なぎのあとさき

日記です。

其の六 金曜日

2005年09月02日 | ビーに降る愛の歌 2002

 猛暑続く。朝は家の周り半径100mでビーを探し、世田谷観音でビーの無事を祈った。
 なるべく早い時間に保健所に問い合わせてくれるよう、Tに頼んでから仕事に行った。Cも問い合わせてくれるといっていたけれど、Cは何時に起きるかわからない。問い合わせると決めたら、なるべく早くしたいと思ったけれど、自分で問い合わせる勇気はどうしたってなくて、自分がどれだけ弱い人間なのか思い知った。
 仕事の途中でTから電話があった。
「保健所って区役所の中にあって、聞いてみたけど、ビーに似た猫は保護されてないって」「そう」「週1くらいしたらまた問い合わせてみてって」「そう」。
その後にCからも電話があった。「今電話したら、区役所の人が同じような問い合わせがTくんからあったって聞いて」「そうなの、問い合わせてもらったの。ありがとうね」「Tくんも動いてるならよかった」「うん」

 仕事中に手があくと、家の周辺の地図を見ながら学校や寺社などの公共施設をリストアップして、電話番号を調べておいた。明日は土曜なので、片っ端から電話をかけてビーを見かけた人がいないか聞いてみるつもりだった。

 仕事の後で迎えに行くよ、とCからメールが来た。
Cは凄みのある美人で気も強くて、同居している姑にも怖がられている。校了の度に痩せこけて青白くなってしまうTより頼もしい感じがあって、一緒にいるだけで安心できるので、今は常に傍に居て欲しいくらいだけれど、今日は一人で家に帰ることにした。Cは旦那の家族と同居していて、家族の面倒を見るのが主婦であるCの仕事で、あまり邪魔をするわけにもいかない。

 家に帰り、一通り家の周りを見回ってから、今日リストアップした公共施設の一つで、家から一番近い場所にある小学校へ行き、守衛を呼び出した。茶髪でロングヘアの男が玄関から出てきた。
「あの、近所に住んでいる者ですが、猫が家出しまして、敷地内を探させて欲しいのですが」
「いいですよ。この辺、夜になると猫、いっぱいいますよ。どんな猫ですか?」
「こげ茶色のサバトラです」
「一緒に探しましょうか?」
「いいんです。知らない人がいるとかえって出てこないと思いますので。ありがとうございます」
「じゃあ、探し終わったら後でまた自分呼んでください」
「はい。失礼します」
 学校の中を、くまなく探した。学校の中は猫が潜んでいそうな茂みや物陰が多い。探している間は、あの植え込みにきっとビーがいる、この小屋の裏にきっといる、と期待が途切れないので、息ぐるしさを感じずにすんだ。茶色っぽい猫がいたので「ビー?」といいながら近づくと、ビーより一回り小さい猫だった。「見かけたら、よろしくね」
 また、ずっと気になっていた猫の水飲み場になりそうな場所も、学校の中で見ることができた。池、貯水槽、プール。
 再び門に戻り、守衛を呼んだ。
「ありがとうございました」「いませんでした?」「はい、残念ながら。もし見かけたら、連絡していただけますでしょうか」「わかりました」「私のケータイ番号です」
 ビーについてひとしきり説明してから家に戻った。

 家に戻ると、母から電話があって、「ビーがいなくなっ」までいって泣いた。
「困った猫ねえ~。でも猫なんだから、家出くらいするわよ。よくあることじゃない」
 ほかの誰かに、こんなありきたりな台詞で片付けられたら、その人と一生口をききたくないと思うところだが、母なので別に構わなかった。母には最初から何かを期待しているわけではなく、ただ話を聞いてもらえばよかった。
「もう苦しくて苦しくて、自分つねったりしてるの」
「バカね、やめなさい」
「だって心配で、心配で、どこにいるかわかんないし」
 嗚咽しながら泣きじゃくっている間、
「帰ってくるといいけどねえ」「困ったわね~」「ビーはろくなことしないわね~」と母はぶつぶついった。電話口ではなく、母の膝の上で泣きたいと思った。ひとしきり泣き言を言って電話を切り、一人で声をあげて泣いた。

 ビーがいなくなってから、ビーがいない寂しさと、ビーが心配な気持ちのブレンド具合が一瞬ごとに変わり、一瞬ごとに違う新鮮な苦しさがおそいかかる。その度に自分の太ももをぎゅっとつねり、「ビーは元気でやってる」と3回となえ、ボブ・マーリィの歌を歌った。人が周りにいるときは、頭の中で歌った。
 家にいる時一番歌った曲は『Sun is shining』。

Sun is shining,the weather is sweet.

 梅雨の間にこの曲を覚えていたときは、ねっとり暗いメロディーが、晴れやかな歌詞と合っていないと思ったけれど、肌と空気の境界が曖昧になって、頭の中が朦朧とする猛暑になると、これほどしっくりくる詩もメロディーもほかにはないと思った。

To the rescure, here I am!
want you to know ya,here I stand!

 救いのため、俺はここにいる。知って欲しい、俺がここにいるとを。

 すべての民に向けてボブが歌ったこの曲を、私はビーのために歌った。
 犬や猫は、離れていても飼い主の気持ちを察知すると聞いたことがある。外出から帰ったとき、玄関の前で犬や猫が飼い主を待ち構えているのは、飼い主が外で「家に帰ろう」と思った瞬間から待っているのだと聞いたことがある。その根拠までは覚えていないけれど、言葉を話さない猫が、言葉以外のコミュニケーション能力が発達していても不思議ではない。猫同士の集会で、猫たちが黙ってじっとしている時も、言葉以外の何かが通いあっているはずだ。
 離れていても、気持ちがビーに届いていることを信じて、ボブの歌を歌い続けた。
猫にわかりやすいように、〝To the rescure〟のところではビーの好きな青身魚の煮たのや、豊かな水、静かな寝床、私自身の姿をイメージし、〝here I am〟のところでは、うちのアパートの外観や中をイメージして歌った。強いテレパシーを送るために、〝here〟の部分は特に集中して力を込めた。もともとビーのことしか考えられない状況なので、クリアなイメージをこれ以上ない集中力でビーに送っている確信があった。ビーがどこかで私の送るテレパシーを感じ取り、私を探していることを何度かイメージするうちに、ビーも私を探している、というイメージもリアルに見えてきて、確信に近づいていた。

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