にかざそう


どれだけ泣けば 朝に出遭えるの

孤独な夜 初めて限界を感じた日

・・・・・・・

に続く坂道で 強さを覚えたい

止まらない未来を夢見て

口を閉ざし 瞳を光らせてきたけれど

もっと大きな優しさが見えた


いつも飛べないハードルを負けない気持ちでクリアしてきたけど

スタートラインに立つたびに怯えていた

止まらない未来を描いて 腕を伸ばし 心を開いて


止まらない未来を目指して ゆずれない願いを抱きしめて

色褪せない心の地図 にかざそう


という辺りです。とは言っても、かなりのフレーズを引用してしまっているわけですが・・・。


さて、このようなフレーズで歌われているこの『ゆずれない願い』というナンバーを、心静かにして(心の中の雑音を消しながら)聴いていくと、“人としての どのような生き方”というものが浮かび上がってくるのでしょうか? 

(2月12日 木曜日 23:03 更新



田村直美が歌うゆずれない願い』というナンバーの歌詞を観ていく時に、幾つか重要なポイントがあります。その中の一つは、この歌詞の中で頻繁に切り返し歌われる“ゆずれない願い”をどのように観ていくかということです。私は、このゆずれない願い”を別々の2つの方向から捉えることが出来るのではないか・・と観ているのです。その2つの捉え方とはどういうことなのかについて、これから説明いたします。


ゆずれない願い”という場合の“ゆずれない”ということを、“こだわり”、“執着”、“固執”、“囚われること”、“しがみつくこと”、“頑固さ”、“頑なさ”、“融通が効かないこと”、“柔軟性がないこと”というふうに観ていった場合、自分の願いを叶えるということは至難のわざになってくるのです。このようなスタンスに立って、自分の願望を達成しようとする人は、実際、多いと想います。実は、このような意味合いの“ゆずれない”想いというのは、イエスの教えとは相容れないものなのです。


この典型的な例というのが、マタイによる福音書19章16節~30節に描かれているのです。ここで、一人の人がイエスに近寄ってきて、「先生、永遠の命を得るためには、どんなよいことをしたらいいのでしょうか」と尋ねたわけです。イエスは、彼の中で『永遠の命を得ることを妨げているもの』というのが何であるかを見抜いておられました。それは、彼の想いが自分が持っている富や財産などに“執着し、囚われ、しがみついていたこと”だったのです。そのことに気づかせようとして、イエスは彼に向かって、「・・・帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」と命じたのでした。ところが、彼は、自分の内にあるそのような“想い”が自分自身を永遠の命から引き離している現実・事実に気づかないまま、イエスにそのことを指摘された直後に、逆に、自分の富や財産に対する執着しがみつきさらに増大させてイエスのもとを悲しみながら立ち去っていったというのです。


人は誰でも、自分の人生の中で何とかして叶えたい願いと持っていると想います。でも、もし自分が“願っている結果”に強いこだわりを持ったり、執着したり、しがみついたり・・・という“想い”を増大させていくならば、自分の願いが叶えられないまま、彼のように悲しみと失望を味わうかも知れないのです。実は、このようなことから、「出し切れない実力」、「どれだけ泣けば 朝に出遭えるの」、「孤独な」、「限界を感じ・・・」、「スタートラインに立つたびに怯えていた」ということが生じてくるというわけです。


では、ゆずれない願い”という場合、これとは違う、別の意味合いの“ゆずれないということは、どういうことなのでしょうか? さて、皆さんは、どう想われますか?


ずれない”ということに違った角度から光を当てると、それは“強固なと観ることもできるのではないでしょうか? もちろん、これは想い”が何かに囚われて融通がきかなくなってコチコチと固くなった状態ということではありません。それとは真逆で、“想い”が何ものにも囚われていない自由で伸び伸びとした状態で、なおかつ、“強固さを兼ね備えた想いというわけです。つまり、その人は、“色褪せない心の地図”を鮮明に描けるほどに確固たる想い強い明確な想いを持っていて、それでも、自分の“心で想い描いている地図”という『結果』自体に、必ずしもこだわっていない、囚われていない、執着してはいないという特徴があるのです。自分が想い描いている願いの内容や結果以外にも、もしかしたら最善の答えが有るかも知れない・・・と、想えるような“心のゆとり”というものがあるわけです。これが、寛容の愛と調和した想いなのです。言い換えれば、自分が願っている『結果』すらも、“Let it go(=手放していける)”ができる心の広さ心の寛大さ心の余裕心の奥行きというか、そういうものがあるわけです。


このことが可能となるのは、その人が“心で想い描いている地図(=結果)”をジャッジしていない(=さばいていない)からなのです。すなわち、善悪の固定観念で、好き嫌いの尺度で、損得勘定で、あるいは、優劣といった相対的なモノサシなどで測ったり、価値を判断したりして、『結果』はこうでなければいけないとか、自分が“今”考えていることが唯一絶対で、理想的な結果だ・・・などと決めつけたり、思い込んだりしないこと、それが“さばかない”ということなのです。


実は、このようにさばかないことを実践していく時に、願っていることが自分の“内なる光”に届くというわけです。これが、「ゆずれない願いを抱きしめて 色褪せない心の地図  にかざそう」ということなのです。もし人が自分が願ったことさばいてしまうならば、それをにかざすことはできないのです。さばいている時に、自分の願いの間に“厚い覆い”がかかってしまうからです。そのため、自分の願いがキチンと、内なる光”に届かなくなってしまうのです。仮に、届いたとしても、自分が願っていることと、“内なる光”が想っていることとの間にズレが生じることになってしまうのです。このようなズレが生じている時には、自分の人生を自分が想い描いているように、創造していくことが難しくなってしまうので、注意が必要です。


つまり、「ゆずれない願い」というものをどのように観ていくか、捉えていくか・・・によって、人の人生は全く違った方向に進むことになっていくことになるのです。そして、このゆずれない願い」に深く関わってくるキーワードは、“さばかない(=ジャッジしない)”ということなのです。このことを実践していくかどうかに、人の人生は大きく左右されていくことになるわけです。 


(2月16日 月曜日 22:27 改訂更新

 

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