娘
の体験記が新聞に載っているので 保存 
09.3.13(金)
ホンジュラス 
青年海外協力隊でホンジュラスに赴任中
ホンジュラスに来て九ヶ月が過ぎました。首都テグシガルパに着いて一週間は昼間でも街を歩くことを禁止され、移動の際は必ずタクシーを利用しなければならなかったり、街では銃を持つ人をたくさん見かけたりするなど、「えらいところに来てしまった‥」と正直、恐怖との戦いでした。
その後、語学研修のため、サンタルシアという小さな街に移動し、三週間を過ごし、町の穏やかな雰囲気やホームステイ先の家族の優しさに癒され、少しずつ緊張の糸がほぐれていったように思います。
昨年八月、グラシアスという街に赴任しました。首都テグシガルパには立派な建物やショッピングモールもあり、「ここは発展途上国?」と目を疑うほどでした。その都市から、バスを乗り継ぐこと約十時間。舗装もされてない険しい山道を通ってやっと到着したのが、この街でした。
私の住んでる場所は街の中心のため、学校や小さなお店がたくさんあり、いつもにぎやかです。自動車やトラック、モトタクシー(三輪タクシー)もひっきりなしに通っています。ホテルや銀行、インターネットカフェもあり、大抵のものはそろい、不自由なく生活しています。しかし、街を少し外れると、まだ舗装されていない道や、貧困層の家屋もあります。
私はこの街で小学校教諭として活動しています。街を歩いていると、「オラ」「ブエナス」「(いずれも、こんにちは)、「アディオス」(さようなら)と声をかけられます。こどもたちを通して名前を知られることも多く、まるで有名人になった気分。中国人と日本人の区別がないようで「チナ(中国人)」と呼ばれることも多いですが、私もホンジュラスを知らなかったように、彼らが知らないのは仕方ないと、「ハポネッサ(日本人)だよ」と言い直しているものの、なかなか伝わらないようです。
街の名前「グラシアス」は、スペイン語で「ありがとう」を意味します。これは、日本の学校で働いていた時、子どもたちと大切にしてきた言葉。これからどんな出会いがあり、どんな出来事があるのかとてもたのしみです。


09.3.13(金)


青年海外協力隊でホンジュラスに赴任中

ホンジュラスに来て九ヶ月が過ぎました。首都テグシガルパに着いて一週間は昼間でも街を歩くことを禁止され、移動の際は必ずタクシーを利用しなければならなかったり、街では銃を持つ人をたくさん見かけたりするなど、「えらいところに来てしまった‥」と正直、恐怖との戦いでした。
その後、語学研修のため、サンタルシアという小さな街に移動し、三週間を過ごし、町の穏やかな雰囲気やホームステイ先の家族の優しさに癒され、少しずつ緊張の糸がほぐれていったように思います。
昨年八月、グラシアスという街に赴任しました。首都テグシガルパには立派な建物やショッピングモールもあり、「ここは発展途上国?」と目を疑うほどでした。その都市から、バスを乗り継ぐこと約十時間。舗装もされてない険しい山道を通ってやっと到着したのが、この街でした。
私の住んでる場所は街の中心のため、学校や小さなお店がたくさんあり、いつもにぎやかです。自動車やトラック、モトタクシー(三輪タクシー)もひっきりなしに通っています。ホテルや銀行、インターネットカフェもあり、大抵のものはそろい、不自由なく生活しています。しかし、街を少し外れると、まだ舗装されていない道や、貧困層の家屋もあります。
私はこの街で小学校教諭として活動しています。街を歩いていると、「オラ」「ブエナス」「(いずれも、こんにちは)、「アディオス」(さようなら)と声をかけられます。こどもたちを通して名前を知られることも多く、まるで有名人になった気分。中国人と日本人の区別がないようで「チナ(中国人)」と呼ばれることも多いですが、私もホンジュラスを知らなかったように、彼らが知らないのは仕方ないと、「ハポネッサ(日本人)だよ」と言い直しているものの、なかなか伝わらないようです。
街の名前「グラシアス」は、スペイン語で「ありがとう」を意味します。これは、日本の学校で働いていた時、子どもたちと大切にしてきた言葉。これからどんな出会いがあり、どんな出来事があるのかとてもたのしみです。
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