意識の進化、次元上昇をアシストする“イエス-道(Jesus,the Way)”

“イエス-道”という視点から、人生を生きる秘訣・コツを考える“斬新的な聖書リサーチ”

映画「君の膵臓をたべたい」の深読み⑮ “心で見る”

2018年12月09日 18時59分55秒 | 映画ブログ

心で見る

 

Osann :   「この映画を観ていると、『星の王子さま』の本が

     度々 出てくるよね。

     つまり、とても重要ってことなんだ。


     でね、この本の中には、キツネが星の王子さまに

     言った言葉として、こんなふうに書かれてるんだ。


      『じゃあ秘密を教えるよ。とてもかんたんな

       ことだ。ものごとはね、心で見なくては

       よく見えないいちばんたいせつなことは、

       目に見えない』(新潮文庫、河野万里子訳)

     

                     いちばん大切なことは目に見えないからこそ、

     心で見ないといけない····と、キツネは秘密を

     教えたわけだけど、“心で見るって どういう

     ことなのか わかる❔」


     また、イエスの場合は山上の説教の冒頭のほうで、

      『心の清い人たちは、さいわいである。

       彼らは 神を見るであろう。

       (マタイによる福音書5章8節)

     と、言ったんだ。


     神も もちろん肉眼で見ることができない存在なんだ。

     で、”清い心”で見ないと神はよく見えないと、イエス

     は言われたわけなんだ。


     相田みつをの言葉に、

     『あなたの心がきれいだから  なんでもきれいに見える

                        んだなあ

                     というのがあるんだけど、これも同じような意味合い

     があるように思うんだ。


     じゃあ、心が清い”とか、“心がきれい”とか、これって

     どのような心だと思う❔

      

ハジメ: 「これまで、漠然としか考えたことがなかったので、

     あらためて聞かれても、答えにくいなあ。


Osann :   「私は思うんだ。心の清い人たち、あるいは、

     心がきれいな人たちというのは、心で見ることが

     できる人たちでもあるんだって。

     つまり、同じことを言ってるんだって。


     このような人たちの心にはフィルターがかかって

     いないんだ。

     ところで、聖書の詩篇18篇25節~26節には、こんな

     ふうに書かれてるんだ。


    『あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者と

     なり、欠けたところのない者には、欠けたところの

     ない者となり、清い者には、清い者となり、ひがんだ

     者には、ひがんだ者となられます。


     つまり、神は実際には“ひがんだ者”ではないのに、

     神を見る人の心に  もし“ひがみ”というフィルターが

     かかっているなら、“ひがんだ神”が見えてくるという

     わけなんだ。だから、逆に いつくしみのある者には、

     ちゃんと“いつくしみある神”が見え、欠けたところの

     ない者には、“欠けたところのない神”が見え、清い者

     には、“清い神”がしっかり見えるんだ。


     また、人の心というものは“”のようなものだとも

     言われてるんだ。

     見えない神を直接 見ることができないため、人は

     みんな自分の心に鏡の機能をもともと標準装備して

     いて、それぞれ自分自身の『心鏡』に映して、

     間接的に神を観ているんだ(コリント人への第二の

     手紙3章18節、コリント人への第一の手紙13章12節

     を参照)。

     

     だから、この心鏡』がきれいな人のことを心の清い

     (=心がきれいな)人たちとか、心にフィルターが

     かかっていない人たちなどと呼んでいるんだ。

     映画キミスイでは、“素直”という言葉がこれと同じ

     意味合いで使われているわけなんだ。


     ちなみに、このような人たちの心の奥にある“内なる

     光”というのは、明るく輝いていると 私は思うんだ。

     (マタイによる福音書6章22節~23節を参照)。

 

     もちろん、神を見る時だけじゃなくて、人を見る場合

     でも、自分の“心鏡”をきれいに保っておくこと(=素直

     になること)がとても重要になってくるんだ

 

