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日露戦争と共産主義によるロシア正教崩壊と暴力革命は他人事ではないとピオ10世が立ち上がったので第二バチカン公会議でソフト崩壊するまで教会は延命した

2020-12-28 | 教皇

Q : カトリック教会の言説は第二ヴァティカン公会議以来変わってきています。そのことをヴィガノ師はある手紙の中で、第二ヴァティカン公会議こそが、今の危機を招いた「癌」であると告発しています。新型コロナウィルス感染症もその危機に含まれています。

A : 伝統主義者、教条主義者によれば、 第二ヴァティカン公会議によって、教会の一部が近代主義に迎合し、悪魔の影響下にあると言います。これは1907年以来ピウス十世が、教会内に浸透した近代主義を告発したことをけいしょうしたものです。ヴァティカンの内部で、一部のカトリックが教会に反する活動をしているという不安の種がまかれました。陰で活動していたその一派が表に出で権力を握ったのが第二ヴァティカン公会議だというわけです。

Sekko : せっかくレオ13世が、中道左派的な階級協調を唱えたのに、マルクス主義が1905年の血の日曜日事件というロシア第一革命という形で現実に可視化されたことで、ピウス十世はショックを受けたのかもしれない。レオ13世の逝去後すぐに日露戦争があった。血の日曜日はその最中の出来事だ。非キリスト教文化圏の日本との戦いでロシア正教世界が崩れていくのをカトリック教会が脅威に思ったとしても不思議ではない。もちろん当時のイタリア社会党の進出もある。イタリア社会党が後に共産党に吸収されていくように、ピウス十世は、カトリック教会の危機を実感した。本来なら、カトリックという「普遍」教会も、マルクス主義も、資本家による支配構造や帝国主義に対抗する同じ方向を目指していたはずなのに、ロシア革命につながる流れがカトリック教会の恐れを助長していった。  (続く)

L'art de croire             竹下節子ブログ

 


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