昨年3月11日の津波で被災した後,一般の人が原則として入れなくなった仙台市の海岸公園が,今日と来週の日曜日,臨時開園されます(人数を制限して)。それに先立つ昨日,仙台市のご厚意により,僕を含む東京大学空間情報科学研究センターのメンバーが海岸公園を視察することを許されました。被災を記録した公園の状況を写真でお伝えします。
公園の入口の看板。震災以前からあるものだと思います。
公園の近くの海辺。この堤防を越えて津波が入りました。
津波により,多くの木がほとんど水平に倒されています。しかし,運河に沿った木はあまり倒れませんでした。
運河と倒れなかった木です。運河の左側の遠方に丘が見えます。このあたりが海岸公園です。
運河の近くから海岸公園の丘を見たものです。津波によって木の樹皮が大きくはがされています。丘は人工の盛り土で,丘の上部は浸水を免れ,木製の展望台が残っています。
丘の上にある展望台。底部の標高は約14m。ここに逃げた5名と犬2匹は津波の難を逃れました。
展望台に貼られた写真。3月11日に避難した人が当日撮影したものです。丘の上は無事ですが,背後の低地は完全に湛水して湖のようになっています。
震災の後,丘の上の遊具の説明板に津波からの避難の手引きが貼られました。背後の低地は,がれきの集積場になっています。
丘の上に避難した人を救助したヘリコプターの着陸地点と被害を免れた遊具です。
丘のふもとにある管理事務所。ここは津波にのまれてしまいました。
事務所の内部。時計が津波到達後の数分後で止まっています。水の高さは,上側の白い壁と下側の木の壁の境とほぼ同じです。壁には解説の写真や文が新たに貼られていますが,はがれかけたものは,被災以前からあったものです。
止まった時計。水が達した高さが汚れでわかります。
流し。浸水の位置が示されています。シンクには泥がたまっていました。
管理事務所の近くのトイレ。ここも浸水しました。
トイレの中は津波の後,全く手をつけていないとのこと。ここはこの状態で保存するそうです。
この公園の周囲の平野では,多くの方が亡くなっています。一方,この公園は丘に逃げた人が助かった場でもあるので,被害を受けた建物も含めて,震災の記録として公開することになったのではと思います。3.11の記憶を風化させず,より良い防災について長期的に考える場になればと思いました。
Say a prayer, say a prayer, save the souls that have gone.
(Inori / Eric Martin)