:横浜市では開港以来培ってきた国際性を生かし、2001年から3年に1度に現代芸術の国際展「横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)」を開催しています。
世界最深の現代芸術の動向を紹介する当事業は、芸術祭の草分け的存在として内外の注目を集めてきました。横浜市では、国際展の開催と同時に、芸術家を誘致する特色のある施策を打ち出すとともに、芸術によるまちづくりも推進してきました。
約15面の間に開催されたヨコトリの沿革を振り返りながら、横浜のまちづくりに影響を与える芸術の持つ創造性の力について学びます。
■トリエンナーレとまちづくり(横大・鈴木信司氏)
:局ごと行なっていた事をまとめてやるー同施策やる50程の自治体でも、有名な例とされている。
【創造都市ヨコハマとは(横浜市文化観光局)-
文化芸術分野にもっとも謙虚に現われるヒトの創造力は、身の回りにある不安や困難、さらに環境・平和や共存など国際的課題に立ち向かう力となります。横濱のような都市にとって、文化芸術は市民生活を充実させるばかりでなく、都市の活性化さらには国際的競争力にとって大きな効果をもたらすものと考えています。
市民生活の豊かさを追求しつつ、都市の自立的発展を目指しためには、横浜の最大の強みである「 港を囲む独自の歴史や文化」を活用し、芸術や文化のもつ「創造性」を生かして、都市の新しい価値や魅力を生み出す都市づくりを進める事がふさわしいと考えました。つまり、文化芸術・経済振興と横浜らしい魅力的都市空間形成というソフトとハードの施策を融合させた新たな都市未来像です】
:2001年ヨコトリで考えられたものを、04年に具現化ーこれを考案した人がまちデザインをしていたので、それを元に―
【(2004年1月文化芸術・観光振興による都心部活性化検討委員会)
(ソフト)文化芸術・経済振興+(ハード)横浜らしい魅力的都市形成=文化芸術創造都市ヨコハマ⇒都心部活性化】
:まちデザインではよくあるが、マチ空間をもふくむ構造は珍しい。
【創造都市ヨコハマのこれからー
新たな4つの目標:
☆Space空間≠歴史と水辺の環境を生かした都市空間形成
☆Peopleヒト=創造的人々が集まる機会あるまちを目指す
☆Relation交流≠ヨコハマの多面的魅力を世界へ発信し、交流を活発化
☆Communityマチ=より多くの市民が創造性を発揮できるまちの仕組みを作る
⇒実現に向けた、新たな5つの計画の方向性:
☆文化芸術・まちづくり・創造的産業の三位一帯による都心部復権
☆アジアのハブ&世界発信の強化
☆自然体における人と地域の創造力向上
☆人と育てる映像文化都市
☆(2010年から核に)まちにひろがるヨコトリ
⇒都心部復権
●都心部の活性化→文化芸術・まちづくり・創造的産業
●創造界隈拠点拡大・発展→民設支援・小規模既存建物改修
●創造的活動や場づくり支援
●初黄・日ノ出地区と「黄金町バザール」=250件余の違法風俗店があったマチの再生事業。地域と芸術の共存を通して、まちが新しく生まれる変わる事を目指す。地域・大学・芸術家・警察・行政が一体で推進】
:ハード+ソフト計画
【都市デザイン目標ー
1)安全で快適な歩行者空間を確保
2)地域の地形や植生などの自然的特徴を大切にする
3)地域の歴史・文化的資産を大切にする
4)オープンスペースや緑を豊かにする
5)海・川などの水辺空間を大切にする
6)人々が触れ合える場、交流の場を増やす
7)形態・視覚的美しさを求める
■さいたまトリエンナーレディレクターによる、「さいトリと市民協働」、の続き
:さいトリは今年が初めてー日本では、1999年から国際芸術祭が盛んになった―トリエンナーレは、
≪マチ展開≫
ー日常に、ホワイトキューブ(白い壁)は非日常的風景。
現代芸術の変容⇒芸術はモノではない、術ー一つのモノから別のモノを見つけるのが、芸術の力。
:さいトリの内幕:
ー数人のプロジェクト長が、直接運営。市内には、国際的芸術活動機構から、焼物や盆栽といった趣味モノまであるーこうした美術館は、入っていないが連携させて、市民参画。
経験ないので固いー開放地区造ったらいいと、と言ったー会場を地元の人にも発表場として、解放。
:テーマー未来の発見:
ー地元の人に、さいたまのイメージを聞いたら、「何もない」という返事に興味持ち、見て回ったら色々ある事に気付いたーが、保護区も含めて未来と古いモノが、バラバラに点在している。
これまでやっていたマチマチは、世界に打ち出す個性があるーさいたまは生活都市、畑と生活の空間になっている。
芸術家は、違う視線で見て表現するー生活する者が見るという事で、さいトリを浮び上がらせるーマチは回転が速い。期間限定をすればー新市街から旧市街まで作品置き、県の博物館で使われていないので借りて会場に
≪創造力を生活に持ち込む≫
≪造ってみよう≫
≪それぞれレベルあるから、ただやるのでなくー能力別やお手伝いを参加型に≫
≪生活都市からめた生活行動を、芸術に高めようとやっている≫
