朝日記240404 「もし、日本ができないとすると‥」メモ三つ
今日の絵はembarrasmentsの三つです。
メモ三つのほうは、2011年3・11のあと、状況報告という意味もあり、個別に首相官邸、電力会社、新聞などに送っていた。当時自分のHPを持っていたのでそこに掲載してもいた。なぜいま、あえて掲載したかはあくまでも個人メモとしての掲載です。これを思考の材料につかうために再登場したということでご理解ください。
あの国難が勃発したとき、かれらはどのようにそれを受け止めたか、どのように考えたかの参考資料程度のもんです。
この三つの資料は、当時開設していたHPに掲載したものである。プロバイダ契約を解約したらそれらは目の前から消えた、つまり読めなくなったのであった。一方、「研究日誌」というのを2002年ごろからPCに継続している。これは、その日のこと、その日の最中に一行の短文でともかく備忘ためにメモとし、行動のリズムとして使っていた。その過程が単文になり、短文になり、それをもとに報告書の下書きを作動し、気をうまくのせたら、別ファイルにペーストしてさらに作業を進行する。他への執筆投稿などで作業テーマの区切りとなる。そしてそのコピーをまた「朝日記」に、そしてコピーをもとの「研究日誌」に里が帰りコピーとしてのこす。
くどいが、今の研究日報は企業定年でそのあと身を大学に籍を移した1998年からであった。いまは、ここでのメモをよみもの風にして、このgoo blog「朝日記」に小随筆「徒然こと」として掲載している。実質的には2009年からであり、ちなみに、アクセスは110万にまもなく達する。同時にこれを、X(旧fc)に転載して主として海外向けとして発信としている。自分のスケッチ絵画なども、あわせて「今日の絵」、動画「音楽絵画」などを掲載してきた。音楽絵画は数百編になっている。文章が退屈なら絵でも見てくださいということ、あるいは昼寝のためにおすすめ、効果があるとおもってます。
さて、その三つ(2011年)です;
*1「もし、日本ができないとすると
他のどこの国が安全な原子炉を作ることができるのか?」
アン アップルトン(翻訳者 荒井康全)、 ワシントンポスト紙 2011年3月14日
*2 論説 「なぜわたくしは 日本を離れないか」
ポール ブルースタイン(翻訳者 荒井康全)、ワシントンポスト、2011年3月17日配信
*3 「日本のちからに賭ける 」
E.J.ディオン Jr, (翻訳者 荒井康全)、ワシントンポスト、2011年3月20日配信
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(個人メモ 研究日誌a4400)
*1「もし、日本ができないとすると
他のどこの国が安全な原子炉を作ることができるのか?」
If the Japanese can’t, Who else could build a safe nuclear reactor
ワシントンポスト紙 2011年3月14日
アン アップルトン(翻訳者 荒井康全)
By Anne Applebaum, Monday, March 14, 8:08 PM
http://ww.washingtonpost.com/opinions/if-the-japanese-cant-build-a-safe-reactor-who-can/2011/03/14/ABCJvuV_story.html?wpisrc=nl_opinions
(内容)
災害が襲ったあと、どの社会もそのままのすがたがただちに、あらわに晒される。 日本人の持つ助けあい、落ち着き、優れた技術 そして並み抜けた競争力が 画面一杯に現われる。
陸前高田からの報告をみよう。 ここは2万3千人の町であるが、先週金曜日の巨大地震のあとの津波で全壊した。その町でボランティアたちが残骸を取り除き、生存者を探している。また自衛隊と警察が、手際良く輸送や供給を手配している。生存者は 落ち着いていて 為すべきことを為しているばかりではく、礼儀ただしく、ときに羨ましいほど明るくふるまっている。
