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「主の死を思い、復活をたたえよう」の挿入句はミサの意味を根底から変える概念の導入句

2016-01-20 | 典礼 ノブスオルド
C: We proclaim your Death, O Lord, and profess your Resurrection until you come again.

司祭は「信仰の神秘」と大声で歌うか唱えるかすると信徒が答える。「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで。」命じられたように、イエスの記念として、イエスがいわれたとおりに行なっている。司祭はさらに続ける。「わたしたちはいま、主イエスの死と復活の記念を行い、ここであなたに奉仕できることを感謝し、いのちのパンと救いの杯をささげます」
http://www.pauline.or.jp/yamamoto/yamamoto_54.php

典礼において教会が執り行う祝祭は、主として、この過越の神秘である。なぜなら、キリストは過越の神秘によってわたしたちの救いのみ業を全うされたからである」(カテキズムN.1067)。
 さらに『カトリック教会のカテキズム』は、キリストの神秘を記念する典礼が信者に何をもたらすかを解説する。
 「教会が典礼において宣言し記念するキリストの神秘は、信者たちがこれによって生き、これを世に証しするためでる。≪事実、典礼によって、特に聖体の神聖なる犠牲において『われらの贖いの業が行われる』ものであるから、典礼は信者が、キリストの神秘と真の教会の本来の性格とを、生活をもって表し、他の人々にも示すために大いに役立つものである≫(典礼憲章2)」(カテキズムN.1068)。
 要するに、聖体祭儀(ミサ)を中心とする教会の典礼は、秘跡的にではあるが、キリスト信者が主キリストにじかに出会い、その神秘にあずかる最高の機会なのである。換言すれば、教会とはキリストご自身に触れて生きる共同体である。

(註3) キリストの神秘の中心であり頂点である「キリストの死と復活の神秘」はラテン語ではMysterium Paschale、通常「過越の神秘」と訳されるが、これを「過越の秘義」あるいは「復活秘義」と翻訳する向きもある。
http://mr826.net/psi/blog/141201

「教会」でパンを割きともに食し、キリストの十字架上の死と復活(過ぎ越しの神秘)を記念してきました。これがミサの原型です。
http://www.catholic-shibuya-church.net/mass/mass.html

 わたしたちに影響を残しているのは中世以降の考え方で、まずパンとぶどう酒がキリストの体と血に変わる変化、正確には実体変化に強調点をおきます。日本の教会では聖変化と呼びますが、この呼び方はヨーロッパでは使われずたぶん漢字圏だけで使われる呼び方です。この変化で何が大事かというと、ご聖体におけるキリストの現存、そこにおられるキリストは礼拝の対象である、そこで捧げられるミサは、カルワリオのいけにえ、犠牲の再現であるということが非常に強調されました。
 ただ、強調点がこれだけでは足りないのです。
<略>
 バチカン公会議の前までは、カトリックは聖変化、キリストの現存、ミサがいけにえであるということを強調しました。それはそのとおりでありますが、それ以外にもこんなに豊かなものがあるのを忘れてしまいました。共同体の大切さ、共同体の信仰の大切さは、トリエント公会議のいろいろな規定よりも かに古い、例えば第二奉献文の源は215年にできたのですが、初代教会から教会がずっと祈っているこの賛美と感謝の祈りの中にエウカリスチア、聖体とは何かが一番よく表されていると思います。大事なのはパンとぶどう酒の変化ではなく、それを土台とした共同体の変化であるということで、神様は一方的になさらずわたしたちの信仰の答えが必要です。我々共同体の信仰が強ければ強いほど、キリストの死と復活の神秘がもっと力強く働くことができるのです。
 ですからミサは司祭が捧げるのではなく、共同体が捧げるのであり司祭もその共同体のミサに司式者として参加します。そのほかに朗読者、侍者、先唱、オルガン、共同祈願、会衆の役割がありそれぞれがその役割を果たし、それで一つの共同体の一つのミサとなります。決して一人の司祭のミサではありません。共同体のミサなのです。
http://www.geocities.jp/fujisawa_church/shiryo/eucharist.htm

2 コメント

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いつも拝見しています (john)
2016-01-21 00:21:22
いつも拝見しております。
カトリック教会の信徒です。おかげさまで、いろいろなことを知ることが出来ます。
現在、本当にキリストの建てられた教会が壊れていくようで・・・。秋田における聖母マリア様の言葉が現実になっており、教会の、信徒の信仰が壊れていく怖さを感じています。読みこなせていない部分も多々ありますが学んで行く所存です。
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いつも拝見しています (john)
2016-01-21 00:22:40
いつも拝見しております。
カトリック教会の信徒です。おかげさまで、いろいろなことを知ることが出来ます。
現在、本当にキリストの建てられた教会が壊れていくようで・・・。秋田における聖母マリア様の言葉が現実になっており、教会の、信徒の信仰が壊れていく怖さを感じています。読みこなせていない部分も多々ありますが学んで行く所存です。
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