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朝日記240609  総合知学会25周年記念提言の記載

2024-05-09 10:58:57 | 自分史

朝日記240609  総合知学会25周年記念提言の記載

 小生が所属している総合知学会が25年周年を迎え、これまで何度も当学会で基本的な問題意識をもって反芻、検討してきた「科学技術・資本主義文明のあり方といくつかの総合知観」と倫理・道徳面から総合知を捉えた「社会的知性としての総合知」の2点を提言作業をおこなったのでここに掲載します。

(なお、提言2は小生荒井康全が文責者であり、この作業にあたり本朝日記で発表した材料に依るところが多いものがあり、個人的思い入れがあることをあえてもうし添えるものであります。)

  • 提言1 科学技術・資本主義文明といくつかの総合知観
  • 提言1-1:「功罪相半ば」の科学技術文明を制御するための総合知
  • 提言1-:「機心からの解放」・「小欲・知足」の総合知
  • 提言1-:総合知の目標:智徳の進歩
  • 提言2 社会的知性としての総合知の提案 

<総合知学会 有志> 神出瑞穗(前会長)*、森田富士男*、

荒井康全**、

荻林成章(現会長)、松田 順(事務局長)

            *提言1文責、**提言2文責

==本文==

2024年4月

総合知学会25周年記念提言

  • はじめに

20世紀末から21世紀初頭に科学技術の専門分化では解決出来ない諸問題の発生に対して、国の内外から文理融合、全体知、集合知、横断知、統合知、暗黙知と形式知、関係論知の主張がわき上ってきました。

当総合知学会はそのような状況のなかで1998年に発足し、2023年に25周年を迎えました。

会員は官産学のOBが中心で、3つの科学技術知を駆使して活動してきました。

a)システム科学、システム哲学、システム工学

b)化学・エネルギープラントなどで培われた「設計、調達、建設、

運転、メインテナンス」の実践工学知

c)科学技術・資本主義文明論、日本人論など文明史観

これが、総合知の全体をカバーしていないことは重々自覚しながら、総合知とは何かを問い続けつつ具体的課題につき解決策を検討してきました。

例えば自律分散協調システムとコモン思想からみた地域社会のあり方や国民の責任論を含む原子力発電提言(2016年:学会HPに掲載)などがあります。

➁2020年(令和2年)6月には科学技術・イノベーション基本法が制定され、自然科学、社会科学、人文科学を網羅する「総合知」に関する規定が盛り込まれました。2021年から24年まで毎年総合知ウエビナーが開催され、大学、官界、産業界から種々活動報告が発信されていることは誠に望ましいことであります。我々も学ぶところが多々あり、今後は直接、間接に連携を取りながらまさに「総合知」の実を上げるべく活動を続けたいと考えます。

③当学会の25年周年というこの機会に、これまで何度も当学会で基本的な問題意識をもって反芻、検討してきた「科学技術・資本主義文明のあり方といくつかの総合知観」と倫理・道徳面から総合知を捉えた「社会的知性としての総合知」の2点を提言させていただきます。我が国全体の総合知のさらなる発展にささやかでも貢献出来れば幸いであります。

                          

        

 <総合知学会 有志> 神出瑞穗(前会長)*、森田富士男*、

荒井康全**、

荻林成章(現会長)、松田 順(事務局長)

            *提言1文責、**提言2文責

 

  • 提言1 科学技術・資本主義文明といくつかの総合知観
  • 提言1-1:「功罪相半ば」の科学技術文明を制御するための総合知

①21世紀の開始前後に世界の大学、研究機関、ノーベル賞受賞者グループなどが20世紀科学技術文明の総合評価を行なった。物的生活水準の向上、保健医療の進歩、人口の増大もあったが、二度の世界戦争、途上国、地球環境からの収奪もあり、評価結果はおおむね「功罪あい半ば」であった。

➁その結果、“人類は科学技術に頼らざるを得ないが、果たしてこのまま進んで功(利益)が罪(実害)を上回りえるか?”(江崎玲於奈氏含む世界のノーベル賞受賞者グループ)という課題が提示された。 それから四半世紀が経過するが、これに対する回答は得られていない。むしろ最近の生命科学や人工知能(AI)の活用・規制問題に見るように20世紀科学技術・資本主義文明と同種の課題が世界規模で発現しつつある。

③2020年に国の科学技術・イノベーション基本法が「総合知」を採り上げたことは画期的なことである。解決すべき課題として挙げている少子高齢化、食糧、エネルギー、地球環境、雇用などはいずれも重要課題である。しかしその根底には「功罪相半ばの機能を発揮する科学技術文明をどのように制御すべきか」という基本命題が存在していることを認識し、この基本命題に対し官産学民の総知で取り組むべきである。

「望ましい科学技術・資本主義文明とは」を総合知的に探求することこそが、明治維新以来、東洋文明と西洋文明の接点としての歴史を積み上げてきた我が国の使命であり、かつ21世紀の世界文明への貢献であろう。

