カトリック情報

katorikku jyohou

概念の変更 「いけにえ」から「記念」「食卓」「信徒の交わり」および聖体賛美の廃止へ

2016-02-29 | 本 有害指定図書
・・・ミサの犠牲の性格ということが強調されていたからです。司祭は信者を代表して、そこでキリストの犠牲を執り行う、というふうに考えられていました。
・・・けれども、第二ヴァティカン公会議以降、カトリック教会の典礼はまったく新しいものに刷新されました。・・・・ミサの犠牲の性格と合わせて、食事の性格が強調されるようになりました。祭壇は聖堂のまん中に設置され、司祭と会衆がこれを一つに囲むように変えられました。現代のカトリック教会のミサは、祭壇を食卓として皆が囲む姿を表わしています。p86

・・・ともに食卓を囲む人々の交わりということも、ミサの本質に属するものです。p87

・・・プロテスタントの教会では少し違う考え方をします。主の晩餐をとり行うという、その行為をキリスト臨在のシンボルとして重視しますから、パンそれ自体を礼拝の対象にしません。極端に言えば、聖餐式が終われば、余ったパンは捨ててしまってもよい、ということになります。p95

・・・私たちはプロテスタントの聖餐理解から、やはり大切な真理を学びます。聖体への信仰が、聖体をあまりにも即物的に、聖餐式から切り離して、それだけで独立した礼拝の対象にするとすれば、それはやはり偏りと言わざるをえません。・・・昔のカトリックの典礼の中で、聖体賛美式とか聖体行列とかが、ミサとは別に盛大に行われたのは、それぞれ歴史の中の特別な発展過程に由来するのですが、あたかも聖体の礼拝が一番中心で、ミサはその聖体を準備するものであるかのように考えるとすれば、それは行き過ぎと言わざるをえません。p96

百瀬文晃『キリストとその教会』

According to the Cardinal, Freemasonry’s first objective at the Council was to break the Mass by so altering the Catholic Rite as to undermine in the long run the celebrant’s Catholic Intention: “to do what the Church does.” Gradually the Newrite was to induce priests and laity alike to take the Mass rather for a “memorial” or “sacred meal” than for a propitiatory sacrifice.

http://stmarcelinitiative.com/bishops-valid-ii/

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。