喜多圭介のブログ

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図書館の白い猫32

2008-09-03 23:58:41 | 図書館の白い猫
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 かねてより病院で息を引き取りたくないと考えているぼくは、気力・体力のあるうちに死に方と場所を考察していなければならない。当然それはしてある。『断崖に立つ女』では二人の男を断崖絶壁から投身させたが、あれは小説だからやれることで、落下して岩礁に激突した自分を想像すると痛いだろうなとか顔面が尖った岩礁で潰れるのではないかと思うだけで、ああいう死に方はとんでもないことだ。なによりぼくは高所恐怖症だから高いところに端に立つだけで眼が眩むのである。よく夢の中で落下することがあるが、あのときの恐怖感は他のどんな恐怖とも比べようがない。

 川端の唐突なガス自殺も文藝評論家江藤淳の脳梗塞のために自宅浴室で剃刀を用い、手首を切って自殺したのも、ぼくには準備不足に思えてしかたがない。江藤は遺書に〈形骸を断ず〉と遺したが、こんなものは遺すべきでなかった。死人は形骸をどうすることもできない。ある種の格好良さを演じてきたのが江藤の業績かもしれない。

 平安末期の西行は諸国を行脚した末に大往生した。俳聖松尾芭蕉は旅の途上で息を引き取った。無名が晩年に四国八十八箇所巡りを繰り返し、その途上で野垂れ死にした無縁仏も多い。ぼくはこうした死に方が男の死に方のように思える。だから男には死ぬ前段階として旅がなければならない。ぼくの場合、それが京都市中行脚のように思えるのである。

 タマと京都市中行脚というのも悪くはない。四国巡礼の人たちが着るような白衣と手甲、脚絆、白の地下足袋に帽子を、ぼく用、タマ用と用意して、このスタイルで京都を巡るほうがよさそうだ。人間用は入手しやすいが猫用は特注しなければならない。この屋敷を出る前にインターネットを活用してやっておこう。

 こんなことを考えていると、今から多忙になりそうだ。そしてこうした準備はおカネ婆さんにも黒比目にも気付かれないように、おもむろに着実に進行しなければならない。

 殺害されるかもわからない危機を脱し、明日からの展望が一気に明るくなった。
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