     でね、映画キミスイを このような視点から、登場人物

     を観ていくと、面白いことがわかってくるんだ。


     それで、この映画の登場人物の中で“心鏡”がきれいな

     人(=素直な人)として描かれているのは、誰なのか

     わかる❔」


ハジメ: 「たぶん、桜良とガム君(丸顔の男子)·····かな。」


Osann :   「そうなんだ。だからこそ、桜良は恭子と親友になれた

     し、春樹とも仲良しになれたんだと思う。

     ガム君も、春樹とも仲良しになれたし、また 恭子とは

     12年後に結婚することにもなったんだ。


     桜良は、病室で 春樹に向かって 『君、先生になり

     なよ。』『だって、教えるのうまいし·····』と言った

     時に、春樹は『僕は独りでいるのが好きだし、他人と

     関わらない僕が向いてるわけないでしょ』と答えた

     んだ。その時、桜良はこう言ったんだ。

       『私  人を見る目はあると思うけどな

     つまり、桜良は心で見ていたので、人を見る目が

     あったんだ。

     言い換えると、桜良の心鏡”はきれい(=素直)だった

     ので、澄んだ心の目で見ることができたんだ。

     だからこそ、桜良は 見た目は“地味なクラスメート ”、

     “クラスで一番根暗だ”と思われていた春樹の中に

     隠れていた、あるいは、眠っていた目に見えない宝”に

     気づくことができたんだ。


     その人の心というのは、素直(=心が内なる光直結

     していること)なほど、相手の本質をより正確に“映し

     出す”となるんだ。

     これが、イエスが山上の説教の中で説いた“さばかない

     ということに繋がっていくんだ(マタイによる福音書7章

     1節を参照)。


     もし この心という鏡がきれいでなかったら、つまり、

     心鏡が曇っていたり、歪んでいたりしたら(=つまり、

     素直でないこと)、相手の内に隠れている宝を見ること

     ができなくなってしまうんだ。

     そして、甚だしく誤解したり、曲解したりしてしまう

     ことになるんだ。これが、実に “さばく”ということに

     繋がっていくことになるんだ。


     で、逆に、この心鏡がきれいでなかった人(=素直な

     心で見ることができなかった人)として描かれている  

     登場人物は、誰なのか わかる❔

     春樹に敵意を抱いていた人物だけどね。」   


ハジメ: 「クラス委員長と恭子····かな❔」


Osann : 「そうだよね。まあ 恭子は、最後には春樹と友だちに

      なれて良かったけどね。

     ところで、病室で“真実か挑戦ゲーム”をやって、春樹

     から『君にとって、生きるって どういうこと❔』と

     聞かれた時、桜良はちょっと考えてから、こう言った

     んだよね。

    『誰かと心を通わせること·······かな。誰かを認める、····』

     

     だから、“心で見る”ということは、相手を認めること

     でもあると思うんだ。良いか悪いかで判断するのでも

     なく、価値の優劣をつけたりするのでもなく、ただ

     相手のありのままを認めて受け入れていくことじゃ

     ないかって。


     ところで、スイパラで春樹がかつて女の子を好きに

     なった理由が何にでも“さん”をつけたこと、そして、

     それが『いろんなものに敬意を忘れないってことだと

     思ったんだよね』と言ったことを 桜良が真面目な顏を

     して聞いていて、思ったよりステキだったから。·····

     好きになった理由が。』と言ったけど、この“いろんな

     ものに敬意を忘れないこと”が、すなわち、相手をあり

     のまま認め、受け入れていくことと同じような意味だ

     と私は思うんだ。そして、これこそが桜良の生き方

     そのものではなかったのかなって、思うんだ。


     雨が降っていた夜に、桜良の家の前で クラス委員長が

                 『桜良はどうしてこんなヤツと』と春樹の前で吐き

                    捨てるように言い、また、家から出てきた桜良に

                    向かって『桜良、どうしてそんなヤツ』と言ったん

     だけど、これはまさに クラス委員長が春樹を 心で

                    見ていなかったこと、春樹に対して全く敬意を払って

                    いなかったことを証明してたんだ。」


ハジメ: 「確かにそうだよね。」


Osann : 「委員長とは対照的に、春樹に対する桜良の見る目は

     これとは全く違ってたんだ。

     春樹を心でしっかりと見ていたし、ありのまま 春樹を

     認めて、敬意も払っていたんだ。」


ハジメ: 「たとえば、桜良のどのような言葉から、そのことが

     わかる❔」


Osann : 「それはね、桜良が春樹に残した手紙(=遺書)からも

     窺い知ることができるんだ。

    『····でも私、そんな春樹に憧れてた。

     誰とも関わらないで、たった一人で生きている強い

     春樹に。

     私は弱いから、友だちや家族を悲しみに巻き込ん

     じゃう。 

     でもね、春樹はいつだって、自分自身だった。

     春樹は、本当にすごいよ。

     だから、その勇気をみんなにも分けてあげて下さい。

     そして、誰かを好きになって、手をつないで、ハグを

     して、うっとうしくても、まどろっこしくても、

     たっくさんの人と心を通わせて、私の分まで うん

     生きて。·····』


     桜良は、ここで春樹が人と関わらないで生きてきた

     ことがダメだとか、良くないことだよとか····決めつけ

     たりも、また、責めたりも、非難したりもしていない

     んだ。

     むしろ、そんな春樹に憧れてたとさえ、桜良は言って

     るんだ。

     ただ、ありのままの春樹を認めて、受け入れている

     んだ。

     そして、春樹は本当にすごいよと 認めた上で、桜良

     は、その勇気をみんなにも分けてあげて下さいと、

     春樹の背中をやさしく押してあげてるんだ。


     で、私は思うんだ。桜良が春樹をこのように心で見て、

     認めて、ありのまま受け入れていたからこそ、初めは

     素直と言えなかった春樹は 徐々に 自然と、素直に

     なれたんじゃないのかって。」


*二人の興味深い会話は、⑯『赤いリュック』へと続いていく(お楽しみに)**

 (2018年12月3日~9日)


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