④合せて80年を経過しても解決出来ない「核兵器廃絶問題」と、深刻な同様な課題を抱えている「人工知能(AI)問題」を代表的ケーススタデイとして全く新しい視点(例えば80億人の総合知の結集)から国家プロジェクトとして取り組むべきである。

 

  • 提言1-:「機心からの解放」・「小欲・知足」の総合知

①1950年代に核廃絶運動に取り組んだ湯川秀樹氏は “「好奇心」があるからまずいことになる。この老子・荘子の自然哲学が20世紀後半の科学技術文明に対して他のあらゆる主張より痛烈なものになってきている。”と現代文明に対する根源的な認識を示した。

➁良く知られているように、好奇心に関する荘子の「はねつるべの話」の粗筋は以下のとおりである。

老人が水瓶で井戸から水をくみ、畑にまいていた。孔子の弟子の子貢ははねつるべがあることを教える。老人は“そんなことは知っている。使いだすと、必ず機械に頼る仕事が増え、頼る心「機心」が生じ、振り回されるからいやだ。邪魔してくれるな!”と追い払った。」

機心とは現在の言葉でいうと科学技術、人工物に頼る心である。

③アフリカや南米の熱帯林に住む現地人の生態を研究している科学者は人類がそもそも所有していた脳力(例:方向感覚、他の生物の認識知)、身体能力などを文明人は失ないつつあると警告している。

例えば30年間、コンゴで活動し帰国した動物生態学者は“自分はジャングルでよく道に迷うが現地人は子供でもそのようなことは全くない”と述懐した。

これは機心に頼ってきた現代人の“退歩”である。20万年ホモサピエンスが保持してきた「野性知」も総合知の一部であり、それを人類はいかに回復、活用するかは21世紀文明の本質課題の一つである。

④提言1に関連してノーベル賞受賞者の福井謙一氏は“科学技術は人間の欲望の限りないエスカレートに貢献しているが、このままで良いのか?”と警告を発した。今西錦司氏(生態学者)は“このまま欲望のおもむくままに文明を造っていったら必ず罰が当たる”という“遺言”を残した。事実、人類はプラネタリーバウンダリーからしっぺ返しを受けはじめている。

⑤これらは青天井に成長拡大を指向する科学技術・資本主義文明への根源的な問いかけである。「機心からの解放」は裏を返せば「小欲知足」であり、欲望もそこそこに科学技術も必要最小限の利用で安心、安全な生存システムを構築することは総合知の重要な領域である。

 

  • 提言1-:総合知の目標:智徳の進歩

①自由主義、専制主義の別無くグローバルサウスも含めて、現在世界を覆っている科学技術・資本主義文明はどこへ向かおうとしているのであろうか?

日本は科学技術・イノベーション基本法が掲げた少子高齢化から環境問題などを解決すれば、また国連のSDGsを達成(2050年目標達成は困難視されているが)すれば、世界は望ましい21~22世紀文明は実現するのであろうか?

➁福澤諭吉は「文明とは人の智徳の進歩である」(『文明論之概略』(明治8年・1875年))と説いた。文明という装置(人工物)の進歩ではなく“人の智徳の”と言い切っていることに価値がある。 智徳の進歩とは智慧(知識と智恵)の進歩と徳行(利他行)の深化と拡大である。

③この福沢諭吉の発言から150年が経過した。知識は着実に増えたが知恵はどうであろうか?19世紀は植民地の時代、20世紀は世界戦争の時代と言われ、冨と権力の奪いあいの時代が21世紀まで続いている。

産業革命を成し遂げ300年を経過した欧米人はじめ中国、インド、ロシアの人びとも我々日本人もまだ徳行(利他行)進歩では発展途上国人である。

宮沢賢治の言葉を借りると“世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない”という意識と行動が人類に満ちあふれたら地球全体が先進国人になる。

従って科学技術・資本主義文明の目標は再度「人類の智徳の進歩」で良いのではないか。

「総合知」の基本目標も人類と動植物や菌類など他の生物のための生存知識と知恵の進歩および利他行の深化、拡大である。

例えば、総合知を駆使してスマートシテイを構築する場合、豊かで便利で安全で環境に優しい都市を実現し住民を満足させる部分が機能の50%で、そこの住民全体の利他心の向上と発揮に貢献する都市機能部分が50%である。

これが総合知の基本目標であり、複雑な諸課題に対応する時の重要な評価基準でもある。 

 

 

  • 提言2 社会的知性としての総合知の提案 

 

総合知を社会的知性としての思考パラダイムとして捉えるとき、とくに①公共場としての制度論とその基盤としての社会道徳に焦点をおき、②その目的論的枠組みと、そこでの思考と行動のすがたを思考実験すること、③多種多様と想定される実践系適用パラダイムへの総合知としての方向性と方法論の探索活動の提案を試みるものである。[1]

 

1.Institution「制度化」[2]

「制度」は近現代では、政府などでの法的統治に限定してそれをとらえるのではなく、その社会が潜在的に必要とする多様多様な社会機能に発見し有効に機能持続するための仕組みを意味し、用語としてInstitution「制度化」を使っている。構造、機能、文化、認可を包含したシステムを意味する。例をあげれば学校、店、郵便局、警察署、亡命、移民および英国君主などが対象制度化として包含される。

