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映画「君の膵臓をたべたい」の深読み⑭“窓から射し込む光”

2018年12月03日 22時41分39秒 | 映画ブログ

窓から射し込む光


Osann :   「ところで、映画『君の膵臓をたべたい』を観ていて、

     はたして 気づいたかどうかわからないけど、

     桜良と春樹が最初に出会った(=関わりを持ち、会話を

     した)のは、病院だったよね。


     その時のシーンは、覚えてる❔


     春樹と会話している時の桜良が、病院で窓から射し

     込む光をバックにして立っていたシーン。


     また、博多のホテルを出た後、しばし たたずんで

                 いた桜良と春樹の後ろ姿は、川面に照り返す日の光

                    包まれて、二人の輪郭がぼやけていって、あたかも

                    その光の中で一体化していくようにも見えたよね。


     そして、映画の最後のシーンでは、春樹の目の前で

     桜良の姿が図書室の窓から射し込む光に向かって

     立っていた桜良は、

    『私ね、春樹になりたい。春樹の中で生き続けたい。

     ううん、そんなありふれた言葉じゃダメだよね。

     そうだね、君は嫌がるかも知れないけど

     私はやっぱり·····』

     と言ってから、図書室の窓から射し込む光の中へと

     桜良の姿がスっと消えたよね。

    

     それから、急に映画の画面が真っ暗になって、

     桜良が一言、 

       君の膵臓をたべたい

     と言って、映画が終わるんだ。


     このような一連の流れから観ていくと、

     桜良の姿が図書室の窓から射し込む光の中で消えて

     いったというのは、いわゆる成仏して霊界へと

     旅立って行ったとか、あるいは、春樹に最後の別れを

     告げて 天国に行ったとか····そんなニュアンスという

     よりも、むしろ、桜良が春樹の中に入っていって

     一つになったということ、つまり、

     桜良の“内なる光”が春樹の“内なる光”に溶け込んで

     一つになって、春樹の中で桜良が生き続けることに

     なったということが、図書室の窓から射し込む光

     中で桜良の姿が消えていったように表現されたのでは

     ないか······と、私は観ているんだ。


     前にも言ったように、山本彩が歌っている

    『ひといき つきながら』の歌詞にもあるように、

     桜良が亡くなって春樹がまた一人に戻ったように

     見えるけど、実際のところ 春樹はもはや、

       “ひとりだけど、ひとりじゃない。

        心の中はひとりじゃない。”」

                     と思うんだ。


ハジメ: 「なるほどね。」


   静かな窓


Osann :   「ところで、ここでジブリの映画の主題歌の一つで

     ある『いつでも 何度でも』の歌詞に注目して

     もらいたいんだ。それはね、


      『はじまりの朝の 静かな窓

       ゼロになるからだ 充たされてゆけ

       海に彼方には もう探さない

       輝くものは いつもここに

       わたしのなかに 見つけられたから


     というフレーズなんだ。


     つまり、人が自分自身の内にある輝くもの

     (=内なる光)が体(=肉宮、神の神殿)全体に

     充たされていくためには、心が静かな窓になる

     必要があるんだ。

     その時に、内なる光が溢れ出て外側の体に充た

     され、照らしていくんだ。

     体がゼロにリセットされるのは、この心の窓が

     静かになる時なんだ。


     心が窓だと言えるのは、人の心には見えないものを

     見る、捉えるという機能が備わっているからなんだ。

·       このような心の機能を“信仰”と呼ぶんだ。

     だから、使徒パウロは、『心に信じて義とされ····

     と言ってるんだ。」


     もし、この心の窓が静かでない状態があるとすれば、

     それは心にあるマインド機能が忙しく働いている時

     なんだ。


     マインドというのは、過去のデータ▪情報▪知識▪

     既成概念▪常識などといった様々なフィルターを

     通して(=照合したり、比較したり、分析したり

     して)、最終判断を下したり、結論を導き出したり、

     思い込んだり、決めつけたりするものなんだ。


     まあ言ってみれば、それが人のマインドの長所でも

     あり、欠点でもあるんだ。

     ここで欠点というのは、見えない大切な真実

     心で見たり、捉えたりすることにおいて失敗して

     しまうことなんだ。

 

     人のマインドの働きをいったん停止させて、

     物事をありのまま観て捉えていく“澄んだ心の目”に

        なった時、“静かな窓”を意味しているんだ。その時に、

     初めて 真実(真理)が見えてくるんだ。

     

   素直であること


     実は、このような静かな窓”というのを、桜良が

     使っていた言葉で言い換えると、“素直”ということ

     でもあるんだ。

     “素直”って、結局、自分の“素なるもの(=内なる光)”に

     直結していることを意味する言葉なんだ。

     つまり、自分の“内なる光”がヴェールで覆われていない

     状態で生きていること、それが“素直である”ということ

     なんだ。

     そして、春樹が“素直”に自分の気持ちや思いを表現した

     時には、桜良はとても嬉しかったんだ。


     たとえば、博多のホテルで“真実と挑戦ゲーム”を

     やっている時、桜良はクラスで3番目にかわいい

     と答えたところ、桜良は

      『うわっ、メチャクチャ恥ずかしい。······

       君が素直に答えると思わなかったからさ。』

 

     また、博多のホテルを出て、二人が歩きながら

       桜良:『また旅行しようよ。次は夏かな。

       春樹:『夏か、いいかも。

       桜良:『あれ? やけに素直じゃん。

          さては、楽しかったな?

       春樹:『うん、楽しかったよ。

     この時、桜良はいったん足を止めてから、

    『フフフ····』と嬉しそうに笑いながら 春樹の

     方へと近づいていって、彼の脇腹を指で

     突っついて、君が珍しく素直だから。

     と言ったんだ。


     春樹が素直”になれたからこそ、実は、桜良との

     関係を“友だち”でも、“親友”でも、“恋人”でもない、

     あるいは、単なる“仲良し”でもない·····これらの

     どれにも当てはまらないような“特殊な関係”、

     “進化した関係”、あるいは、“深化した関係”へと

     昇華させていくことができたと言えるんだ


ハジメ: 「この映画『キミスイ』を観ていると、春樹に

     向かって桜良が素直”という言葉を何度も口に

     していたけど、これは思った以上に重要な言葉

     だったんだね。」


 

Osann :  「そうなんだ。

       この“素直”ということが何故そんなに大切なのか、

       もう少し説明するね。」


    

*二人の興味深い会話は、⑮『心で見る』へと続いていく(お楽しみに)**

 

 (2018年12月1日~3日)

 

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