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朝日記181211 雑誌投稿原稿 「Prima facie(第一発言者)の正しさということについて」

2018-12-11 22:21:10 | 絵画と哲学

 朝日記181211 雑誌投稿原稿 「Prima facie(第一発言者)の正しさということについて」

 今日の絵は猫3題です。 Prima facieはこれからの日本を考えていく上でのKeywordであると思います。 ご覧くさい。

―偶感― 

Prima facie(第一発言者)の正しさということについて

会員 荒井康全 

 

 「Prima facie (第一発言者)の正しさ」についての お話します。[1]

その前に、お断りしておきます。筆者は法律の知識に通じていないので、読者が困惑されるかもしれません。しかし、この話題の文脈で考えるとどうであるかということでご理解いただきたく願いします。 識者のご指導を乞うものであります。

 

まず、この用語の定義をWikipediaから以下引用しますが、(ここで、筆者はこれを(第一発言者)と訳しました)[1]

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Prima facie (/ˈpraɪmə ˈfeɪʃii, -ʃə, -ʃiː/; from Latin prīmā faciē)はラテン語からの表現で、 ‘最初の遭遇で’もしくは ‘一見して’という意味をもつ。この翻訳としては"at first face" or "at first appearance"を当てることになろう。 primus ("first"最初) and facies ("face"容貌)が語源の意味として対応する。 

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徒然ことその1.Prima facieについて

 友達と今度の日曜日に会う約束したが、先約があることに気付いた。

 そういう問題を考える哲学者がいます。[2]

一般的には、責務と関連して使われる。“自分は友達と約束して会うことを守るというa prima facie obligationを持っている”、しかし、これは事情のある義務つまり急用がきたら、友達に謝り、約束を流すことになる。

現代流の使い方では いま現在での責務として位置づけ、この後、上位者の力で覆るかもしれないそういう状況にある責務;pro tempore臨時の[3]としてのみ存在する責務という意味になる。

 

徒然ことその2.Prima facieについて

 彼は、庭の世話のためにポンプを据え付け、そのポンプの管理を業者と契約したが、ある日、庭ばかりか家も水浸しになってしまった。

これには、まず、責務が容易に特定できるということで、Prima facie case(申し立てのとおり,一応の証拠のある事件)として訴訟の根拠(証拠)としてなりたつ。もう一方で、現場の状況から事態が説明でき、管理過失として、それ以上の根拠(証拠)が必要ない場合である。 これを“res ipsa loquitur  case”(その物がその物自体を語る事件)と呼んでいる。この例は、カナダ不法行為法[4]での一般過失法を想定したものである。

徒然ことその3.Prima facieについて

Prima facie speed limitは Prima facieの考え方の例である。これは、アメリカやオーストラリアで、州などその司法管轄地域において、一律の速度制限を制定している(default speed limitと呼んでいる)が、それを破ることを 禁じてない規制である。しかしながら、そのドライバーがそのリミットを越えたために警察に見つかり、違反記録が取られる場合に、その状況での運転したことが十分安全であったことの根拠を示す義務が課せられる。

  (ミシガン州・ラピッドタウンでのPrima facie表示)

 

 

 

つまりPrima facieとして課題である。人影のない大陸での走行では理に適っているようでもある。警察官の情状酌量?ということになるか。都市などの人口過密地帯では、根拠(証明)の確定において問題が多いようではある。いまは、ほとんどの司法では、このタイプの速度制限は、絶対速度制限に置き換わってきていると記述している。 

写真は(Michigan,Rapid River)での例である。

徒然ことその4.Prima facieについて

会社の社長が、従業員の50倍の報酬を得ることを宣言した。

 英米のコモンローの法体系では、ルールとして’prima facie unjust’という原則が存在することになる。社長の報酬額について、契約の上限制限についての明記がないばあい、自分の権限でその額を、その根拠を添えて、案件として明示的に提示する。 反対するものがあれば、抗弁の根拠を出すが、無ければ、それが合法Justifiedされることになる。社会制度としての合理的な富の配分への方式のひとつに、分権的公正(Distributive Justice)という考え方が根底にあって、その件において、ルールが決まっていない場合、自ら提案して、了解をとっておくというものである。 社長が従業員の何倍であろうと、その社長本人による‘第一発言’prima facieとして合法とされる。自らの意志が、 ‘unjust’を ‘just’に転換することになる。

アメリカは、或る意味で“America, is often said  country of Prima facie unjustice”と彼ら自身が、臆することなく、認めるところとなっている。[5]