ー点在する施設を利用、地元の人はトリエンナーレがわからないので、とにかく作品見せているースポーツ盛んなので、それと混同されているらしい。
地元の人が入るー参加以外にも、制作過程に加わる事を考えたーリクエストに答えたり希望者宅に作品置いたり、素材提供も。
基本、無料鑑賞ー室内もなるべくそれに準ずるー市が、そうした活動をやりたいと強く考えている。寄付やったりしているー日本の典型的祭りもそう。
さいたまは特に生活都市、日々から参加して協働するー実験するつもりである。
:Q&A:
Qーやっていても広まらない。
A-ドンドンやっていけば、頭に残っていくかもー生活に芸術を近づけるかーそれしかない。
Q-全国、芸術祭だらけ
A-地域と芸術、日常に持ってひっかかるモノをやっていみたい。
芸術家は問題を引き出し、デザインはそれを解決ーそれを知らずに、芸術家だけ呼んでしまう。それで食い違いがー影響強いので嫌いになってしまう所も出てくる。
横浜は長い上、挑戦するのは珍しいーヨコトリ3回目で、やっと横浜スタイルが掴めた。
■横浜美術館 副館長による、美術コラム
現在、美術館はヨコトリ主会場になったのは4回展(2011年)からーその前は、関連展として
○2001年ー奈良美智展
○2005年ー李禹煥 余白の芸術展
○2008年ー源氏物語の1000年
ヨコトリ主会場になってから、観客を引きつける作品を看板に―建築家の個性が強い美術館の造りを超える展示を目指す。
中国の李氏は、野外まで展開させたー資金不足で当時、造船業が盛んな中国からは巨大鉄板/巨石は理解ある日本の石屋が提供・搬入・撤去まで無償でやってくれた。
鉄板の上に巨石を置くので、大丈夫と言い張る李氏を説得して安全処置を施したが、李氏に鉄板表面にずっとベビーオイル塗るように言われるー大変だったが鉄が色好くなった。
■さいたまトリエンナーレディレクターによる、「さいトリと市民協働」
≪「さいトリ」公式パンフよりー
:生活都市から生まれる「想像力」の祭典:
○さいトリ2016未来の発見!
ー127もの人々が生活するさいたま市に、世界に開かれた創造と交流の現場を造り出す事を目指す国際芸術祭。
テーマは「未来の発見!」
芸術を鑑賞するだけでなく、共に造る・参加する芸術祭です。
まちの成り立ちや知られざる自然・土地の歴史など、生活都市ならではの魅力が見える、市内の様々な場所が会場となります。
国内外の芸術家たちが発見する、多様で多彩なさいたま。
その魅力溢れるさいたまに触れ、私達のこれからの未来を発見していきます。
:アートプロジェクトの組み立て方
ーさいトリの中核となるアートプロジェクトは、この3段階踏んで
■芸術家の選出
テーマをもと、卓越した洞察力/想像力/造形力を有し、かつ国際的に注目しうる芸術家を中心に選出しました。芸術家は、現地を視察した上で、隠れた関係性や気づいていなかった可能性を新たな光を当て、人それぞれが自らの生活の現場から未来を発見する際のきっかけとなるようなアートプロジェクトを構造。
■場所の選定
ー生活都市さいたまの特徴を浮かび上がらせる、それぞれの性格を異にする3つのエリアを設定し、そこでの具体的展示サイトを選定。
■プロジェクトの構築
ー芸術家との対話を通して、それぞれのアートプロジェクトの展開場所と内容について、時間をかけて構築を行ないます。今回のさいトリは「参加する」事ー「共に造る」事に力点を置いています。この方針のもと、参加や協働のための様々な工夫を可能な限り取り入れていきます。
■さいたまスタディーズ
ー2015年度の地形/地質/植生/気象/歴史/文化など多方面から、さいたま市を横断的、測地的に見渡す地域研究を行います。
「土地の理解」を深め、その成果をさいトリの参加芸術家や市民に公開。
■さいトリを応援して下さい
:サポーター
ーさいトリ2016支えるサポーターを募集しています。詳しくは、公式ウェブサイトへ
:主な活動内容
ー芸術祭運営/通訳/案内ガイド/芸術家の作品制作補助/広報活動/イベント企画・運営など。
:寄付
ー「ふるさと納税」を通じて、さいトリ2016を応援する事ができます。
熊本震災直後から、薫堂さんが番組内で話している熊本応援関連情報を聞いてYahooブログで記事にまとめていました。
先週、番組サイトから薫堂さんあてに熊本応援メッセージ送りましたら、このステッカー頂きました!!本当ありがとうございました。
今日、唯一トリエンナーレサポーター参加者として、勉強会に行って参りました。
■思い出あって捨てに捨てられないもの使ったWS
①最初、沢山ある廃材の写真パネルから気に入ったものを取る―そこから、自己紹介の縁と捨てられない訳を語る。
②持っているパネルと似た人と集まりチームになって、皆のパネルをつないで物語造り、発表。
③自分と人のを使い、同じタイプの廃材を並べて(混ぜるのはダメ)4枚写真撮る。
④参加人数×4枚をPCに取り込み、それを使ってチームで長めの物語を造って、発表します。
ー私のチームは、何故か特撮ヒーローものにw
昨日、横浜美術館にてー
■目に見えない≪空気≫を見る・撮る・観る
