意識の進化、次元上昇をアシストする“イエス-道(Jesus,the Way)”

“イエス-道”という視点から、人生を生きる秘訣・コツを考える“斬新的な聖書リサーチ”

ブログ(91) 『PRIDE』(by 今井美樹) の歌詞に観る “イエス - 道(Jesus,the Way)”

2015年02月10日 22時53分49秒 | 山上の説教の考察

これは、ブログ(90)『愛し愛される』(パート8)-“Jesus,the Way (イエス 道)”-からの続きではありません。      

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ブログ(91) PRIDE(by 今井美樹)の歌詞に観る “イエス - 道”(Jesus, the Way)

 


女性アーチストである今井美樹が歌うPRIDEというナンバーがあります。皆さんも、よくご存知かと想います。

これは、フジテレビ系のドラマである『ドク』の主題歌になったものです。私も、このドラマを以前、観たことがあります。

今井美樹の12枚目のシングルであり、1996年11月4日に発売されたもので、布袋寅泰が作詞・作曲・編曲を担当しています。

この曲は、今井美樹の代表曲であり、最大のヒット曲と言われていて、本人もお気に入りの楽曲であり、ライブでは毎回必ず歌われるそうです。


久しぶりにこの歌を聴いていたら、このPRIDE』という歌の歌詞を私なりの解説をブログを、急きょ、今回 ブログに書いてみたくなりました。


このPRIDE(←YOUTUBEをどうぞ)という歌の歌詞の中で、イエス - 道”(Jesus, the Way)の立場から、私が特に注目しているフレーズがあります。



やさしさとは 許し合うことを知る 最後の真実

  わがままさえ 愛おしく思えたなら 本当に幸せ



人における“やさしさ”というのは、 “許し合うこと”にあるというのです。つまり、“やさしい人”ということは、“善悪の固定観念”によってさばいて、相手を責めたり、責任を追及したり、批判したり、非難したり、怒ったり、馬鹿にしたり、罵倒したり、軽蔑したり・・・ということをせずに、むしろ、寛容の愛によって、大きな包容力をもって、相手を、今あるがままの存在として、そのまま認め、受け入れていける人なのです。やさしい人”というのは、何よりも、“互いに許し合うこと”、“互いをあるがまま認め合い、受容し合うこと”の大切さに気づいている人でもあるのです。


また、相手のわがままさえも、不快に感じることなく、逆に、愛おしく思える人こそ、“本当に幸せな人”なんだ・・・というのです。そういう観かたができる人というのは、自分自身の潜在意識の中にある“わがまま”という記憶データをクリーニングして、デリート(=削除)してきよめの処理を完了した人と言えます。


というのは、自分自身の中に“わがまま”を抑圧して、それを潜在意識の中に「圧縮されたデータ」として残している人は、自分の“わがまま”を無意識のうちに相手に投影するので、相手の中にその“わがまま”を拾って観てしまうのであり、重箱の隅をつつくように探し出して、それを不快なもの、不愉快なもの、悪いものとみなし、頭に来てしまうものだからです。


つまり、自分の中に抑圧された“わがまま”を持っている人は、相手の中にそれを同じような“わがまま”を観た時に、それらの“2つわがまま”が互いにエネルギー的な共鳴現象を起こし、それが増幅され、強調されて捉えられていってしまうことになるのです。すると、“わがまま”というのは「悪いものだ、あってはならないものだ、排除すべきものだ、許され難いものだ」という自分の中にある固定観念も一段と強化されることになり、その人自身のまだキチンと処理されていない、未解決状態にある“わがまま”が再び息を吹き返し、さらにパワーアップしてしまうので、それを相手の中にも同じ“わがまま”を観てしまったら、もはや平静ではいられなくなってしまうのです。


まだ自分自身の“わがまま”を上手く処理していない人の目には、相手の“わがまま”が大きく観えて、“嫌なもの、目障りなもの、邪魔なもの、不愉快なもの”として映り、それを何とか取り除こうとして、“わがままになってはいけない、それを直しなさい”と相手に注意したり、諌めたり、強制的に取り除こうとして、相手を叱ったり、怒ったりすることで、相手の人生に干渉の手を伸ばしていくのです。そして、「あなたがわがままにふるまっているから、私は“今”イラついているんだぞ、私は怒り狂っているんだぞ」 、「私が“今”不幸なのは、あなたの“わがまま”のせいだ」と、本気に想ったりしているのです。そして、それがその人にとっての“真実”と想えてしまうというわけです。


