「原理講論」の誤謬と正解

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「蕩減(マタイ伝18章21~35節)の解釈」カトリック

2021年10月10日 | 資料

 「蕩減(マタイ伝18章21~35節)の解釈」

 

「赦し」Japan Catholic Inside
ノートルダム清心学園理事長 シスター渡辺和子 

(画像クリックで動画起動)

「主の祈り…わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。」

「敵をもゆるしなさい」

「マタイ伝18章21~35節」

 長年、カトリック系TV・ラジオ番組「心のともしび」等で有名なノートルダム清心学園理事長のシスター渡辺和子によるお話は、カトリックにおける
「神の赦し(蕩減)」と「神に赦されるために私達がなすべきこと(蕩減条件)」の解釈の仕方が分かり易く説かれておりますね。 
  
 
 主の祈り
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天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。

(エキュメニカルな集いなどで、頌栄を続けて唱える場合)
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。

アーメン 

(日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳)
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カトリックの「赦し」(某カトリック・サイトより)
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  罪の赦しのためには、心からの悔い改め(痛悔&もう2度と犯さないという決意)が必要です。
 信者が大罪を赦してもらう場合、それに加えて、聴罪司祭への個別的告白、償いも必要です。

 父なる神は、痛悔した罪人が、ご自分のもとに立ち返るならば、たとえ他の人々から完全に見捨てられてしまうような大きな罪をも、それがおびただしく重大かつ深刻であったとしても、御子イエズスの十字架の御血の無限の御功徳によって、洗い清め(洗礼、洗礼後は懺悔)、跡形もなく「どんな罪でも」赦してくださいます。

 カトリックでいうところの「罪のゆるし」は、罪を犯していいよという
「許し・許可」ではなく、犯してしまった罪を「赦し・消し去る」ゆるしのことです。

 それ故カトリックは、いわば「赦しの宗教」であります。

  洗礼の場合、罪も罰も完全に赦していただきます。
 かといって、洗礼を受けたらあとは全く罪を犯さなくなるのかと、そんなことはなく、やはり様々な状況において罪を犯して神に背いてしまうものです。

 そのような洗礼後の罪の赦しのためには、主イエズスが復活されてから正式に秘跡として制定された、「ゆるしの秘跡」(悔悛・告解・懺悔)によって、
罪の赦しをいただきます。
 ただ、洗礼の場合と異なるのは、罪の罰が幾分か残る点にあります。

 この罰のゆるし(赦免・罰の免責)のためには、祈り・犠牲・施し・善業があります。その際、罰の免責の大きな助けとして、このブログで紹介する「免償(めんしょう)」があります。
 たとえるなら、本来服役するはずの期間を、短縮・免除してもらうのです。
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