ー舞台演出家/映像作家/女優、それぞれの視点ー
:実際とカメラ越しで観る違いー目では対象を選んでいる、映像やブログといった文章はどう切り取って伝えるか?-
今はアイフォンで誰でも撮れるー見方・興味の方向が人々それぞれー
WSで、サポーター6人が撮影挑戦ー
:感想
◎動画初めてで、イメージもできなかった―でも、自分のを見るとよく撮れている
◎ズームしたら映らなかったり、意図しないものが映り込む
◎人の生活が映る
ー今回、動画だったが、自分の目線でこの場・空気をどう伝えるか
ー何回か撮れば、自分のクセ・目線が気付かされる
ー意図していないフィールド外のが映っているのが、美しさも感じる
■ヨコハマ港町物語
2)船旅が隠喩する現代美術の果てしない可能性
:一見見慣れた日本地図だが≪旅する芸術家≫島袋道造の≪日本の船旅≫地図はちょっと違う。地名は全て港町。日本から行ける国内外の船旅全ての航路図だ。新幹線はどんどん早くなり、海外旅行は飛行機が当然のスピード優先時代、郷愁にさえ響く≪船旅≫への夢を描かせる島袋のヨコトリ出品作は、彼がここ数年展開してきた、本人の旅のプロセスを主軸に据えたものから、鑑賞者自身に未知の世界への切符が渡されるものへと移行している。彼曰く「船旅アプリの無料配布」。冒頭の航路図とロシアのコルサコフ(稚内から5時間半)/釜山(下関から14時間)/上海(神戸から4,5時間)などの港を島袋が撮影し制作した「思わず船旅に出たくなる観光ポスター」展示に加え、無料パンフには日本の全ての航路と船会社の電話番号が掲載され、誰もがその≪アプリ≫を起動できる。
船でしか行けない場所/同じゴールへの異なるチャンネル/スロースピードを選択する事で見えてくる何か、そんな≪どこか≫へ連れて行ってくれる船旅に現代の芸術の在り方を重ね合わせる時、そこに秘められた果てしない可能性や独自の価値が見えて気はしないだろうか。
3)港から読む都市の歴史/政治、そして経済
:港ヨコハマでの計画は、世界の港町に目を向けてきた写真家であり理論家でもある芸術家アラン・セクラにとって、旺盛な知的好奇心を刺激する絶好の機会となった。セクラは横浜開港資料館を舞台に日本で撮りおろした映像を中心にした展示を行なう。
セクラが1995年まで足掛け9年かけて取り組んだ≪フィッシュ・ストーリー≫は、彼の撮った港、そこで働く労働者の肖像が導入となって、港という世界に通じる窓をとおして捉える現代の世界経済、また政治という深く広い主題へ向かう対話を喚起する。セクラの視点に誘われて見直せば、横浜の港も東南アジアを初めとする物価の安い国々で造られた製品/素材を詰めたコンテナが消費/加工されるため荷揚げされる、カーゴの移動から世界経済を目の当たりにできる場所だ。抒情的な風景と捉えられがちな港は、一転して現代を映す鏡となる。
2000年12月と6月に来日して開港資料館の資料を調査した。ここには明治期からのイメージ、つまり日本近代の軌跡が集積され、とても惹かれたと語る。横須賀の軍港/築地の魚市場/神戸港にも足を向け映像を取り収め日米関係の歴史を中心に調査を行ってきた。日本という海に囲まれた国の西洋との関係を、横浜という港町をとおして見る試みがなされる。
■現代美術の現在
≪再び想像力の圏域へ≫
:前世紀最後の10年間、現代芸術は劇的な変貌を遂げた。少数派の叛乱がもたらした人種(民族)/男女差/排他性の問題/芸術家の生活の私的で親密な出来事/生命力溢れる大衆文化から引き出されたポップな要素が、主題として作品に取り込まれ、表現の主題を一挙に豊穣(ほうじょう)なものにしたのである。それは、ラディカルな社会批判や真面目な記録作品から、享楽に奉仕する見せ物や娯楽にいたる、幅広い種類の作品群を出現させた。そのため表現形式は、近代主義の自律性から遥かに遠ざかり、鑑賞者の倫理的な反応を期待したり、遊戯的に体感できる構造を内包する事となったのである。その結果、20世紀のメイン・ストリームを形成してきた現代芸術の単線的な進歩の歴史と、80年代の衰微と閉塞の中から生まれたポスターモダンの模造品を打ち砕いた。
このように現代芸術は、形式と内容の両面で多種多様な方向に拡散したが、時間だけでなく空間の中でも同様の事が生じた。現代芸術の活動領域は、長らく米国と西洋の先進国を中心として発展してきた。しかし90年代をとおして、それ以外の地域、東欧/南米/アジア/アフリカへと急速に浸透していったのである。まさに現代芸術が国際化された。それらの作品は、現代芸術として最低限の条件を満たすものだったが、地方的な特性を色濃く表出してもいた。というのは背景に、国際的規模で接合された多文化社会があったためである。そしてそれは、世紀末に続く21世紀初頭の現代芸術を産み出すコンテキストにもなっている。
一見収拾がつかないほど種々雑多な現代芸術の作品を、私達はどのように理解したらよいのだろうか。その糸口は、どこにあるのだろうか。しかし現代芸術のこの状況を前にして、いたずらに戸惑わなくでもよい。というのは、極めて古典的で正当な方法が、作品理解の強力な助け舟となるからである。それが「想像力の力」なのだ。