コモンローでの訴訟では、民法も、刑法でもPrima facie caseが原則らしい。証明の負担Burden of proofは、基本的に双方に課せられるが、ともかく見かけからあきらかな程度の根拠でもよく、堅忍不抜の内容までのものを当初から用意することをしないようである。ことは明快迅速に進めるのをよしとする相互の意志が根底にあるようだ。したがて、事件の解決のために過剰な費用負担を避ける取引上の判断技巧でもあるといわれている。 悪しき意味で、取引の手段として多用される懸念も当然考えられよう。

      

徒然ことその5.Prima facieについて

 さて、・・・・?。

現下、話題になっているN自動車会社の元会長の報酬に関わる不正処理の嫌疑の件が視野に入ってくる。刑法のもとでの裁判では訴追には上述のようにprima facie 根拠を提出する義務が課せられている。被告に対して向けられた刑事的な各要素である。刑事立件では、これは犯罪行為として成立するか、被告の行為がこの原因となったか、そして被告が故意[6]に基づいて行動した根拠を含んでいるか。もし被告側で、抗弁の根拠の提出がないなら、この立件はこのprima facie抗弁の根拠の欠落として、成立することになろう。

被告としては、会計上の単純な手続きの過失として、故意Malice aforethoughtではなく、この単純過失negligenceとして申し開きをするところであろう。  日本の企業文化からの感覚(いわゆる常識)からの報酬額とはかけ離れていて、それに負い目をもってしまったか。徹頭徹尾、Prima facieでのunjustからjustへと、一貫して押し通していなかったかどうかが気になるところである。

 

徒然ことその6.Prima facieについて

まとめとして

1).世界は、Prima facie の時代に入っているとみる。

その典型は、“偉大なアメリカをふたたび”を掲げて、日々途切れることなく、世界を席巻しているトランプ大統領にそれをみることができるのではないであろうか。自分自身が必要と思ったのであれば、交渉材料として相手側に提示し、正当化して具体的結果を迫る方式である。「第一発言者」つまり、Prima facie dealerとして目に映ってこないであろうか。

2).これに対して、受ける側は、つねにa.主張が明示的であること。b. 応答が迅速であることであろう。

3).そのための実のある信頼関係trustful relationの構築に徹すること必要であう。(私見では、できれば、‘盟主’には顔を立てさせるのがよい。)

4).現戦後世界秩序を基盤的に支える成熟した先進経済大国として、賢慮ある高度科学技術社会への建設を目指したいとなる。役人が書くと斯くなる表現となろうが、それでよいとおもう。

しかし、ここでの文脈であるのでやはり、言っておきたいのは以下である;

5).Prima facie justiceをわが国民の資質・素養の啓発として、どのように捉えるかが最大の問題である。 我が国の人たちは国際的に、知的で品性があり評判はかならずしも悪くないと筆者はみている。したがって、科学も人文もふくめて、世界が提示した既定の枠組みのなかでは、すばらしい知恵と活力によって課題を展開し、現在の経済大国としての実績を獲得した。これに誇りをもつ。しかしながら、現枠から頭をひとつくらい抜きでた革新的な発想のものが少ないということを、AIやIoTなどの例をみるまでもなく、世界のビジネスモデルの競争などを通じて、さりげなくわれわれは知っている。 信頼のおけるよき仲間にめぐまれた共同価値社会はこれからも大切である。しかし、自分自身の生きることから出発した「自由意志」に基づいて、みずからの発想について、それを突き詰め、傾注に邁進する個人individualの存在の姿に思いを致す。また、その育成についても、心を留める者である。それがいかにあるべきであるか。そのための思考の文脈としての“Prima facie justice”はひとつの教材であり、これを取り上げることは意味あるとおもっている。 そのような‘倫理的人格’の人材出現をわが日本は求めているとおもうものである。

 

参考文献

Prima facie, From Wikipedia, the free encyclopedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Prima_facie

 


[1] Prima facie From Wikipedia, the free encyclopedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Prima_facie

[2] (倫理学の理論でW. D. Rossが最初に提案した注目すべき用法である。彼はEthic of Prima Facie Dutiesと称ししている。またRobert Audiのように認識論という同じ次元で扱っている。)

 

[3] 臨時のPro tempore (/ˌproʊ ˈtɛmpəri, -eɪ/), abbreviated pro tem or p.t.,[1][2] is a Latin phrase which best translates to "for the time being" in English.

[4] カナダ不法行為法Canadian tort law

[5] 荒井康全 「システム思考における目的論理と社会倫理についてV」 、p.156、2015年度 総合知学会誌Vol.2015/1

[6] 故意 Malice aforethought

 

 


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