幸いなことに、その甲斐があって 日本は実際に回復していくと思う。 しかし、少なくとも この国の原子力発電のひとつは絶望的である。 筆者が書いたように、福島第一原子発電プラントは、冷却能力を失ったように見える。 エンジニアたちは海水に浸かるプラントに急行し、プラントを効率的に取り壊して、そして 放射能を含む蒸気を放出している。 そこでは2度の爆発があった。 情況は時々刻々 悪化しているようだ。
日本の原子力発電は このプラントばかりではなく、他のプラントも同じ注意力と正確度で設計されている。 さらに建設、性能、遵法、規制などでのモラル意識高いことを考えると、真の原子力発電の危機があるとすれば、世界で唯一、それにたち向かって国となっている。 したがて つぎのような避けがたい命題があらわれる:もし 競争性も技術も優れている日本が 完璧な安全を保証する原子炉が出来ないとなるならば、誰がそれができるかである。
日本の情況は特殊であるという議論が出てこよう。どの国も 日本のように自然からの猛威に対して傷つきやすい国はないし、また今回の地震はこれまでにないほどにおおきなものであった。 この事態に比企すべき最悪のシナリオのこころみとして 仏独の企業が計画している超安全次世代原発があり、すでにフィンランドにおいて数年前に建設が始まっている。このプラントは航空機の衝にも耐える設計となっていて、さらに炉心の融解を含むことも織り込んだ炉構造の設計を取り入れている。
計画は総額40億ドルで2009年に完成するものであったが、さまざまなハードルがあり、まだ克服していない。 現在では60億ドル以上となるであろう。 皮肉なことに、このフィンランドプラントはヨーロッパでの原子力発電のルネッサンスになる使命が負わされている。 立案者たちは、原子力発電が炭素を発生しないので、気候変動を回避することができ、その結果、文明全般へのルネッサンスに導くことを約束するものとして、理解を求めてきたものであった。 結果として、原子力発電はポスト・チルノブイリの停滞のあとに、ふたたびファッションナブルになってきている。 世界では、62基の原子炉が建設中である。世界原子力協会によると、さらに158基が計画中であり、324基が提案中にあるといわれる。
これまで徐々にではあった原子力が安全であるとの理解が回復しつつあった。現在でもそうであるが、いな目下はそうではない。 大きな災害の頻度は1億分の1といった小さな確率ではある。しかし統計学的にめったに起きない大きな災害が、いざ起こると、一つの都市を破壊し、その国全体を毒で麻痺させることになる。
このようなコストは部分的にはプラントのコストのなかに反映し、フィンランドのプラントでも割増のコストしても入ってくるであろう。 しかし ひとびとが納得させることは難しいであろう。
われわらは目下、日本から学んでいるところであるが、原子力のほんとうのコストを建設コストに すべて反映させることができないと思う。 結果として、不可避的に原子力廃棄物の巨大なコストは原子力産業に留まるのではなく、納税者が負担することになる。そして実質的に政府の負担に掛ってくる。 健康介護コストも社会が支払うことになるであろう。 もし本当の意味で、原子力危機が日本にあるなら、全世界がその価格を支払うことになろう。
私は、このような事態がおきないことを希望する。 私はこの幾日かの間の日本の原子力技術者がこの危機と闘ってきたすがたに感動し称賛するもんであり、頭のさがる思いである。 これからの災害をも含めて、防ぐことができるとすれば、この日本人によって達成することができよう。 また、一方でひとつのニア・ミスが世界のひとびとに原子力のほんとうの価格について 再度考えることを促し、それがまた結果的に 原子力ルネッサンスを消滅させないことになるものと考えるものである。 以上
*2.論説 「なぜわたくしは 日本を離れないか」
ポール ブルースタイン、ワシントンポスト、3月17日配信
鎌倉、日本 日本語訳 荒井康全、東京
筆者は 地震災害earthquakeについてこの国での見通しをテーマして去年から、東京は南西の郊外地の鎌倉に移住しているものである。この水曜日の朝は 1マイル半ほど住まいから歩いて 大仏まで脚を伸ばしてみた。