それなら誰でも分かっているし、作品鑑賞の際つねに用いられてきたというだろう。しかし21世紀芸術に必要とされる想像力は、過去の作品に適用されるものとは異なる事に留意しておかなければならない。例えば、それは現代芸術を突き動かしてきた想像力とは根本的に異質な原理を持つ。つもり、現代芸術が作品生成の際に行使する物質を素材として想像力ではなく、国際的な多文化社会という現状に照らして作品に結実した他者を志向するものなのである。
とはいえこの想像力は、主体(自己)が属する文化(価値体系)の要素をそのまま他者に投影する事でもなければ、他者の文化を素朴に同化し共感する事でもない。元より他社は、主体と同じ文化を共有する人間から、全く異質な文化に帰属する人間まで、様々なスペクトルに分けられる。従って他者を志向する想像力は、自己と他者の間にあるこのような文化的隔たりを埋める試みとなる。想像力によって産生されたイメージを構成する内容は、自己と他者の属する文化の複合となろう。
■ヨコハマ港町物語ー開かれた国際都市・横浜にちなんで制作する作家たち
1)「横浜初めて物語」を紐解くヨコトリ伝道師が行く!
:タイ人作家ナウィン・ラワンチャイクンの作品作は、横浜に初めて伝来したもの事やそれにまつわる人々、場所に関して調査していく実地調査ともいえる計画。題して「ヨコハマサーラ」という、野外展示/イベント開催/新聞発行など複合的なコンテンツを持っている。野外展示では、汽車道の線路沿いにかつて実在していたかもしてないプラットフォームを再現し、その壇上にサーラ(タイ語で「寄合所」≫という小屋風のイベント空間を組み立てる。プラットフォームを再現しようという案は、横浜ー品川間を走った、日本初の鉄道について調べていく内に考えついたもの。「初めての鉄道が創設されたという記念すべき場所なのに、簡単に壊してしまうのが日本。みなとみらいのように全てを再生するのが好きだ。だからプラットフォームをもう一度取り戻そうと考えた」それが≪横浜初めて物語≫を作品にしようとした具体的な出発点。
寄合所「サーラ」の中には、書き割り風の看板画がいくつかの層のようになって展示される。看板画といえば、ナウィンのタイの映画宣伝用看板画がすぐに頭に浮かぶが、今回は写真草創期に流行った、白黒写真に後から彩色した天然カラー写真のタッチで描かれている。写真が初めて日本に紹介されたのも横浜から、この点も彼の≪初めて物語≫へのこだわりだろう。
今回ナウィンは、調査のために横浜在住の外国人や≪初めて物語≫に絡む人々に取材して回った。特に外国人から多く話を聞く事にしたのは、横浜が文明開化の発祥地として日本における国際化を担った期限であることを、作家なりに確かめようとしてからである。
今回ナウィンが出会った人々は、カンボジア/パキスタン/韓国/中国/インドネシア/フィリピン/ロシアなど驚くほど多国籍である。こんなに様々な文化背景をもった人々が身近に住んでいる事を始めて意識させられる。ナウィンから話を聞いて改めて感じたのは、いかに我々が異邦人と距離を置いて生活しているかという事。こんなに小さな島国に住んでいても、出会える人々はほんの少しだけ。日本のような情報化社会に住んでいながら、事実は伝わっていない。芸術を通して、ナウィンは現実社会を直接に我々に指示してみせた。それは、出会いを心から大切にして芸術に昇華していく作品ともいえる。ナウィンの芸術家の観察力/洞察力に関心してしまうしかなかった。
■現代美術の現在
≪再び想像力の圏域へ≫
:前世紀最後の10年間、現代芸術は劇的な変貌を遂げた。少数派の叛乱がもたらした人種(民族)/男女差/排他性の問題/芸術家の生活の私的で親密な出来事/生命力溢れる大衆文化から引き出されたポップな要素が、主題として作品に取り込まれ、表現の主題を一挙に豊穣(ほうじょう)なものにしたのである。それは、ラディカルな社会批判や真面目な記録作品から、享楽に奉仕する見せ物や娯楽にいたる、幅広い種類の作品群を出現させた。そのため表現形式は、近代主義の自律性から遥かに遠ざかり、鑑賞者の倫理的な反応を期待したり、遊戯的に体感できる構造を内包する事となったのである。その結果、20世紀のメイン・ストリームを形成してきた現代芸術の単線的な進歩の歴史と、80年代の衰微と閉塞の中から生まれたポスターモダンの模造品を打ち砕いた。
このように現代芸術は、形式と内容の両面で多種多様な方向に拡散したが、時間だけでなく空間の中でも同様の事が生じた。現代芸術の活動領域は、長らく米国と西洋の先進国を中心として発展してきた。しかし90年代をとおして、それ以外の地域、東欧/南米/アジア/アフリカへと急速に浸透していったのである。まさに現代芸術が国際化された。それらの作品は、現代芸術として最低限の条件を満たすものだったが、地方的な特性を色濃く表出してもいた。というのは背景に、国際的規模で接合された多文化社会があったためである。そしてそれは、世紀末に続く21世紀初頭の現代芸術を産み出すコンテキストにもなっている。
