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“イエス-道”という視点から、人生を生きる秘訣・コツを考える“斬新的な聖書リサーチ”

映画「君の膵臓をたべたい」の深読み⑯ “赤いリュック(1)”

2018年12月20日 21時50分13秒 | 映画ブログ

赤いリュック(1)

 

Osann: 「春樹と一緒に博多に旅行した時に、桜良は赤い大きな

     リュックを背負っていたよね。

     行く途中に電車の中で、春樹は『ずいぶん大きなバック

     だね』というふうにも桜良に言ってたし、·····

     この赤い大きなリュックってどういう意味合いがある

     のか わかる❔」


ハジメ: 「そう言えば、映画キミスイを観ていると、やけに

     桜良の背中にあるこの赤い大きなリュックが目立って

     たよね。桜良が病院を一時退院して、家に帰って

     おめかしをして、春樹と一緒に旅行して満開の桜を

     観るため 家を出た時も、やはり同じ赤いリュック

     背負ってたしね。何かとても意味ありげな気がする

     んだけど····。どんな意味があるんだろう。」


Osann : 「この“赤いリュック”というのは、聖書の真理に

     照らして観ると、実に、とても重要であることが

     わかるんだ。

     そして、この赤いリュックの謎を解くヒントが、

     後になると、ハッキリと示されるんだ。

     そのヒントは、街頭ビジョンのニュースにハッキリと

     映像として 映し出されることになるんだ。」


ハジメ: 「そう言えば、その街頭のニュースの中で、桜良の

     赤いリュックが地面に置かれてあって、そのすぐ

     そばに 桜良から流れ出た見えてたよね。」


Osann : 「そうなんだ。つまり、この赤いリュックというのは、 

     桜良が流す血を暗示していたんだ。


     ついでに言うと、この映画には 実は 天国に関連した

     シーンが3ヶ所あるんだけど、全部 気づいてた❔

     1つ目は、桜良が高校の屋上にある階段を上って

     いって、春樹に向かって『ほら! 天国で会おうよ!』

     と語った、いわゆる、“天国への階段”のシーン。

     2つ目は、スウィーツパラダイスのシーンなんだ。

     なぜなら、パラダイスは天国ということだから。

     3つ目は、うっかりすると見逃しちゃうかも知れない

     けど、恭子にあてた桜良の遺書の手紙にあったんだ。

     この映画中では、この遺書の内容というのは 桜良の

     声で恭子に語りかけられるという形になってるんだ

     けど·····。ところが、この遺書の手紙の最後の文章が、

     桜良の声で読まれていないんだ。でも、映画のDVD

     を一時停止した状態で、この手紙をよく見てみると

     このように書かれてたんだ。つまり、追伸の前に

     『天国からいつも見守ってるね。』と。


     で、これら3つ天国に関係しているシーンには、

     それぞれ重要なメッセージ(つまり、一緒に天国に入る

     のに必要な条件みたいもの)が隠されていたんだ。


     1つ目の天国シーンでのキーワードは、桜良の背後に

     あった吸い込まれそうな“青空”なんだ。これについて

     は、また後で説明するとして······


     3つ目の天国シーンでは、春樹にずーっと敵意を持って

     いた恭子が春樹と和解して、友だちになるということ。

     これについても、後で説明するとして·····。


     で、2つ目の天国シーンであるスウィーツパラダイスに

     おける隠れたメッセージというのは、この店の内装や

     椅子のなどの色がやけに赤いということなんだ。

     実は、これが桜良の赤いリュックと共に桜良の死んだ時

     に流したを象徴してたんだ。


     聖書の黙示録を観ると、天国(神の国)には十字架で罪人

     のために犠牲となってを流されたイエス▪キリストを

     象徴している“ほふられた神の小羊”が描かれていると

     いうわけなんだ。


     聖書によると、人と神との間に結ばれた契約は、二つ

     あって、一つ目は旧約(つまり、古い契約)、二つ目は

     新約(つまり、イエスによる新しい契約)。

     そして、この二つ目の契約というのは、“イエスの

     よる契約”とも呼ばれてるんだ。 この契約の効力の

     お陰で、天国(神の国)というのがリアルなものとなった

     わけなんだ。」


ハジメ: 「それで、なんで赤い色が象徴する桜良が流した

     イエスが流したが関係してくるわけ❔」


Osann : 「映画『君の膵臓をたべたい』を一番大事なところ

     (つまり、それ食べると魂がその人の中で生き続ける

     と桜良が言ったけど、“食べる”というのはどういう

     ことなのかということ)を解き明かしていくことは、

     すなわち、聖書の奥義(つまり、イエスの肉を食べ

     イエスの血を飲むというのは どういうことなのか)