でも、“本当の真実”、“究極の真実”というのは、相手ではなく、まず“自分自身の”すべてをあるがまま認めて、受け入れて、それらを許して、クリーニングして、デリート(=削除)して清めという処理を終えた人こそがわかるものなのです。そのようにして自分の内側を清めていった人にとっては、たとえ相手の中に“わがまま”が観えたとしても、それは自分の幸福や心の平静を脅かすものにも、破壊するものにも全くなり得ないため、相手の“わがまま”さえも愛おしく想うことが可能になり、それをやさしく包み込んで、受け留めていくことができるようになれるものなのです。そのような人こそが、“最後の真実”を知ることになる・・・というわけです。


ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。」(ルカによる福音書11章41節


が(ワガ)まま”の(ワレ)が“自我”(=エゴ)だと思い違いをしている人は、まだ“本当の幸せ”を知らない人なのです。 がまま”の(ワレ)の本質というのが実は自分の奥底にもともと存在していた“内なる光”であることに気づいた人こそが、“本当に幸せな人”と言えるのです。“真実のワガママな人”というのは、自分の中に存在している“内なる光”こそが自分の本体であり、本質である、核なる部分であることを想い出した人なのであり、そして、この“内なる光”のままに自らの人生を生きているこそが、“本当に幸せな人”と言えるのです。そして、そのような“本当の真実の幸せを見つけた人”は、相手の“わがまま”を観たくらいで、不幸になったりはしないものなのです。そのような“幸せな人”は、たとえどのような人であったとしてもその相手を、やさしく観て、やさしく受け留め、やさしく包み込むように受容していくことができるものなのです。


山上の説教が記されているマタイによる福音書5章43節~48節、6章9節~15節、22節~23節、同7章1節~5節の中でイエスは、実は、このようなことを述べておられたのではないか・・・と、想うのです。


既成の宗教としてのキリスト教”において、聖書イエス大事な教えとしていろいろなこと(例えば、信仰、祈り、教会での礼拝、献身、・・・など)を言うかも知れません。でも、山上の説教におけるこれらの箇所にイエスが伝えたかった最も大切な教えが集約されているのではないか・・・と、私は観ているのです。従って、当ブログで述べているようなことを、宗教的な意味合いの“キリスト教”とは区別して、敢えて『イエス-道(=Jesus, the Way)』と、私は個人的に呼んでいるというわけです。


私は、イエスの山上の説教を要約するならば、以下のようになるのではないかと、想うのです。


さばかない寛容の愛をもって、“今あるがままの”自分自身をゆるし、きよめ、自らの中にある“内なる光”こそ自分の本質、本当の自分、真我であったことに気づいた人たちは、さいわいである。彼らは、自分を愛するように、他の人々をも愛するようになるであろう。さらに、自分の“内なる光”に気づいた人、それをしっかりと捉えた人たちは、“内なる光”と高次元で繋がっているをも正しく観るであろう。天国(=神の国)は、まさにそのような彼らのものである。天国(=神の国)というのは、人の外側に探すものというよりも、人の内側にこそ見い出すものである。人の中にある“内なる光”が輝き始めた時、その人のうちに、天国(=神の国)はすでに始まっているのである。


・・・自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。」(ヘブル人への手紙12章14節

心の清い人たちは、さいわいである。彼らは神を見るであろう。」(マタイによる福音書5章8節

 

(2月10日火曜日 22:17に更新



さて、続くブログ(92)では、田村直美のナンバーである『ゆずれない願い』の歌詞を取り扱ってみたいと考えています。


YOUTUBEで時々、『ゆずれない願い PV』、あるいは、『ゆずれない願い 2013』を聴きながら、しばらくお待ちを・・・。お楽しみに・・・。

 

(2月10日火曜日 22:53 更新) 


では、こちらへどうぞ→→ ブログ(92)『ゆずれない願い』(by田村直美)の歌詞に観る“イエス-道(Jesus, the Way)”

 

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