一見収拾がつかないほど種々雑多な現代芸術の作品を、私達はどのように理解したらよいのだろうか。その糸口は、どこにあるのだろうか。しかし現代芸術のこの状況を前にして、いたずらに戸惑わなくでもよい。というのは、極めて古典的で正当な方法が、作品理解の強力な助け舟となるからである。それが「想像力の力」なのだ。
それなら誰でも分かっているし、作品鑑賞の際つねに用いられてきたというだろう。しかし21世紀芸術に必要とされる想像力は、過去の作品に適用されるものとは異なる事に留意しておかなければならない。例えば、それは現代芸術を突き動かしてきた想像力とは根本的に異質な原理を持つ。つもり、現代芸術が作品生成の際に行使する物質を素材として想像力ではなく、国際的な多文化社会という現状に照らして作品に結実した他者を志向するものなのである。
とはいえこの想像力は、主体(自己)が属する文化(価値体系)の要素をそのまま他者に投影する事でもなければ、他者の文化を素朴に同化し共感する事でもない。元より他社は、主体と同じ文化を共有する人間から、全く異質な文化に帰属する人間まで、様々なスペクトルに分けられる。従って他者を志向する想像力は、自己と他者の間にあるこのような文化的隔たりを埋める試みとなる。想像力によって産生されたイメージを構成する内容は、自己と他者の属する文化の複合となろう。
■ヨコハマ港町物語ー開かれた国際都市・横浜にちなんで制作する作家たち
1)「横浜初めて物語」を紐解くヨコトリ伝道師が行く!
:タイ人作家ナウィン・ラワンチャイクンの作品作は、横浜に初めて伝来したもの事やそれにまつわる人々、場所に関して調査していく実地調査ともいえる計画。題して「ヨコハマサーラ」という、野外展示/イベント開催/新聞発行など複合的なコンテンツを持っている。野外展示では、汽車道の線路沿いにかつて実在していたかもしてないプラットフォームを再現し、その壇上にサーラ(タイ語で「寄合所」≫という小屋風のイベント空間を組み立てる。プラットフォームを再現しようという案は、横浜ー品川間を走った、日本初の鉄道について調べていく内に考えついたもの。「初めての鉄道が創設されたという記念すべき場所なのに、簡単に壊してしまうのが日本。みなとみらいのように全てを再生するのが好きだ。だからプラットフォームをもう一度取り戻そうと考えた」それが≪横浜初めて物語≫を作品にしようとした具体的な出発点。
寄合所「サーラ」の中には、書き割り風の看板画がいくつかの層のようになって展示される。看板画といえば、ナウィンのタイの映画宣伝用看板画がすぐに頭に浮かぶが、今回は写真草創期に流行った、白黒写真に後から彩色した天然カラー写真のタッチで描かれている。写真が初めて日本に紹介されたのも横浜から、この点も彼の≪初めて物語≫へのこだわりだろう。
今回ナウィンは、調査のために横浜在住の外国人や≪初めて物語≫に絡む人々に取材して回った。特に外国人から多く話を聞く事にしたのは、横浜が文明開化の発祥地として日本における国際化を担った期限であることを、作家なりに確かめようとしてからである。
今回ナウィンが出会った人々は、カンボジア/パキスタン/韓国/中国/インドネシア/フィリピン/ロシアなど驚くほど多国籍である。こんなに様々な文化背景をもった人々が身近に住んでいる事を始めて意識させられる。ナウィンから話を聞いて改めて感じたのは、いかに我々が異邦人と距離を置いて生活しているかという事。こんなに小さな島国に住んでいても、出会える人々はほんの少しだけ。日本のような情報化社会に住んでいながら、事実は伝わっていない。芸術を通して、ナウィンは現実社会を直接に我々に指示してみせた。それは、出会いを心から大切にして芸術に昇華していく作品ともいえる。ナウィンの芸術家の観察力/洞察力に関心してしまうしかなかった。
■タイプ別スーパー鑑賞ガイド
9)中国芸術の奥深さを理解したいー労働者の身体から、≪肉≫としての身体へ。カラダの見方で違いがわかる、芸術家たちの新旧世代
:中国の芸術を考える時、造る人がまず≪労働者の身体≫を持っている事を年頭に置いてみよう。そうすると、ツァイ・グオチャンがカンテラの明かりの下で世田谷美術館の横っ腹にせっせと穴を掘っている姿も、実に当たり前に見えてくる。ツァイさんの人のいい労働者風の眼差しや所作が多くのボランティアの思いを結集され、見事な計画に開花するという訳だ。ジャン・ホァンの裸体のパフォーマンスは、まさに身体だけが資本、身体がショーバイ道具、筋肉質の労働者だ。最近の作品は多くのエキストラを使うが、ジャン・ホァンがそうする事に何のイヤミもない。そこに労働者としての同等の肉体を示すからだろう。
確かに古い歴史を持つ中国は≪奥深い≫ものに感じるけれど、それは中国文化圏の日本もそう変わらない。それよりも決定的な違いは、全てが労働者だったという、身体に刻まれた記憶に求められる。
【身体を物化する新世代芸術家たち】
彼らはまず表層的な身体に疑問を示す。スン・ユエン+ベン・ユーの示す肉としての身体は、90年代以来この傾向の極北を示す。≪もの≫としての身体はそれ以外の全てをそぎ落とした形に他ならない.