ここでは地域的特殊性から分散的合法性(Distributive rationality)の生成が対象なる。ここでの特長は往々にして合法(a just)と正義(a right)との棲み分けが注目される。さらに現実処理の規範問題と本来のあるべき姿の確認など理念について関連が経験整理を経て、現実制度化へと合法定着することを意味している。

 

2.John S.ミルからの社会道徳

これらは、19世紀の英国哲学者のJohn S.ミルからの筋をひく米国プラグマティズムである道具的合理主義(Instrumental Rationality)としてその有効性の実績から地位を獲得している。そこでの規範は、「社会道徳」としてのモラリティ(morality)であり、①社会的弱者優先擁護、②人間本質としての判断誤謬可能性、および可及的修正行動への奨励的受容性が上げられている。そして③高い社会的知性層による公論提起や支援先導への積極的奨励と、④社会の高度進歩社会への挑戦を賞揚重視している。(この場合、宗教的教義や政治的信念からの価値観念は除かれる。)

 

3.「概念の’晒し’(concept disposition)」を理念[3]

道具的合理主義では、これまでの研究調査の過程で、社会的意思の形成や、世論形成のなかでの性急な結論決着からの本来無用な憎しみや敵対性をおこし、その結果発散暴走するくらいなら、冷静な議論や判断のために、時間をかけて、他の意見に耳をかたむけ、合理性をもった適正な内容への論点収束の帰着を説くものである。これを「概念の’晒し’(concept disposition)」を理念として尊重し、先進民主主義での社会知性の向上訓練と素養成熟を読むものである。

しかし、いかなる成熟社会にしても、悪しき者の存在は避けられない、ここで「確信犯」の論理が語られよう。賢い悪者からの陥穽をいかに避けうるか、また、価値判断のための公論怠慢事態[4]、単純なる自己権利優先主張(Prima facie[5]など多種多様な’晒し’世界を構成することになる。

世界は、その方法については目下、未成熟段階にあり、したがってここでの案件の意味ある「晒し」との向き合い方についてその調査と研究が総合知として急がれよう。

 

4.総合知が解決する「かしこい社会」課題

現代社会で個人が往々に晒されている社会的弱者化救出課題を上げたい:

*1 個別事態への認識と行動判断の誤りの気づきとその修正の疎さからおこ

る困難事態からの救出。

*2 公共制度や社会的共助制度に無知であることにもとづく困難事態からの

有効な救出。 

*3 制度や科学的知識の予備知識が不足しているためにおこる困難事態から

の救出。 

*4 他人が嘘つきであるかどうかの判別がむずかしいことの事態からの救出。

*5 個人のプライバシーが裸に晒されることによる尊厳危機事態からの救出。

*6 「かしこい国民」のための学習インフラの構築への支援。

 

5.精神⁻身体(mental-body)の一元的学問パラダイムへの再転換

これまで科学技術は、その進歩の過程で、すべては物理的な次元でものごとや現象が決まり、それが知識として正統化されてきた。一方、その過程で人間の倫理やひととの間の動特性のような意識は付随的な存在となり、極端にいえば「意識」はものごとの決定には何ら関与しないという認識が科学者側にあった。一方で、人文系の学者からすれば、人間のもつ感性や、想像性や、倫理道徳性、尊厳品性などは主観性部分の人文知が自然科学知に対して、課題付与位置に甘んじてきたことに忸怩たるものをもっていたよう考えるものである。ところが、20世紀の最後の十年にDavid Charmers等のいわゆる「固い問題」“Hard Problem”の提示で、匂い、色彩、痛みなど物理量では捉えられない人間意識固有の存在領域が指摘され、今世紀にはいり一挙に「こころ⁻身体」mental-body“の一元論への大回転がはじまっているのである。

世界の「総合知パラダイム」への傾注は科学研究や技術開発の目的の軸足から、well-beingに移りつつあるが、我が国のみならず、世界各国も、「パラダイム」の変化をいち早く察し、その取り組みに入っている。これへの積極的参加と関与を推奨したい。[6]

              

6内閣府 https://www8.cao.go.jp/cstp///sogochi/index.html

総合知 - 科学技術・イノベーション - 内閣府                

 

[1] 荒井康全 システム思考での目的論理の構造と社会倫理について XVIII

提言「社会的知性としての総合知」への試論、総合知学会誌 2022年度(掲載予定)

Yasumasa Arai, On System Thinking, Teleological Structure and Social Morality XVIII

-Multi-Disciplinary Knowledge as Social Institution Prospection,Vol.21,2022(under printing)

[2] 朝日記171106 「制度論とモラリティ」(その1)制度の概念についてと今日の絵

 

[3] 朝日記171218 Amazon書評投稿「J.ガウアンロック著公開討議と社会的知性」と今日の絵 

[4] 朝日記180925「基本的なことを公論しないことの危険性について」ですと今日の絵

[5] 朝日記181211 雑誌投稿原稿 「Prima facie(第一発言者)の正しさということについて」

 


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