この44フィートの高さの13世紀にできた青銅製の仏像をみていると、いつもこころが和み 癒されるように思う。筆者はスピリチュアル系ではないし、仏教徒でもない。 しかし、いつも自然に この仏様に足がむかい、自分の目でたしかめ、そしていつものように眺め入るのである。― 彼はなにも言わないが、照り輝いているように見えた。それは このとき、すでにこの北200マイルにあって、事故のまっただ中にある原子炉が発する死の光線のためだったのである。
馬鹿な? もちろんそうである。 しかし この2日ほど間に筆者が見み、読んだこの事故に対する反応を思えば、私の言の方が、あながち馬鹿げているとも言いきれない:この国からいち早く出ようとする航空予約の群れ;中国、韓国、シンガポールやその他国での当局が、放射能検査のために日本からの到着する食糧品を選別している; その国々ではひとびとが ヨウ素カリウムの錠剤を買い求めて殺到もしている。なぜか? 太平洋を越えて飛来してくる原子炉からの放散粒子に対して その錠剤が守ってくれると信じて騒いでるからである。もっとも、わが愛すべき親戚筋からも国外退去についての問い合わせが 洪水のように来ている。 しかし筆者は決めた。 自分の関心がまだ薄れないうちは、ここに落ち着くことにしたのである。
特に、われわれが原子力プラントの近隣に住んでいるのではないので、ここではいつものように、安全であることに確信を持っている。- むしろ非常に安全であるといえる、小学校四年生の子が、ながい連結の電車や路線バスを使って通学するのを、親が安心して見送ることができているし、たくさんの子供たちの通常の通学交通になっている。 災害のあとの 電力の供給不足、異常なまでの食料の買漁り、ガソリンのための長い待ち行列panic food-buying, long gasoline lines もある。それも まもなく収まるであろう。 3月11日以来、日本の北の海岸線にあって、目下、災害の後の困難に耐えている人たちの苦痛に比べれば 何ほどでもなく恵まれていると言ってよい。
もし、懸念されるべきなにかがあるとすれば、それは日本を 安全でない国として認知させてしまうことであり、これが経済的にも、心理的にも重大な損害のすべてを引き起こすもとになろう。 それは 理不尽ほどの悲劇を醸成し、日本が復興と挑戦にたちあがる能力を阻害するものであろう。この国がいま、支援をもっとも求めているときに拘わらずである。
最近は、日本は、たとえば、観光立国として海外からの旅行者を国をあげて迎えることを進めている -しかしながら 放射物被曝の懸念ということで、いま どのくらいの数の旅行者を、たとえば、京都の瀟洒なたたずまいの神社や仏閣に呼ぶことができるであろうか。 日本のコメ、果物やその他の食べ物はプレミア品質として アジアの新興富裕層市場に出回っていて人気があり、これが過保護で悪名たかい農業分野をより開放し、近代化する希望を持たしめてきた。もし 日本の食品が放射能汚染と烙印を押されるとするなら、これらの輸出市場はもはや立ち行かなくなるであろうか。
いまは、たくさんの日本人が海外にて学び、また仕事に就いていて、この国はグローバリゼイションでも、より効率的に対応できるようになっている。- しかし もし、日本人をみて、頭ごなしに 危険なガンマ線の発生元と見做して、取り扱われるとするなら、これからなにが起こるであろうか。筆者の前任の同僚であるRob Steinの報告Rob Stein reported Monday では、今回の事故のあった原子炉の近隣に住むひとびとは、苦難の淵にあり、彼らをして生きていく上で、さらに肩身の狭い思いを荷していくであろうことを重く懸念している。
この発電プラントについてニュースがながれたときに、危険な放出粒子が筆者が住むところまで飛来することを懸念していた。 しかし これまでのニュースを追っているいて、そのようなリスクは この国の列島に住む一億二千万人にとって実質的に無視できるレベルであることを識ったのである。(無論、いま闘っている英雄的な作業者を除くが)
例えば、チェルノブイリの事故のあと、この地域の周辺の子供たちが犠牲になったが、これは汚染された牧草を食んだ乳牛からのミルクによる結果であったし、- 日本人がこれをくり返すはずはない。 また、核燃料の溶解、-筆者はこれを数百万人への死の宣告と言い続けてきたが -これでさえも、放散した物質が、発生地点から遠く離れて住むひとたちの健康に、必然性以上に敵対的な作用を意味するものではけっしてなかったと言える。 放射物による発がんについては 比較的弱いことを 筆者は識っている。 廣島と長崎の原爆の生存者である「Hibakusha」でさえ、がんの発生率は 一般の大多数のひとにくらべて特に 高いとは言えない。