シン・ダンウェンの最初の作品集≪中国人の眼で≫は、貧しい辺境の人々を他者の目で写し取る新世代の中国再発見だった。さらに異形への執着は東村の芸術家ジャン・ホァンやマ・リュウミンに向けられていく。そして≪私の性は女≫では男の視線を拒否した「女の目から見た女」を前面に押し出した。さて、NY以後はどんな作品になっているだろうか。ツァン・グオチャン/ジャン・ホァン/ホアン・ヨン・ピン/シン・ダンウェンといった海外在住組は、欧米の期待する中国からいかにはみ出すかが面白い。ホアンは巨大な魚を宙吊りにするらしい。ブツとしての魚と、魚を示す中国語の隠喩にある「農民の富への願望/男女の愛情/為政者/軍隊」との間にあるすさまじい隔たりが、楽しみ。
新世代のヤン・フードン/ウーエンシャンの映像芸術、どんな作品になるのだろう。ディン・イーの10年来変わらない最少量な作品も新たな見方が可能になる。
10)多文化な世界を飛び回りたいー世界と地方の反服する世界。国籍が民族が人種が宗教が消えつつ 現われるその狭間で、人々は美術に何を期待するのだろう
:国際化が進む現代美術の中では、国際性/原理主義性といったいわゆる多文化を意識した世界観を声高に語り合う機会が増えてきた。今回のヨコトリでも、こうした国際化の問題を読み取る事ができる。
そこで、美術の国際化とはいったい何かという問いになる。具体的には、西洋/非西洋といった二分化の図式では捉え切れなくなっている事、芸術家の活動する地域が母国ではない場所に増えている事、芸術家の国籍が移民/移住/国際結婚(その親族)によるパスポートの取得という事例によって複合的になっている事、国籍だけではなく民族/人種/宗教などの文化的背景を示す区別が多種多様になっている事など。こうした状況は冷戦以後、無境界/新植民地が加速的に発展し、対極する観念から多様化する価値観へと変容した社会環境のなかで成長の遂げているというのが事実である。また、情報の加速化/大量化や交通網の整備といった、高度通信技術社会がもたらした物質的変化も影響を与えている。
さて、ヨコトリの出品作家にはこうした多文化的といった文化的背景をもち合わせた芸術家たちが大勢いる。彼らの中には、国際的を積極的に取り入れて無国籍芸術を目指す作家や、海外での活動によって国民性や独創性の探求を求める作家など広範囲な活動が見られる。その活動は、政治的/歴史的背景を抜きに語られないものも少なくない。
【細分化が進む 多文化の多面体】
:アメリカンインディアンの活動家としても知られるジミー・ダーハムは、西洋中心社会によって抑圧されてきた少数民族の苦悩を代弁し、植民地化問題を痛烈に批判してきた。彼の作品は、言葉と視覚的表現によって歴史的課題と向き合っている。やはり先住民族を問題にして、アボリジニの立場から文化的・社会的側面を意識的に取り込んだ写真を制作しているデスティニー・ディーコンなどもいる。
しかし、一概に植民地支配を政治的な問題として捉える作家ばかりではなく、個人的な関係として捉え、自分の文化的背景を見直す事で存在証明の探求に結び付けていく作家もいる。アニタ・ドゥベはコロニアル・スタイルの家具一式の表面をホコリと塵で覆い隠して展示。母国インドの近代史を見つめ直し、自己体験や記憶といった自らの存在証明を模索していく。また、ジャクリーン・フレイザーは、針金やオーガンジーの布を使って平面的や展示を展開している。そこには、欧州の服装感覚とニュージーランドの先住民文化が混合する文化的交流への視点が見受けられる。
一方、アトゥール・ドディアのように、インドの神話と前衛文化などの現代社会の状況、あるいは家族の肖像や個人的イメージという二重性を、二重構造のシャッターによって表現している作家もいる。また、ヘリ・ドノのように伝統芸能や土着文化を直接に取り入れた作品で、独自のスタイルを確立しようとする作家もいる。
中国人の父とオーストラリア人の母を持ち、現在オランダで活動しているフィオナ・タン。複雑に絡んだ文化的背景を自らの中で消化するために、祖国/民族/人種といった区分けされた要素を、独自性の追求へとより強烈に転嫁させている、こうした作家もいる。ジュン・グエン・ハシシバは、ベトナム人の父と日本人の母を持ち、幼年期は日本、就学は米国、現在はベトナムで活動する多文化の申し子のような人物だが、西洋と東洋との関係を浮き彫りにする展示を制作している。
さらに、ガブリエル・オロッコやカティア・グェレロのように日常生活や作品制作の要因として自分の国民性を意識する作家も少なくなく、文化的・物理的な差異を中立に捉えている。
地理的側面からいえば、オラデーレ・アジボイエ・バンボイエ/ウィリアム・ケントリッジ/アデル・アブデスメッドの3人がアフリカ出身。ただし、だからと言って単純に同じくくりにはできないものの、彼らの作品から、アフリカに存在する言語/宗教/人種/政治/歴史が入り混った文化的背景の複雑さに着目する事はできる。
■タイプ別スーパー鑑賞ガイド
7)音の芸術で鼓膜をシビレさせたいー≪可視的なるもの≫と≪可聴的なるもの≫、二つが互いに交錯し、共振し、ついには、どちらがどちらか分らなくなるーそんな混乱状態に飛び込む事ができるだろうか?
