喜多圭介のブログ

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図書館の白い猫34

2008-09-04 14:12:58 | 図書館の白い猫
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 冬場の京都市中を巡礼姿でタマと歩いているうらぶれた姿を眼に浮かべると、ふと近松門左衛門の『曽根崎心中』の出――此の世の名残。夜も名残。死に行く身を譬ふれば。あだしが原の道の霜。一足づゝに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ――を頭に想起した。

 天満屋の女郎はつと平野屋の手代徳兵衛の心中はどちらもが二十代であったからやれたこと、とくに女は四十、五十になると死ぬことよりも生きることにしぶとくなる。こんな心中は現代社会では夢の夢ではないか。タマのような気持ちの女はいない。

 淋しい気持ちになったが、京都に行くしか寄る辺なき身のぼくに選択の余地はない。そして京都に行っても何も当てがないのである。
「京都の冬は冷たい」
「冷たくても圭介様といっしょなら暖こうございます」
「そうか、そう思ってくれるか……それにしても黒比目の特技に射撃があるとは驚いた。この屋敷は驚くことばかりや」
「ピストル射撃でございます。こちらに来られた頃は退屈しのぎによく的当てしておられました」
「ピストルぶっ放してたの?」
「はい、音のしないピストルで、私たちが朝の散歩に歩くフェンスのところに的を立てまして、こちらから撃っておられました」
「へぇ、二十メートル以上あるな」
「的の芯に十発十中でした」
「凄い腕前なんやな」

 これなら黒比目は十分菊池凜子に負けない活躍をしそうだ。
「やっぱり早うこの屋敷とはバイバイする」

 いのちがいくつあっても足りない。
「それがようございます」

 人間は生きることよりも死ぬことのほうが難しい。それはぼくの歳になってみればわかることだ。生きる張り合い、いったいそれがどこにあるのだ。家庭生活を営んでいた頃は家庭生活を少しでも向上させることに、あるいは子ども達をそれなりのレベルに成人させることに張り合いがあった。またぼく個人としてはその頃の文学世界に参入していくことに目標が持てた。

 家庭生活や子育てはぼくの思っていたように曲がりなりにも実現した。だれからも後ろ指指されるような生き方はしてこなかった。それでも別れた妻や娘らに言い分はあるだろうが、これは男と女の相違と処理しなければなにも切りは着かない。

 その切りを着けて前途を見渡すと〈何も見当たらない〉。文学の世界もあの頃とは大きく変わってしまった。あまり未練はない。

 それでもぼくが離婚後に何をしていたかそれを証明、だれにというわけでもないかしておきたい気持ちが募り、毎月一作長編物の原稿を某出版社に送り続けた。遺稿のつもりであるが出版社が一作でも採り上げなければ、これもまた闇の遺稿であるが、毎月努力した思いだけはぼくの胸に残っているのでこれでいいような気持ちでもある。

 運不運もひとの人生には付きまとうのだ。運が良かったこともあれば運の悪いこともある。それだけのことではないか。世間や他人を恨む筋合いはどこにもないはずだ。

 巡礼姿でタマと冬の京都を歩いて歩き廻ろう。大晦日には知恩院の除夜の鐘に耳を澄ませていよう。その鐘の響きの中にぼくはぼくの生涯の答を見付けるような気がする。

 その夜ぼくはリビングルームのソファでタマと向かい合っていた。黒比目はホテルに出掛けていた。バーのほうもあと一週間で辞めることにした。バーの経営はホテル直轄で、今までの雇われママを使い営業することになっているらしい。
「おカネ婆さんはぼくがタマを京都に連れて行くことを許してくれたけど、何にもなしのぼくに随いてきてもタマの幸せになると思わんのやけどな、それでええのか。ここでお婆さんと暮らしていたほうが幸福やで」
「お供いたします。京都に行きたいからお願いしているのではありません。ずっと圭介様のお側に居たいからなのでございます」
「ぼくに随いてきても幸せにならんけどな。おやつの鯛の蒲鉾は京都にも売っているから毎日食べさせてやるけど、主食はすき焼きご飯でなくキャットフードになるけどそれでもかまわんか」
「食べる物はなんでもかまいません。キャットフードも慣れて食べるようにします」
「そうか。それなら食事のことはええとしてもぼくと居ったらタマの先行きが心配や」
「私は圭介様の行くところ、地獄極楽でもお供いたします」
「……」

 冬場の京都市中を巡礼姿でタマと歩いているうらぶれた姿を眼に浮かべると、ふと近松門左衛門の『曽根崎心中』の出――此の世の名残。夜も名残。死に行く身を譬ふれば。あだしが原の道の霜。一足づゝに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ――を想起した。

 天満屋の女郎はつと平野屋の手代徳兵衛の心中もどちらもが二十代であったからやれたこと、とくに女は四十、五十になると死ぬことよりも生きることにしぶとくなる。こんな心中は現代社会では夢の夢ではないか。それに女に自死させたくない。女は病床で産んだ子らに見守られて死ぬべきだ。それが女の一生であろう。

 タマのような気持ちの女はいない。
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