月刊ボンジョルノ

ほとんどツイートの転載です。

(問)酔っ払うと甘いものが食べたくなるのは

2007-01-30 | Weblog
「外国に行くと食事が合わなくて困る」という方がいらっしゃるが、あれは単なる気のもちようなのか、体質によるものなのか。
明らかに衛生的に問題のあるものだとか、あるいは昆虫・猿などのいわゆるゲテモノを除けば、不肖私は大抵の国のごはんを平然と食べて暮らしていける自信がある。うまいまずいは別にして。
「土地の人が食っているのだから食えないはずがない」「土地の人の食っているものが一番人間の体に合っていてうまいはずだ」という頑迷な思い込みが、身体的な反応に先行しているのだと思う。ま、単に胃腸が丈夫なだけかもしれぬが。
だから海外に行ってメシが食えないのなんのとぐずぐず言っているのは単なる気のもちように違いないと思っていて、そういう話を聞くと「けっ、尻腰のねえ野郎だ」と不機嫌になるし、現にたいていそういう人は異文化への対応能力が全般的に低く、知的好奇心にも乏しい詰まらないやつであるように思う。「口に合わない」なぞというと味覚が鋭いように聞こえるが、逆にきっと味覚にも鈍感というか、感知ゾーンがものすごく狭くて、まずいものがどれほどどういう風にまずいかが分析できないのに違いない。
だって初めての味のもの食べるのって嬉しいですよねえ。
まずけりゃまずいで「うわあ、なんでこんなまずいんだこれ。この辺のやつらはこんなまずいもん毎日平気で食ってんのかね」って気分が盛り上がるしね。

しかし滞在先がイタリアだと「おいしいもの食べられてうらやましいですね」とは言われても「食べ物が大変でしょう」と言われたことは一度もなかった。
実際そのとおりだったのだが、あえて唯一贅沢な不満を洩らすとすれば、スイーツ(笑)である。
あれほどうまいもの好きのイタリア人がな、なぜ…というぐらい、お菓子の味は単調である。ひたすら甘い。コメカミが痛くなるぐらい甘い。あ、ジェラートだけは別よ。
レストランのメニューにはズコット、ティラミス、ズッパ・イングレーゼなどの華やかなデザートが並んでいるが、量がハンパでなく多いのはともかくとして(どれも子供の頭ぐらい出てくる)、たいてい砂糖が多すぎて日本のイタリア料理屋で食べるような芳香や繊細な味わいが台無しになっている。
そしてそもそも町では「ケーキ屋さん」というものをほとんど見ない。
チョコやキャンディやクッキーを売っているお菓子屋さんはあるのだが、日本のどんな田舎にもあるあの普通の「ケーキ」が食べられないのである。
パリで食べた繊細なスイーツの数々を思うにつけ、甘味に恵まれないのはちょっと哀しかった。
でもケーキよりももっと食べたかったのは「甘い小豆」である。
フィレンツェ人は「豆食い」の仇名をもつくらい豆をよく食うが、普通はトマト味で煮込むか、塩茹でしてオリーブオイルをかけて食うのであって、甘い豆というものは存在しない。
羊羹、薄皮饅頭、甘納豆、ぜんざい、そのテのものが食べたくて困った。
日本からのお土産で虎屋の羊羹をいただいた時は、日本では単調なベタ甘の代名詞とされている羊羹がこんなにも香り高いエレガントな菓子であったかとその奥ゆかしい甘味とねっとりした舌触りに陶然とした。
あのときに懐中しるこがあったらもっと生活が豊かになったのに、と思う。
大家のパオロに食べさせてみるのも面白かったかもしれない。

というわけで、コメントありがとうございました。
明治出来なのかどうか知りませんが、「懐中」ってネーミングが素敵ですよね。