:芸術と≪音≫との関わりは、とりわけデジタル技術の発展と共に日々、大胆な変容を遂げつつあるともいえるし、はるか昔から、基本的な構図は殆ど変わっていないともいえる。媒体や方法論が変換されても、それはつまる所≪可視的なるもの≫と≪可聴的なるもの≫の領域設定と、両者の交通/共振/融合/共闘の可能性(あるいは不可能性?)をどう考えるのか、という問題に還元されるからだ。
音は目では見えないし、絵画や彫刻を聴く事はできない。これは自明の事であり、そのような事を可能にするのは、ただ個別的で恣意的な想像力だけだ。ならば、その想像力を喚起=操作するような仕組みを造ったらいいという考え方はもちろんあって、それらは音響芸術や媒体芸術の一つの流れになってもいる。しかし、それは要するに、一種の幻想なのだという事は認めておかなくてはならない。
あるいはもっと単純に、我々は世界や事物に対峙する際に目と耳を同時に使っているのだから、片方しかないのがそもそもおかしいのだ、という主張もあり、見て聴いて感じる事の足し算で成立する試みも多々存在している訳だが、これはしかし、だとすればいわゆる五感の内でこの二つだけを優遇しすぎてやいまいか?という素朴な疑問も生じてくる。
しかるに、音響視覚などという、いかにもあいまいな宣伝文句に惑わされる事もなく、≪可視的なるもの≫が≪可聴的なるもの≫を、是が非でも必要としていく過程や、それらへと一気に突破していく契機、あるいはその二つが互いに反転し合い、遂にはどちらかどちらなのかさえ分からなくなる(しかも幻想抜きで!)ような魅惑的な混乱を、しかと見据え=聴き入っていく必要がある。両者の出会いは、実のところ、そんなに簡単な事ではないのだから。
【音楽の歴史性/非歴史性 メタ・メディアの意味論】
今回のヨコトリにおいて、日本から≪音≫に関わる作品を出品する芸術家は4名ー問題意識を照し合せてみるから、たった4名でありながら、この組み合わせによって極めて広範かつ多方面的な、≪可視的なるもの≫と≪可聴的なるもの≫の交錯への問いかけが為されている事に気付かされる。
8)分野を横断する複合世代に注目したいー服装やアニメ/映画/インテリア・・・ファイン芸術と若者文化の領域を行き来する新世代の発想は新しい刺激が一杯だ。
:「パリでは服装編集の世代交代より、学芸員の方が回転が速いと思うわ。新しいの時代の芸術を読み解く感性と世代は、切り離せないものとして取られているのよね」と語ったのは、服装や芸術を縦横無尽に扱う≪パープル≫誌の編集長であり、学芸員としても活躍するエレン・フライスだ。学芸員として彼女が頭角を現したのは、パリ市近代美術館で1994年春に行った≪イベール・ダムール≫点だった。美術館に入ってすぐ、デュフィの壁画の大広間には写真家ヴォルフガンク・ティルマンスが選曲したテクノ音楽が鳴り響き、ヴィクトール&ロルフの服やマルタン・マルジュラを現代美術と同列に配置する。雑誌のように編集されたカタログが美術館で売られた事自体も、新鮮だった。
確かに、フランスでは、30代前半の学芸員の活躍が華やかに目をひき、良くも悪くも議論を呼ぶ力を持つ。
それでは、ヨコトリに参加する作家たちを一望する時にも、分野という縦軸を捨て、世代という横軸をあえて持ち出してみてはどうか。ここに集まった60年代半ば~70年代前半生まれの作家たちは、内容に差はあれ、そうした試みー一つの分野におさまりきらず、あえて柔軟に、縦横無尽に横断するーを≪言われるまでもなく、当然の事として≫行っている。この世代の人間なら当然、興味を抱く対象と素直に向き合う姿勢は、我々の生活感覚の基調をなすものだ。
ドミニク・ゴンザレス=フェルステルは、映画/旅/室内意匠/音楽など芸術の外へと飛翔する自らの好奇心を、最終的に自らの芸術空間へと見事に還元させる展示を行なう。服装界の異端児ヴィクトール&ロルフは、≪芸術と服装のつながり≫が喧々諤々の90年代後半の全てに先駆けて、誰より早く95年、パリコレ週間中、ショーではなく画廊での展示を行っていた。
こうして振り返れば、芸術にしろ服装にしろ≪初めて≫はいつまでも新鮮で、どこまでも古びない。
ー今年は不活発で、特に
【英英文シンガポール文化都市報告書翻訳】
【美術手帖「ヨコハマトリエンナーレ2001」特集】
の、長期連載もの停止状況が続いているのは本当にすいませんでした。
