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教皇全否定のセデバカ(教皇空位論)と全肯定のパピスト(教皇盲信論)の両極は同じ二分法の思考回路

2016-11-23 | 伝統派

誤った二分法(あやまったにぶんほう、: false dichotomy)あるいは誤ったジレンマ(英: false dilemma)は非論理的誤謬の一種であり、実際には他にも選択肢があるのに、二つの選択肢だけしか考慮しない状況を指す。密接に関連する概念として、ある範囲の選択肢があるのにそのうちの両極端しか考えないという場合もあり、これを白黒思考 (black-and-white thinking) などと呼ぶ。なお "dilemma" の先頭の "di" は「2」を意味する。2つより多い選択肢の一覧が示され、その一覧以外の選択肢が存在するのに考慮しない場合、これを誤った選択の誤謬 (fallacy of false choice) または網羅的仮説の誤謬 (fallacy of exhaustive hypotheses) と呼ぶ。

誤った二分法は、特に選択を相手に強いるような状況で生じる(「お前が俺たちの仲間にならないなら、お前は敵だ」)。また、希望的観測や単なる無知によって選択肢を網羅できないために発生することもあり、詭弁とは限らない(「友達だと思っていたのに、昨日の晩はみんな来てくれたのに、お前だけ来なかった」)。

2つの選択肢が提示されたとき、それらは様々な選択肢の両極端であることが多い(常にそうとは限らない)。これは、選択肢が相互に相容れないものだという印象を与え(本当はそうではないかもしれない)、より大きな主張を信じさせる効果をもたらす。さらに選択肢は網羅的であるかのように提示されるが、他の可能性を考えたり、ファジィ論理のように可能性のスペクトル全体を考慮することで、誤謬だと指摘できるか、少なくとも効果を弱めることができる。

白黒思考[ソースを編集]

白黒思考 (black-and-white thinking) は誤った二分法の典型的形態である。例えば、物事がうまく行っているうちは無条件の楽天主義で、初めて挫折したときに全くの悲観主義に陥るといったことがよくある。また、他人を「いい人」と「悪い人」に無意識のうちに分類するなどといった傾向もこれに当たる[3]

 Falsus in uno, falsus in omnibus[ソースを編集]

 これはラテン語の格言で「1つにおいて誤りならば、全てについて誤りである」という意味である。誰かがある問題を間違ったとき、他の問題も間違うだろうという意味で使われる。一般にある面で能力が欠けていても、あらゆる面で無能ということは言えないので、これは誤謬である。これは人身攻撃の一種であり、関連性の誤謬の特殊ケースでもある。

 他に選択肢はない[ソースを編集]

 他に選択肢はないという主張は、両極端だけを選択肢とする誤った二分法の例である。その場合、選択肢はそう主張する人の提案だけにしぼられる。もちろんその話者は他の選択肢がないと信じているわけではなく、それについて議論したくないというだけのことが多い。代替案に反対するというよりも、代替案の存在そのものを否定することでそれらを無効化しようとする。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%8C%E5%88%86%E6%B3%95


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