
天国への階段
Osann: 「ここで、この映画を観る視点をちょっと変えてみようか。
桜良が春樹とスイートパラダイスに行ったことが、
クラスメートに知れ渡ってしまい、桜良の親友の
恭子に春樹が問い詰めらる場面があったよね。」
ハジメ: 「うん。」
Osann: 「その時、桜良は恭子に、『だから、そういうんじゃ
ないって、恭子。』と、
さらに、恭子は、桜良に「じゃ、なぜ図書委員に立候補したり、
クラスで一番根暗なやつと付き合うの?」と聞いた時、
「な か よ し だ か ら 」と桜良。そして、春樹の方を
振り向いて『ね、なかよし君』と言ったんだ。
すると、さらに、教室がざわついたんだ。
クラスメートたちに誤解されたと思った春樹は、
椅子から立ち上がって教室を出て、一人で、
学校の屋上に上がって行ってしまった。
桜良は、『待ってよ』と言って、すぐに春樹のあとを
追いかけて行って、屋上で二人の間で会話がかわされることに。
そして、桜良は屋上の階段を上っていって、最後に 春樹に
こう言ったんだ、「こらこら、そんなむずかしい顔 するんじゃない。
どうせ、いつかみんな死ぬんだし.....。ほら、天国で会おうよ」と。
ここから、“天国への階段”というふうに呼ばれているんだ。
つまり、この『君の膵臓をたべたい』という映画は、
天国に至るための道は何なのか、天国に一緒に入るためには、
一体、何が必要なのかという深遠なテーマを扱っている
映画とも言えるんだ。
ハジメ: 「へ~、キミスイの映画というのは、いろんな角度から
観ることができるんだ。とても興味深いね。」
Osann: 「ところで、人が天国に行くための準備って、何だと思う?」
ハジメ: 「えっ ? ? 急にそう質問されても....。」
Osann: 「どうしたら天国に辿り着けるのか、その答えというのは、
ある意味、『隠された宝』のようなものかも知れないね。
聖書の中で、イエスは『天国は、畑の中に隠してある宝の
ようなものである』と述べているんだ。
探さないと、見つからないもの。
ボーッと生きていたら一生、見つからないかも知れないもの。
たまたま偶然に見つけることも、
また、運命的に見つけてしまったということもないもの、
それが『隠してある宝』というものだと、私は思うんだ。
でも、もしそれを見つけてしまったら、サプライズ❗、
誰でも、喜びに溢れるもの。もう絶対に手放さないもの。
なぜなら、あまりにもその価値がすご過ぎるから......。
さて、図書館で『分類番号、めちゃくちゃじゃん。分類表を
よく見てよ』と春樹に言われた時に、桜良が返した言葉が
とても印象的だったのを覚えてる❔
その言葉というのは、『ちょっとくらい間違えたっていいじゃない。
頑張って探して見つけた方がうれしいでしょ。宝探しみたいで!』」
ハジメ: 「そういえば、『君の膵臓をたべたい』という映画の中では、
宝とか、宝物とか、宝探しという言葉が、頻繁に出てくるよね。」
Osann: 「そうなんだ。あたかも、“この映画を観た君は、はたして、
この中に『隠された宝』を探し当てることができるだろうか ?”
と、問いかけられているように、私には思えてならないんだ。
桜良自身、天国に行くために、この『隠された宝』を
探し出すために、春樹と出会い、深くかかかわっていく
必要があったのではないか......と、私には思えてくるんだ。
春樹の代わりになる人は、他にいなかったのではないか。
元カレのクラスの委員長でもなく、親友の恭子でもなく、
また、ほかのクラスメートでもなく、
唯一、春樹自身とかかわることを通して、この『宝』を
見つけることができる....そう、桜良は直観したのではないか。
だから、桜良は春樹という存在が気になり、彼に興味を
抱き、彼のことをもっと知りたいと思ったのでは....。
これは、私の深読みかも知れないけど。
でも、私の直観では、そう思えるんだ。」
ハジメ: 「天国に確実に救われるための『宝探し』、
天国に一緒に入れるための『宝探し』って、一体、
どんな宝を探すことなんだろうね。
映画『君の膵臓をたべたい』を観ながら、
天国に入るための『宝探し』って何だろうと、
思いを馳せることができるって、ワクワクするね。
Osann : 「でも、桜良は亡くなる前に、この『宝』をすでに
見つけていた.....と、私は思うんだ。」
ハジメ: 「どこから、それがわかるの?」
Osann: 「桜良から夜に電話が来て話した時に、春樹は
いつもとは違う桜良の様子に気づいて、心配になって
急いで桜良の病室を訪れた場面があったよね。
その時、桜良は『一回勝負で、真実と挑戦ゲーム、
やってくれない?』と春樹に頼んだんだ。
ところが、桜良の期待に反して、春樹がそのゲームに
勝ってしまった。
春樹は、『君にとって、生きるってどういうこと?』と
桜良に聞いた。『誰かと心を通わせること....かな。...... 』
と、桜良は答え、さらに続けて『だから、君とこうして
いられて良かった。君がくれる日常が、あたしにとって
宝物なんだ。』
この言葉から、桜良が探し求めていた『宝』を
春樹との関わりの中で確かに見つけたんだなと、
私は直観したんだ。』
ハジメ: 「なるほどね。」
Osann: 「桜良は、ここで“君がくれる日常”が『宝物』なんだと
言ってるわけなんだけど、これにはもっと深い意味が
あるんだ。この言葉の背後に『隠れているもの』が
実は重要なんだ。
この映画の冒頭で、教師になった春樹が授業中、
星の王子さま』から引用した『肝腎なものは、
目に見えない』という言葉を覚えているよね。
これに照らしてみると、桜良が見つけた本当の『宝物』
というのは、単に、春樹がくれた『目に見える日常』
そのものにあったのではなく、春樹がくれた日常の中に
隠れていた『目に見えない肝腎なもの』にあったことが
わかるんだ。
この『目に見えない肝腎なもの』が何であるのかを
知ること、あるいは、それに気づくことが、実は、
人が天国に入るために、とてもとても大切なことなんだ。
実は、この『肝腎な目に見えないもの』が何かを知り、
気づくためのヒントもしっかりとこの映画の中で語られて
いるんだ。それもまた、この映画のすごいところなんだ。
そういう意味でも、『君の膵臓をたべたい』は、
まさに、至れり尽くせりの映画と言えるんだ。
私自身、これまで、これ程までに内容の濃い映画と
いうものに出会ったことがないんだ。」
ハジメ: 「そうなんだ。この映画の中でかわされる一言、一言が実に
深い意味があるんだね。ところで、『目に見えない肝腎なもの』
という宝物は、何なんだろうね。とても、知りたくなってきた。」
Osann: 「この『宝物』が一体、何なのかということを突き止めるためにも、
さらに、これまでとは違う視点から、この映画を観ていきたいと思う。
次に、重要なキーワードは、『真実と挑戦』だよ。」
・・・・・二人の会話は、③へと続いていく(お楽しみに)・・・・
(2018年10月12日)
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