来年引き続き、Yahooブログ中心になってしまいますが、横濱芸術関係記事をあげていきたいと思っています。
なかなかヨコトリサポーター向講座ものが紹介しにくいのが続いたので、足で探してドンドンあげようかと思います。
来年、のれん分けしたのに、すっかり軸になってしまったYahooブログもよろしくお願いします。
≪原稿なしで書いていますので、筆足らずでしたらすいません≫
ーyahooブログマイページにある【今日の運勢】で
『ブログメインタイトル変更するといいかも』
とあったので、大幅変更しました。
随分バタバタ出ないよう前よりわからないような、メインタイトルになってしまいましたが今後もよろしくお願いします。
■横浜生まれの輸出攻撃
ー≪収集品から、横浜の魅力を伝える~収集品から歴史を見つける~:それがどのように造られたかを発見するのが、楽しみ。
箱根の寄せ木細工ーおみやげ物と思われているが、欧州輸出用に大型家具がある。その事は、日本では全く知られず逆にウソと言われてしまう。
横浜にも島山細工という技術があるー寄せ木細工は、静岡が作で江戸初期、余り木と漆器をうまく合わせたものであった。漆器は静岡が名産ー輸出用に宝石入れといったのを生産。
横浜開港直後は、静岡で生産していたが横浜に職人が集り、静岡と会津で横浜が間に合わない時の調達先となった。
近代、モースなどの欧米人が来日して箱根・日光で購入―横浜にも、当時かま元が40もあって、サムライ商店など日本的なものを造っていた―明治中期、横浜に全国から職人が集ったのは、納品作で製造した方が運搬負担軽減になるからである。
こうした傾向は、幕末期、横浜で(寄せ木は)売られているのを欧米人が見て欲しがったのが初めーそれと共に、日本風俗が描かれたアルバム表紙や壁かけいたと広まってきた。
25日、横浜文化都市センターでありましたー
=記録からみるヨコトリ2014=
◎加藤健氏(写真家:記録写真撮影)
ー3年前の1回目記者会見から、
クィーンズでのFMヨコ:ヨコトリ紹介番組用公開録音でのチラシ配布/マークイズのスタンプラリー(人気あったので驚いた)/国際討論会ー
と写真を撮っていると、スタンプラリーなどサポーターと一緒にいると、
「何のイベントですか?」
と聞かれるーヨコトリは地味だけど、人々に広めている。
写真は、その時の風景/様子を残す媒体―図録にはない、舞台装置/作家同志の交流やヨコトリ開始前の様子、作品設置/会場内部様子ー準備中がワクワク感があって、一番好き。撮っていると、何でも撮りたくなる。忘れてしまっても、写真整理していると思い出す。
ヨコトリ開始―内覧会/ヨコトリ子ども探検隊(中学生が小学生にガイドしていく)、10月になるとヨコトリ終了近くにつれて、人が増えていった。
◎ヨコトリサポーター:フリペ制作チーム長
ー元々、ヨコトリの魅力/サポーター活動/横浜見どころを、サポーター/芸術好きな人中心に発信を目的にしていた。
マークイズの200日前カウントダウンいペンと参加者は、そこでの催し物では最大と言われる420組だったとの事。
◎津田道子氏(映像作家:記録映像制作)
≪会場準備から、最終日イベントまでの映像鑑賞≫
■討論会「記録からみるヨコトリ2014」
上記3名+進行:上野正也氏(ヨコトリ事務局調整役)
加「フリペの写真はサポーターによるもの―その場にいる人によるものが大事。動画による良さ」
フ「プロによるものだと、美しく見える―写真だと懐かしくなるが、動画だとその時がよみがえりそこにいるように感じる」
津「サポーターもカッコよいのでよく撮れた。写真も解説付だと違ってみえる」
上「媒体は違うも、その場にいるライブと記録残すは、真逆」
津「編集時、撮ったものから全体のバランスを考える。撮った分、全て見て編集」
上「見た人がその場にいるように感じる」
津「臨場感高めるために、カメラ/マイクを色々と配置するー組み立てをしてから、現場入り」
加「依頼の時はその人が望んだのをやってから、自分が撮りたいのを追っていく」
上「フリペは、サポーターの素顔」
フ「フリペは捨てられ覚悟―全て、保存して確認できる」
上「これからのサポーター的活動は?」
加「整理は、生々しい時にすぐやる―何回もやって厳選していく」
フ「保存関連チーム/ゼミも整理で止まっているー第三者的目線なので、参加者としては辛い」
津「とりながら編集した事もある」