原子発電プラントでのトラブルはまだ 治まっていない。 しかし だからといって、われわれ外国人が、荷物をまとめて、急ぎこの国を離れることは意味のある態度とは思えない。また、そのような態度は、あたかも日本が核に汚染しきった温床であることを、この国のひとびとにも、また、国際社会にも認めることになる行動であり、意味もなく、またフェアな態度ととも、いえないとおもう。目下の原子炉の混乱に対して過剰な反応が日本人の気概に障害を起こすとなれば、いま、地震の災害に対して、支援を表明している親愛の多くの部分は、何の意味も持たなく失せるであろう。
ご想像のように、現在のムードは、しばらくの間は ツーリズムを盛り上げる状態ではないかもしれない。 日本人である私の妻は、毎夜、毎夜にTVで放映される津波被害地のひとびとのインタービューに接するにつけ、その厳しい状況に、なんども涙を拭っている。現地の彼らの苦悩に対して、いま手をさしのばすべき焦眉の急の案件なのでる。
いま、はっきり言い切れるのは、この案件をキープしつづけることである。もし、外国人が 日本からの旅行者、就務者、そして製品やひとに対して
拒むのであれば、自然災害を克服できなかったという悪夢が拒んだ側をなが苦しめるであろう。 数か月も経てば、日本は自分自身を取り戻すに違いないし、新たにつかんだ国民的な目的に基づいた生命力に満ち輝くかもしれない。 列車はまた驚異的な正確な時間の運転になろうし、たべものも美味で、潤沢になるであろう。 かつてそうであったように外国人が、日本がふたたび とびぬけた安全な地と認める日がかならず来るであろう。それは この大仏とそして他にもたくさんある驚異とともに あるでろう。
ポール ブルースタインは ワシントンポスト紙の前東京特派員で ブルックリン研究所Brookings Institution、および国際ガヴァナンス革新センターCentre for International Governance Innovationに所属する作家であり、研究者である。
*3 日本のちからに賭ける 開通2023/4/4
Betting on Japan’s ability to rebound
The Washington Post, By E.J. Dionne Jr., Sunday, March 20, 9:00 PM
The Washington Post,
By E.J. Dionne Jr., Sunday, March 20, 9:00 PM
初印象というのはだれでもだいたいゆれないものである。
1990年のことであるが東京での最初の夜でだいぶおそかったが、東京のホテル、下町であるが高層階のフロアの私の窓越しに景観をたのしんでいた。私が見たのは広い、弧をえがいてひろっているモダンな市街、人間と技術的エネルギーの粋をなすさんざめくひかりであった。
1945年の同じ情景を私は思い描いていたのであった。彼のすばらしい著“Embracing Defeat,”(敗北を胸に秘めて)、これは第二次大戦の余韻のなかでの日本についての本であるが著者John W. Dowerは戦火が終わったあと東京に入った最初のジャーナリストの言を引用する。
“すべては平たんとなっている。” ラッセル ブラインは書く、“平たんな地からただ親指があちこちに立っている―浴場の煙突、重い家囲い、そして重い鉄扉で焼け残ったビル。”
ダウアDowerは引用する:“最初の写真とニュース映画のリール、征服された地それは数限りのない瓦礫のヤマが映し出されるのだ、遠く何千マイルも離れたアメリカの視聴者が未だ見たこともない情景、これが大都市が廃墟になったを意味だ。”
ダウアは書く、9百万人におよぶ国家的な規模のホームレスの都市をみていると。私が見ているのは、その夜がすごい意味そのもの、それは戦争がおわって以来歳月を経て日本のひとたちが桁外れ業績をあげたのだという意味なのである。そうだ、日本はしばらくの間賞賛のドラムの音のなかにあった。しかしもしこの国がある種の平衡停滞に至ったというのなら、それは顕著に高度な水準の平衡状態ということになる。私は幾度も日本の衰退について読む、私の反応は斯くである、“多分、だが・・・・”
