Remembrance days of TOKYO vol.1 ~アナタハ カンコクジンデスカ?~

2005年08月15日 | 随想
2005年6月4日、午後。
石垣島より宮古島を経由して、羽田空港に降り立つ。
モノトーンで統一された洒落た空間の無機質さと空調設備で整えられたさらりとした空気の質感は、
それが日本の首都である東京の玄関口だという事を感じさせるに充分な威容を誇っていた。
それは、あの原色咲き乱れるねっとりとした湿度がまとわりつく亜熱帯の島とは明らかに性質を異にするものだった。
その威容に圧倒されながらも、案内板に従って切符売り場まで辿り着き、浜松町行きのモノレールに乗車した。

車窓から巨大な建物の群れを見やっていた時の心境は、
あたかも茫々としたモンゴル高原から中国大陸に鉄道で南下してゆく時のそれのようだった。
標高が下降するに従ってどんどん目の前に押し寄せてくる人や建物たち。
万里の長城を越え、明瞭に変化する植生や空気の質感。
思いがけない既視感と遭遇したのちに、ここが旅の空の下であることを実感した。

浜松町駅に到着し、駅の構内を散策した。
数日後にContemporary Unitのメンバーと落ち合う場所を確認しておきたかったのだ。
待ち合わせの場所はすぐに見つかり、山手線に乗車するために切符売り場に向かった。
エスカレータに乗ると、すぐ前に小奇麗な格好をした女の子がふたりいた。
「東京の女の子は、お洒落だな」
そんなことを考えながら、券売機の前に立ち頭上の巨大な路線図を見つめる。
ふいに、声をかけられた。

「アナタハ カンコクジンデスカ?」

あの女の子たちは、コリアンだったのか。
てっきり東京の人だとばかり思っていた。
軽い驚きとともに、彼女たちもまた僕が日本人なのか図りかねている様子に滑稽さを覚えた。
いつの頃からだろう。人に国籍を尋ねられるようになったのは。
旅が僕の中に浸透し次第に熟成してゆくに従って、その傾向は顕著に現れるようになっていった。

「シンバシトイウ カンジヲカイテクダサイ」
わりと流暢な日本語に従い、「新橋」と書いた紙切れを指し示す。
ふたりは路線図を見上げ、ハングルで何かを喋っている。
何のことはない。新橋は浜松町のすぐ隣の駅じゃないか。

「アナタハ カンコクジンデスカ?」
その言葉が、山手線に揺られる僕の頭の中にこだましていった。
コメント
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