     解き明かしていくことにも通じるんだ。


     だから、ここからが、実は、とても大事な話になって

     くるんだ。映画キミスイの真髄を理解するためにも、

     また、聖書の中にある とても大切な真理がわかるため

     にも·····。


                     これから話すことの重要性を考えたら、これまで話して

     きたことは、ほんの序論に過ぎないと言ってもよいか

     知れないよ。」 


ハジメ: 「へ~、そうなんだ。それで、それで❔」


Osann : 「これから話そうとしていることは、実は、映画

     『君の膵臓をたべたい』であっても、また、聖書で

     あっても、ボーッと観ていると、見逃してしまい

     そうなことなんだ。でも、心の目をしっかり開いて

     観ていくなら、発見することができるんだ。


     一番大切なこと(=隠れた宝) は、目に見えない。

     じゃ、どうやって見ていけばいいんだろうか❔

     これから話そうとしていることは、そのような

     テーマかも知れない。


    『君の膵臓をたべたい』の映画を観ていると、

     この映画全体がそのような壮大なテーマに照準を

     当てながら、ストーリーが無駄なく展開している。

     そんなふうに、私には思えてならないんだ。」


ハジメ: 「この映画では、『君の膵臓を食べたい』という

     言葉が度々 出てくるんだけど、これはどう理解した

     らいいのかな❔」


Osann :  「これは字義通りに捉える必要はないと思うんだ。

     別に食べる対象が“膵臓”でなくても、また、体の

     他の特定の部位とかでなくてもいいと思うんだ。

     これは、あくまでも象徴的な表現と捉えた方がよい

     と思う。

     ”食べる”ことで、その食物が持っている栄養とか

     エネルギーが食べた人の中で同化し、一体化すると

     いうことを象徴していると思うんだ。


     でね、ここで聖書の世界から『食べる』ということが

     何を意味しているのか一度確認してから、再び  映画

      『キミスイ』に戻って観ると 案外 わかりやすいと思う

                     んだ。」


イエスを食べる


Osann :   「ではさっそくイエスの口から語られた言葉に耳を

     傾けてみようか。


     『私の肉を食べ、私の血を飲む者には、永遠の命が

      あ···る···。わたしの肉はまことの食物、わたしの

      血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ、

      わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしも

      またその人におる。

      生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが

      父によって生きているように、わたしを食べる者も

      わたしによって生きるであろう。

                         (ヨハネによる福音書6章54節~57節)


     実は、イエスのこの言葉を聞いた多くの弟子たちは、

     『これはひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いて

      おられようか。』(同6章60節)」

                    と言って、去っていき、もはやイエスと行動を共に

     しなかったというんだ。そして、イエスのもとに

     残ったのは、ほんの一握りだけ····12弟子くらいだった

     ようなんだ(同6章66節~67節を参照)。


     イエスが語ったこれらの言葉は、実は、字義通りに

     捉えるべきではなかったんだ。


     実際、イエスはこんなことを語っているんだ。


     『人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも

      立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は

      霊であり、また命である』(同6章63節)


                    つまり、イエスが語られた言葉というのは、霊的に

     捉えないと、真意がわからないばかりか、むしろ、

     誤解したり、曲解したりしてしまうことになるんだ。


     では、イエスを“食べる”とは、霊的な視点からみて

     どういうことなのか·····それは宝を探すように注意深く

     観ていかないといけないんだ。


     でも、この霊的な意味を解明していくためのヒント、

     あるいは、カギというのは あるんだ。」


ハジメ: 「ヒントになる聖書の言葉というのは、どこにあるの❔」


Osann :   「そのヒントと言えるイエスの言葉というのは、ヨハネ

     による福音書6章40節にあるんだ。

     『わたしの父のみこころは、子を見て信じるが、

      ことごとく永遠の命を得ることなのである。


     これを先程の『私の肉を食べ、私の血を飲む者には、

     永遠の命があ···る』というイエスの言葉と重ね合わせて

     読むとわかるんだ。

 

     つまり、イエスを食べるとは、イエスを信じることを

     意味しているというわけ。


     “なあんだ、そういうこと”····と、思うかも知れない

     けど、実は、問題は ここで言われている信じるって

     どういうことなのか····てことにあるんだ。

     

     “信じる”って、思い込むことでも、マインドで納得して

     同意することでもないんだ。また、『私はキリスト教を

     信じます』とか『私はイエス▪キリストを救い主として

     信じます』などと 信仰告白をすることが、必ずしも

     ここで言っている“信じる”ことにはならないんだ。


     信じる”ためには、心の目が開かれていること心の

     目が澄んでいることが、とても重要になってくるんだ。


     肉眼では見えない“隠れた真実(真理という宝)”をはっきり

     と認めることができるくらいに心が明るく照されている

     ことが重要になってくるわけなんだ(マタイによる福音書

     6章19節~23節、同7章3節~5節)、ヘブル人への手紙

     11章1節を参照)。


     隠れた真実(=見えない事実▪真理の宝)をありのまま

     見ること、認めることが、すなわち、“信じる”という

     こと。


     そのためには、心が清いことが大切になってくることを

     イエスは山上の説教の冒頭で指摘したんだ(マタイによる

     福音書5章8節を参照)。


     ところで、イエスが神から遣わされたということを

     イエスの口から何度も語られており、また神から遣わさ

     れたという そのイエスを信じることが人の救いにおいて

                     重要であることも説かれているわけなんだけど·····。

     そもそも、イエスは何のために神から遣わされたと

     思う❔ 言い換えれば、神から遣わされたイエスに

     託された最も大切な使命って何だと思う❔」


ハジメ: 「そう言えば、以前 シロアムの池での奇跡について

     話してたよね。それがイエスの使命と何かしら関係

     しているのかな。」


Osann : 「実は、そうなんだ。その点について、今一度

     再確認してみようね。······」

               

*二人の興味深い会話は、⑰『赤いリュック(2)』へ 続いていく(お楽しみに)**

 (2018年12月9日~20日)

 

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