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今日はセンター試験2日目だが毎年この時期は寒気が入り雪が降り、そして試験運営にトラブルがあり必死で臨む受験生は大変である。 上海旅行3日目の1月2日、“東洋のベニス蘇州日帰り”コースである。 朝8時にマイクロバスは上海を高速道を走った。 蘇州は上海から南京への途中約100kmにあるが高速道路は幅広く4車線だったか5車線だったか記憶にないが車線毎に最高速度制限が定められていた。 走る車はドイツのベンツやフォルジュスワーゲン製が多く時々GM・ルノー・トヨタ・三菱・マツダやホンダの車が走る。 次女の婿殿の説明によると中国全土は中華人民共和国の国有地で高速道路や新幹線などの建設計画が決定すると日本のように土地買収には時間がかからず容易に建設できるそうだ。 また、中国の自動車産業は乱立し技術力に乏しく外資系のメーカーと技術提携してるのが現状らしい。 蘇州へは9時過ぎに到着したがバスが止まると中国人男性の日本語通訳、Tさんが待っていた。
T(58)さんは自己紹介で自分は日本へ行ったことは無いが40年前の日中国交で周恩来主席と田中角栄総理が蘇州へ訪られた時、田中角栄に感動し独学で日本語を勉強したと説明したが、少し訛りはあるが落語の落ちを交えた立派な日本語である。 チケットを買いTさにつられて中国のピザ斜塔虎丘へ向かった。
中国の事については全く疎いが大河ドラマ平清盛は南宋の交易を夢みた神戸港を整備した内容であるが当時の中国は産業・貨幣の流通した先進文化国家である。 歩きながらTさんに色いろ聞いてみた蘇州は春秋時代の呉の都であった。 明確には分からないが清盛の時代とほゞ同時期だったと思う。 西遊記の映画でみて記憶している中国の町は城壁で囲ってあるが一昔まではその様であったが今は文化革命後文化財的なものはそのままだが後は全部取り壊しているそうである。 また、虎丘の入口の黄色の囲い壁は寺院のシンボルの色で寺院はすべて黄色であることも知った。 以下案内された虎丘の主な撮った写真。
八角形で七層の虎丘塔は、煉瓦で建てられたものです。高さは47.5メートル。宋王朝の961年頃に建てられました。
大運河は隋王朝の時代に大運河として初期的な完成、最終的に元の時代に現在の運河になっています。北京と杭州を結んでいるので、京杭大運河と呼ばれている。観るのも聞くのもみな初めてゞ約700年前にこの事業をやるとはまさに中国4000年の歴史はすごいし、驚きである。、
虎丘観光を終えバスは次の寒山寺へ向かった。
コメント
2008,12のブログ書き込み見てみました。
今、読まして頂くと蘇州の情景がよく解ります。
有り難うございました。
http://blog.goo.ne.jp/ryoyokota200608/e/8f0d1796bd694135626522b73788b44d
2008年の水郷めぐりは蘇州から始めましたが、蘇州については2008・12・18~24のブログにまとめました。お閑でしたら覗いてください
コメント
何処の国にでも観光コースはお定まりのようですね。
ippuさんはよく海外へお出かかけになったようですが、拙者はこれがおそらく最後でしょう。
懐かしいですね。
相当昔になりますが、私も同じようなコースを楽しんできました。