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教外者の単性論者を教会博士に! 認めたらカルケドン信条を拒むことになる仕掛けなので良い子は注意

2015-02-27 | 教理
http://ja.radiovaticana.va/news/2015/02/21/%E3%83%8A%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%81%AE%E8%81%96%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%80%81%E3%80%8C%E6%95%99%E4%BC%9A%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%80%8D%E3%81%AB/1125448

アルメニア使徒教会の人
Saint Gregory of Narek (Armenian: Գրիգոր Նարեկացի Grigor Narekatsi; 951 – 1003) was an Armenian monk, poet, mystical philosopher, theologian and saint of the Armenian Apostolic Church
http://en.wikipedia.org/wiki/Gregory_of_Narek

アルメニア使徒教会
(アルメニア語: Հայ Առաքելական Եկեղեցի, ラテン文字転写: Hay Arakelagan Yegeghetzi, 英語: Armenian Apostolic Church)はアルメニア、ならびに世界各地にあるアルメニア人コミュニティで信仰されているキリスト教・非カルケドン派の教会。約500万人の信者を擁する。使徒教会の名は、伝承に十二使徒がアルメニアにキリスト教を伝えたとあることに由来する。アルメニア正教会(Armenian Orthodox Church)とも呼ばれる。ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白するが、カルケドン信条を告白しない。カルケドン公会議の後、506年に正統教義信仰を奉ずる他の教会から分離独立した。

単性説(たんせいせつ、Monophysitism)あるいは単性論(たんせいろん)とは、キリスト論において用いられたキリスト教用語で、受肉したイエス・キリストが単一の性(natura)のみを有するいう説・論。"Monophysitism"の語源はギリシャ語で1つを意味する「mono」と本性を意味する「Physis」という言葉である。カルケドン公会議で採択された、キリストは神性と人性という二つの本性を持つという立場(両性説)によって否定された立場である[1]。
非カルケドン派
シリア正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、エチオピア正教会などは単性論教会とされる事がある。しかし、これらの教会はエウテュケス主義のみを「単性論」と捉え、自派の一性論(合性論)を単性論とは看做さず、単性論教会と分類されることを拒絶・否定している[4]。
カルケドン公会議を否定して生じた派であることから、前記の諸教会のことを非カルケドン派(Non-Calchaedon Churchs)ともいう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E6%80%A7%E8%AA%AC


単性論は、ちょっと(いっそう?)ややこしいです。ネストリウス派を嫌ったエウテュケスは、

(a). イエスは、ひとつの人格の中に、神と人間というふたつの性質を同時に持っている。
(b). なら、どうやって? → マリヤから生まれたとき、ふたつの性質が融合した。

と主張しました。ところが、いろいろあって、エウテュケス自身がカルケドン公会議で異端認定されていまいます。会議での公式見解は「イエスの神性と人性は融合せず、区別される」という二性論(両性論)でした。イエスの神性と人性は、分離されずに一つの人格の中に収められているが、しかし区別はされる、というものです。

ところが、この公式見解にアルメニア、シリア、エチオピアなどの正教会が反対します。誤解しないでほしいのは、これらの教会もエウテュケスの主張には反対なのです。彼らは「イエスの神性と人性は融合せず、しかし区別もされず、二つの性質が一体化している」と主張します。この、二性論と単性論の中間の説を一性論(合性論)と呼びます。

カルケドン公会議(カルケドンこうかいぎ)は451年10月8日から11月1日まで、小アジアのビティニアの都市カルケドン(コンスタンティノポリスの対岸、現在のトルコ共和国イスタンブル市のアジア側にあるカドゥキョイ地区)において行われたキリスト教の公会議。東ローマ皇帝マルキアヌス(Marcianus)によって召集され、議長はコンスタンディヌーポリ総主教のアナトリオス(Anatolios)が務めた。キリストに神性と人性の両方があることを確認。正教会の一員たる日本ハリストス正教会では第四全地公会ともいう。
経緯[編集]
カルケドン公会議において第一の議題は単性論の排斥であり、両性説といわれる説を採用した。それはキリストの人性は神性に吸収されてしまったのではなく、その二つの本性を、混合することも分かれることもなく、唯一の位格の中に有するという思想である。
また公会議ではネストリオス派も改めて排斥された。10月8日に単性論を採用したエフェソス強盗会議の議長であったアレクサンドリア総主教ディオスコロス(Dioscoros)が被告とされた。10月13日の第3回総会では、原ニカイア信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条と、ローマ教皇レオ1世(Leo I)がコンスタンディヌーポリ総主教フラヴィアノス(Flavianos)に宛てた書簡が朗読された[1]。そして、レオ1世の書簡に基づいて23人の司教により起草されたカルケドン信条が10月22日第5回の総会で定められた[2]。

カルケドン信条
われわれはみな、教父たちに従って、心を一つにして、次のように考え、宣言する。
われわれの主イエス・キリストは唯一・同一の子である。同じかたが神性において完全であり、この同じかたが人間性においても完全である。
同じかたが真の神であり、同時に理性的霊魂と肉体とからなる真の人間である。
同じかたが神性において父と同一本質のものであるとともに、人間性においてわれわれと同一本質のものである。「罪のほかはすべてにおいてわれわれと同じである」[1]
神性においては、この世の前に父から生まれたが、この同じかたが、人間性においては終わりの時代に、われわれのため、われわれの救いのために、神の母[2]、処女マリアから生まれた。
彼は、唯一・同一のキリスト、主、ひとり子として、
二つの本性において混ぜ合わされることなく、変化することなく、分割されることなく、引き離されることなく知られるかたである。
子の結合によって二つの本性の差異が取り去られるのではなく、むしろ各々の本性の特質は保持され、
唯一の位格[3]、唯一の自立存在[4]に共存している。
彼は二つの位格に分けられたり、分割されたりはせず、
唯一・同一のひとり子、神、ことば、イエス・キリストである。

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