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午後からのイベントショーは賑やかに「鹿児島おはら節」お囃子と踊りで始まった。薩摩藩が琉球侵攻に従軍した日向国安久村(薩摩隼人)の郷士が戦地で士気を鼓舞するために歌った「安久節」[1]が、鹿児島近在の原良村の郷士(現在の鹿児島市原良)によって歌い継がれ、それらが鹿児島県全体に広がり、発祥地である「原良」に「小」を冠称して「小原良節」と呼ばれるようになったという説が有力だそうだ。(Wikipedia)
賑やかな「鹿児島おはら節」は昭和初期に全国の港町を中心に「〇〇おはら節」が流行り色々あるが富山県に在住の頃、八尾の「越中おはら節」が有名だったが北国の民謡は物静かでスローで陰気くさく明るさが無く、あまり好な民謡ではない。続いては細川たかし歌謡ショーの前座として「五大有厚の歌」を演歌歌手、岬晃司が歌われた。
「五大有厚」はnhkの朝ドラ「あさがきた」で有名になった官から民に下り、商都大阪の礎を作った旧薩摩藩士でイギリス洋行帰りで大阪の産業の基礎を造りあげた商都大阪の偉人である。神戸でも慶応4年に神戸で三宮神社前において備前藩の大名行列にが隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させ賠償と関係者の全員の処刑を要求した外人居留地公使の要求に対し、日本武士道の名誉として今日留置の公使の前で大名行列の担当家老が割腹して神戸事件を解決させたのが五大有厚だそうである。 戦中、戦前までは明治期の英雄は西郷隆盛陸軍大将、大久保利道内務卿と東郷平八郎海軍元帥だったが、今や鹿児島県人や大阪鹿児島県人会では五大有厚氏がヒーローで映画化もされるようである。イベント・ショーの「細川たかし」のワンマン歌謡ショーが始まった。家内の指定席は←席(下画像)の上等席である。
‟細川たかし”が「浪花節だよ人生は」を唄いながら舞台に登場すると拍手が沸いた。カメラを構えているとショーのプロモーターだろうと思うが女性のスタッフが駆けつけて「カメラ撮影は禁止となっています。御遠慮下さい。」で画像アップはここまでである。
鹿児島物産ブースなど歩き回り疲れてきたので座ろうと席を探すのだが「○×地区鹿児島県人会席」と表示があり空席は無く、近畿地区と隣接する「岐阜鹿児島地区県人会席」大きく席を取っていた。後で聞くと観光バス13台で「「関西かごしまファンディー」に来たそうである。
メインステージや鹿児島物産ブースには沢山の来場者がいるが、ショーは始まったばかりだが入場券を提示して会場外へ出たが此処でも鹿児島の各地域の方がグループで同窓会気分で魂出している。水分補給を摂りながら30分ほど経つと家内から電話があり出口で待っていると家内が出てきた。京セラドームからイオンへ直接行けるのでフード・コートで遅い昼食を摂り帰ったが‟関西鹿児島県人会”の活動と集客組織力に圧倒された「関西かごしまファンディー」だった。
こんなに人が集まるのはどうしてでしょうか
それにしましても、奥様この日は大当たりですね、Uさんは、撮影で大変だったでしょう 関西で開催されたのですが、やはり鹿児島の宣伝でしょうか本物って気がしますが、一番引き付けているのは何でしょうか、産物でしょうか楽しい一日でしたね。
私も楽しませて戴きました
五代友厚の歌があるのを知りませんでした。
鹿児島県人は郷土意識と団結力が大変つよいです。
福岡でも様々な県人会がありますが、群を抜いて大きな組織で活動も活発でした。
何時もコメント
京セラドームへ入場すると例年にない来場者数だそうで、多いのに吃驚
来場者は薩摩出身者、物産店目当て、演歌歌手目当て等々、我輩みたいに偽の鹿児島出身者も多いのではないかと思っていますが、なんと言っても前作のTV連続小説の「アサが来た」で突然出てきた薩摩藩士「五大有厚」の影響が大きいのではないでしょうか。
ラヂオ体操の「薩摩おごじょ」に聞いた話では入場券は4万枚発行され、各地の「鹿児島県人会」にきめ細かく割り当てられそうです。
それにしても「関西鹿児島県人会」の活動組織には
コメント
50年以上も前に新湊(現、射水)市にたころ、能登半島から越中西部・」飛騨の秘境にかけ平家の落人のが多く平家全盛時代を偲んだ女性的な哀歌の唄(民謡)が多いように思います。
「五大有厚の歌
https://www.youtube.com/watch?v=LCDTlFe2L3I
「つけあげ&焼酎」でチビリ
我輩は人混みでアルコールを飲む気になれません。階段が怖いのです。
でも、甲子園と違い京セラはエスカレーターやエレベーターがあり、バリアフリーが充実してました。