つぎの朝、私はひとりの日本人の友人とあうことになっていた、かれはこの国の政治と慣習としての勇敢なる推進派のひとりである。かれがその窓越しにそとの景観をながめているときにどうしても話題にしたい誘惑に禁じえなかったからである、それは日本の戦後のシステムが何を可能しえたのかであり、これにつよい関心とこだわりをもっていること、そして、もし自分が日本国民であったら、私は改革派の人たちがほんものであったのか、多分に疑念を持つであろうということであった。
改革への公約と、これまでの半世紀に積み上げた実績が示すものとどのようにしてつじつまとしてつながっているのか、いないのか、あなたはそれを課題としてとりあげないでいられるだろうか。 私の改革派の友人は肩をすぼめる、それをみて私は日本の中核課題のひとつのうえに転げてみせる;それはまさしく、変化そのものへの驚嘆とおもわぬ揺り戻しへの懸念への叫びでもあった。
日本が地震、津波、そして核災害earthquake, tsunami and nuclear disaster によって被害をうけたことは斯く驚くものではないし、日本のもつ社会の「足腰の逞しさ」“resiliency.”をも完全に納得しているものでもある。この国にはかならず、孝行息子が国元にもどってきて父祖を助けるのだといえばたしかにそうである。
しかし疑いの底流はつづいている。この破局catastropheがながい歳月をかけて日本が探しもとめた変革を妨げるくびきを放つものであるであろうか。もしくはこれに替わって、彼ら自身をひとたび力ある国からの不可避な退潮を象徴することになるか、そのような力ある国が人口減少と、政治的および経済的システムの改革と透明性アレルギーからの犠牲に象徴的に晒されるのかである。
私は日本の再活性reboundに賭ける、ただし全面的ではない、それは日本社会の評論家のなかでの、いつもうけいれやすい観方に、ついひきこまれるからである、それは外側勢力と偏狭な民族主義にともなう容易ならざるをもって、こまかなつじつま合わせにはしり、それをだんごを作り上げてしまうからである。
このことは、日本人の生命をながく息づけてきたつよい筋肉質を寡少評価している。かれらは政治的脆弱political paralysisのもとで文化的実験をし、しばしば閉鎖的と記述された社会での公開性と適応性への顕著な包容力を産んできたのである。
海外政治記者は2002年に日本の“Gross National Cool”について論じているようである、これはグローバル文化の影響力を吸収し、転じてそれに影響をあたえるそのような天与の資質をこの国にみているからである。この収容力を無くしては、日本があの全面的敗戦のあとにかく輝かしく自らを再興しえなかったであろう。野球、ジャズ、ロックそして自由民主主義をもってスタートを切ったが外国の影響にたいしてはそう容易いものではなかったであろう。
もちろん、この逆説的社会はいつも外側からの巻き込みを起こすのである。1980年代のはじめに日本はこの世界を潜在的に支配しているとして見られたが、そう長くはなく、それはもう壊れたとして広く考えられた。日本を考えるときにいつもなにかわからないものがあるようである。予言者、楽観主義者および悲観主義者のひとびとに特殊なる課題を突き付けている。
そしてこれまで日本の政治指導者や企業指導者はこの危機に対して立つことをしてこなかった―この危機は、この国の民と世界の民に対して、この福島第一炉での状態についての公式情報をいまだに発信していないことが事実証明になっている。
しかし、政治的および社会的変化は下方から来るのであり、そしてまったく上方からではない。日本はこの三重苦によってごく自然に形成された一体性と創意性こそが、実は天与の資源性そして組織性の能力なのである。
十年以上もまえにあの窓越しにながめた光景から、この国に対して賭けを張ることの難しさを実感したのであるが、それはいまも変わらないのである。
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